粗大ゴミに車輪を付けて捨てに行く マンションで暮らしていると自宅から粗大ゴミ置き場まで若干の距離があったりします。手で持てるサイズ・重量の粗大ゴミなら手で運べばよいし、それよりも一回り大きいくらいのものならマンション共用設備から台車を借りられる場合があります。 今回、キッチンで 10 年…
くそどーでもいいことを思い出したので、チラ裏のつもりで書いとく。 小1か小2の頃、山手線一周ってどれだけ凄いことなんだろうと思って、ある日実行しようと、最寄の目白駅に行った。 「おおさき」とか「たばた」とか聞き慣れない駅名にワクワクしながら、水筒を持ってちょっとした遠足気分だった。 目白駅に着いて路線地図を見上げていたら、ふと重大な疑問が浮かんだ。 「山手線一周の電車賃っていくらだ?」 そりゃ相当するものだと思って、千円くらいは覚悟の上でお小遣いを握り締めていたのだが、路線図には金額が載っていない。 仕方なく駅員さんに訊いてみることにした。 俺:「山手線一周するのって電車賃はいくらなんですか?」 駅:「どこか途中で降りるの?」 俺:「…いえ、降りません」 駅:「ん??、じゃあ入場料だけだね」 俺:「Σ (゜Д゜;)」 なんだか急に夢から現実へと引き戻された気がした俺は、そのまま一周を敢行せ
未来はあるものでなく、その未来に「する」という意思、その未来に「なる」という結果のみを語るに尽きる。もちろん、あるべき姿に必ずしもできるというわけではない。意思の関わる余地なく結果がみちびかれたのだとしたら、それこそ未来はあると断言されてしまう。それでもなお実力と実験によってあるべき姿を切り開く姿勢はまさにフューチャリストとよぶにふさわしい。 オタク文化に価値はあるのか、ということをふと電車で考えた。オタク文化の定義はひとまずおいておく。オタク文化の価値は内側からしか、つまりオタク本人にしか評価できない、というありがちな結論に落ち着いた。それでもなお客観性というものにこだわるなら、世間におけるオタクの割合を気にすればよいのだろうか。オタクは多い、したがってオタク文化はより広く評価される、よってオタク文化は大きな価値をもつ、のか。数やバランスは関係ない、と僕は思う。構造主義的だ、文化相対主義
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