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ブックマーク / kiwofusi.hatenablog.com (20)

  • 自炊の手抜き術、っていうか味つけの強引な要約 - 反言子

    2年ほど自炊した。だいぶ手の抜き方を心得てきた気がする。手抜きっていっても、時間や手間の節約じゃなくて、思考の節約やけどな。 ごはん、和風、洋風、中華、保存・冷凍について自分なりのポイントを思い浮かべる。 とりあえず主張したいことは以下の二点。 ひとり暮らしならタッパーを器にすると楽やで! 一人前あたり「濃口醤油大さじ1、みりん大さじ1、顆粒だしちょっと」で野菜と肉を煮たり焼いたりしたらとりあえずえるで! ごはん〜器としてのタッパー 買っておきたいもの。固形のタッパー。 ラップ&ジップロックで炊き立てを冷凍保存するというテクが有名だが、僕は丸型固形のタッパーで冷蔵庫に入れている。チンする時間が短くて済むこと、詰めるときに形を整えなくていいこと、タッパーをそのまま器として使えることが利点。丸型のほうが洗いやすいと思う。 和風〜わりしたでおk 買っておきたいもの。濃口醤油:香りが強いの

    自炊の手抜き術、っていうか味つけの強引な要約 - 反言子
  • 「お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム 」 - 反言子

    お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム‐ニコニコ動画(SP1) おもしろかった。決済機能のある借用証があれば実際のお金を動かさなくても個人にお金を貸せるんじゃね? っていうところから信用創造がはじまるんだね。すると個人が借金すればするほど銀行は得する。あらゆる個人が借金をなくすと銀行にお金がなくなる、というのは今更ながら衝撃だった。このシステムは経済が永遠に発展しなければ成立しない。まさに音楽の止まない椅子取りゲームですね。

    「お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム 」 - 反言子
    torasshu
    torasshu 2008/03/18
    ニコニコ動画 大学の講義よりも勉強になった
  • 何を言っているんだろう - 反言子

    わたしとあなたが離れることで、これまでのように毎日会うことはできないだろう。ふと気が向いたときに赴くことはできないだろう。一目見ることにたくさんの手間と都合を要するだろう。その意味で、わたしとあなたは「会えない」……。 その事実は認めよう。だから「寂しい」と感じるのだろうか。「会いたい」のに「会えない」から「寂しい」のだろうか。 事実に感想し、それだけで終わるなら、人間はただの想う機械だ。感情は自分のものだ。それなのに、なぜまた、それをもつ自分というものを認識し、感想をもとうとする。 「会えない」から「寂しい」のだろう。「会えない」から「会いたい」のだ。「寂しい」から「会いたい」のかもしれない。「会いたい」から「寂しい」のではない。世間はそれを「切ない」といって情緒を見出す。それは逆流した感情だ。 感情は事実という檻に囚われて外を眺めるものではない。わたしが事実を突き動かすために、わたしを

    何を言っているんだろう - 反言子
  • ほかにやり方を知らないから - 反言子

    いままでに図書館から得た利益(謎)を考えると、これからの人生においてを買うことをためらう必要はないように思う。利益というのはあまりにぼんやりしているので、単純化に極論を重ねて言うなら、図書館から今後の人生において1000万円に相当(謎)する価値をいままでに受け取ったから、月に数万円をに費やしても当分マイナスには至らない。とはいえ、プライスレスな価値もたくさんある以上、こういう試算は自分が納得するためにしかならない。 僕はいま金銭的にかなり余裕がある。もちろん、借金のことを考えないなら、だけれど。この大学生活を続ける限り、また、院に進学するならさらにその分、僕は借金を増やし続ける。この経済的な計画の将来的な価値をどのように見積もるべきなのか。借金を減らすために節約するべきなのか。それとも、先のことは先のことか。あるいは、まだカネが足りないというのか。 ところで、プライスレスな価値とはなん

    ほかにやり方を知らないから - 反言子
  • 現在と未来、世界と格差、情報と機械と人間 - 反言子

    未来はあるものでなく、その未来に「する」という意思、その未来に「なる」という結果のみを語るに尽きる。もちろん、あるべき姿に必ずしもできるというわけではない。意思の関わる余地なく結果がみちびかれたのだとしたら、それこそ未来はあると断言されてしまう。それでもなお実力と実験によってあるべき姿を切り開く姿勢はまさにフューチャリストとよぶにふさわしい。 オタク文化に価値はあるのか、ということをふと電車で考えた。オタク文化の定義はひとまずおいておく。オタク文化の価値は内側からしか、つまりオタク人にしか評価できない、というありがちな結論に落ち着いた。それでもなお客観性というものにこだわるなら、世間におけるオタクの割合を気にすればよいのだろうか。オタクは多い、したがってオタク文化はより広く評価される、よってオタク文化は大きな価値をもつ、のか。数やバランスは関係ない、と僕は思う。構造主義的だ、文化相対主義

  • 虚構 - 反言子

    生きることはドラマだった。生きることはゲームになった。必然と絶望の喪失。フラグとパラメータとコンティニューを信じずにはおのれを保てない。

    虚構 - 反言子
  • 自由について - 反言子

    いやなことから逃げるならば、将来的にもいやなことから逃げられるように心掛けねばならない。言い換えれば、いやなことから逃げられる環境を連鎖させる工夫が必要だ。そうでなければ、その判断・行動は刹那的であると評価される。それが悪であると断言する道理もないが、きっとしあわせにはほど遠いだろう。 一方で、個人ではどうしようもできない環境や社会や事業の変化は常に継続している。変化の予測と、予測にもとづく照準の設定を考慮せずには、代替価値の選択を計画的におこなうことはできない。 変えることは難しい。だから、変わるものを見極め、可能性を選りすぐる。

    自由について - 反言子
  • ひとのきもち - 反言子

    簡単にひとを誉めることができるので、恥ずかしさや勇気はなくなる。誉められるひとにとっても同様で、いわば誉めがインフレする。評価や批判としての性能は低下する。じきに馴れ合いとよばれる。 ならば自制すべきか。誉めないことで誉めることを重みづけるのがせいぜい。小細工というにふさわしい。 ならば、という割り切り。それは、相手のきもちを考えないこと。相手のきもちを考えることは生産性という点においては重要でないのかもしれない。 何か親切をして相手がお返しを提供しようとしたとき、その好意を素直に受け入れるのもまた親切に含まれる、という意見がある。おおいに理解できる。けれどどうしても共感しきれない。親切が機能した時点で意義は果てた。相手のきもちなんてどうでもいい。ぞんざいにそう思ってしまう。(まあ「お返し」の提案が可能な状況にコミットした時点で、それは自分が親切ゲームに乗ったということでもあるんだけど。黙

    ひとのきもち - 反言子
  • 白髪ネギを求めて - 反言子

    きのう百均でネギカッターを買ったー。白ネギを白髪ネギにするアレである。千歯扱きみたいなあの刃物。ラーメンに白髪ネギはどうしようもなくすてきですよね。そのレビューをおこないたい。 商品名:ネギカッター 購入店舗:生活良品 値段:105円(税込) きょうの天気:晴れのち曇り 必要な情報は出そろった! きょうは学校は午後からだった。午後のひとつ目の授業に90分遅刻して(つまり資料だけもらって帰った)、ふたつ目の授業をまったりと終えて放課。部屋の整理をしているので、延長コードの必要性が発生し、また常々キッチンタイマーの有用性を自覚しているので、ヤマダ電機に向かう。ポイントが1200くらいたまっているので、たいした出費にはならないだろう。そこで延長コードとキッチンタイマーを購入。そして近所のスーパーで白ネギを買って帰った。 さっそく使ってみる。ネギを半月に切って、球形の面を上にぶすっと刺して力づくで

    白髪ネギを求めて - 反言子
    torasshu
    torasshu 2007/05/28
    天才がいる。これがブログ…!!!!
  • 大学 - 反言子

    情報系の学科に所属しているのでプログラミング関係の授業があります。場合にもよるのでしょうが、いまのことろ、この手の授業は全員が理解することを目標に進められています。そのための工夫が練られていることは確かですが、その助けが必要ないレベルのひとにとっては実りがすくないのも事実です。これでよいのか、とありがちな問題意識が芽生えますね。 まず考えなければならないのは、そもそも大学の授業に何が求められているのかということ。もっといえば、なんのために大学があるのか。とある先生の意見を参考にすれば、一昔前、大学は金持ちの道楽だったそうだ。サークルとかで遊ぶとこ。しかし近年、大学は企業からより実践的な能力を期待されている。その先生は「従来のようなのほほんとした学生は危ない」と(いうようなこと)すらおっしゃっていた。 とくに工学系でその流れが顕著だと。国がその手の研究を金出して援助しているらしい。そういえば

    大学 - 反言子
  • 何が楽しくて僕たちはこんなにも笑うのだろう - 反言子

    何が楽しくて僕たちはこんなにも笑うのだろう。 女の子たちが笑うときと、男どもが笑うときは、どうやら違うようだ。どうやら違うようだ。 僕は女の子たちに幻想を抱いている。やはり何も知らないようだ。何が楽しくて彼女たちは笑ったのだろう。 僕はこのクラスが好きだ。 ウェブにはすごいやつらがいる。しかし僕からみれば正直、このクラスにいる級友たちのほうがよほどすごい。 ウェブでの出会いはたかがしれている。いっしょのクラスになりたかった、と思うひとがここにいる。 やあやあ僕は高校生であるぞ。

    何が楽しくて僕たちはこんなにも笑うのだろう - 反言子
  • ひとから触発されることは安っぽくないか? - 反言子

    触発されない。これが最大の欠点であると自覚している。また広くみても現代的な若者の特徴であると思う。物語とか、雲の上とか、希少な確率とか、そういうことがわかりすぎている。から、というわけではない。の、だろうか。 これは非常に難しいぞ。どれだけ大人が必死になって考えて、諭そうとしても、そんなことは僕に伝わらない。必死であればあるほど、みにくいひどいつまらない。触発されない。触発されることに抵抗を感じる。触発はすなわち悪である、と考える。触発されることは安っぽい。つくりものの希望に支配されているようだ。どこかに汚らしい陰謀があって、それが僕を触発させるのではないか。たとえば日ひきこもり協会である。これは負の触発だが、たとえひとを奮闘させるような生の触発であったとしても、陰謀には違いない。やる気、カッコワルイ。ただの中二病で片がつきますか。どうですか、大人のかた。 というか貴様たちは、ただ楽しそ

    ひとから触発されることは安っぽくないか? - 反言子
  • いい文章を書けなくても - 反言子

    いい文章に書けないことを考えたということは、誇ってもいいかもしれない。

    いい文章を書けなくても - 反言子
  • 思い出すスピードで生きていく - 反言子

    記しそこなった夢の刻印は二度と目にかからず時間の藻屑に散る。 さいきん、恐いことが多い。わからないことが恐い、考えつかないことが恐い、思い出せないことが恐い。わからないことはそれほど嫌いではないが、学生という身分上、わかることを義務として与えられることもしばしばなので。とすると、わからないことは学生としての失格、あるいはひとにきくことで解決を試みる、という唯一の救済に強迫される。どちらかというと、これが恐い。ひとにきくことが恐い。 考えつかないことが恐い。いいや、たいていのことなど考えついているはずなのだ。考えついたから、より考えたり、書いたりする。その段階において言葉が生じないことが、恐い。わかっているはずなのに、これに適した図式が、文法が、観念が、この狭い世界において姿を見せない困惑。言葉探しの旅? どうしろと。そうして、できそこないの言葉たちが身を沈めていく。 この狭い宇宙を駆けるイ

    思い出すスピードで生きていく - 反言子
    torasshu
    torasshu 2007/02/27
    "問題は面なのに、解消は点なのだ。"
  • 説明しよう! - 反言子

    きみはきみなのだ。

    説明しよう! - 反言子
    torasshu
    torasshu 2007/02/26
    最近のきをふしはかっこいい。
  • 世界なんて - 反言子

    比喩の材料に過ぎないぜ!

    世界なんて - 反言子
  • 2007-02-17

    独りであることをひとに伝えたい矛盾。 あなたのなかに閉じ込めて。 だからわたしは独りでいられる。 一番はじめにすることが文字数のカウントであることにこころのゆがみをみた。 ライトノベルにおけるイラストが作品の個性にどう関わるかっていうことを過去に二回ほど書こうとして頓挫しておる。だいたい書きたいことは「僕はラノベのイラストが好きだ」「イラストで作品の印象が決まるのは仕方ない」「ある作品について、イラストそのもに対する志向が強すぎるのを自覚した」「その作品をひとつの言葉で表すとして、それはイラストの表すひとつの言葉と重なる」「ならば僕はこのイラストが好きなのだ」「あいまいだった個性が粋を増した」「と同時に、そのイラストレータそのものに興味が移り、その個性に広がりがでた」「個性の細分化と広範化が同時に起こったのがおもしろい」(個性という言葉が不自然な気がしてきた。要するに、僕の好きを好きたらし

    2007-02-17
  • どうでもいいが - 反言子

    ミルクフォームにのっかってずぶずぶと沈んでいく砂糖に対する感動を忘れないこころでありたいものだ。何を言っているのかと思われるが感動というのはじつに素朴なものである。しあわせはまず雲にのり、ゆっくりと沈んでいって溶けて混ざって甘くなる。

    どうでもいいが - 反言子
  • ならばわたしは狂気でありたい - 反言子

    この世界に狂気なるものがあるのはおおむね納得いただけるであろうと、一切の根拠なしに断言して思ったことを綴りはじめる次第でございます。狂気は、ひとに関する大切なこと、一般にそう思われる観念にごくちかいところ、隣であったり、裏に、しばしば姿を潜めるものです。これが狂気の魅力です。魔眼に魅せられる所以かもわかりませんけれど。 ひとはさまざまです。狂気に拒絶を示すこころを、きっとたくさんのひとたちがもっていましょう。これは個人的な感情ですが、僕は、そういったひとたちのこころは狂気から護られるべきであると思います。もちろん、そういったこころを狂気で侵すことに興奮を覚える性癖を、僕はもちあわせてございますが……。そんな欲望は虚構において満足させるに済みます。 以上は僕に関する話であると同時に、たいていの状況において切実さをともなわないつぶやきであるのは否めません。きみとぼくに狂気がまとわる状況など、そ

    ならばわたしは狂気でありたい - 反言子
    torasshu
    torasshu 2006/09/06
    ならばわたしは電波でありたい
  • こころの発現象 - 反言子

    もっと触れたい。 こころの接触。 こころと接触。 尋ねればいいのに。 確かめればいいのに。 お礼すればいいのに。 のに。のに。のに。 でも、どうせ……? それで距離は縮まるの。 それに意味は伴なうの。 そもそもに、 僕は何を望むの。 どこまでを、望むの。 ただ、いまだけは。 ひとこと交わして、接触。 したような、気になる。 立たないフラグ。 上がらないパラメータ。 ゲームではあるまいし。たぶん。 この接触に、 僕という必然性と、 あなたという必然性、 そして僕とあなたという、 必然性は、どこにもないのに。 記号の遣り取りで、何が。 気持ちを込めるという幻想。 どうか届け。きっと届かない。 恋とよぶにはあまりに情けなくて、 軽薄で優柔で無節操なこころ遊び。 こころを記号に込め、声にし、放つ。 記号→声 wヘ√レv〜wヘ√レv 紛れるノイズ。 この波に、どうか乗りきれ。 ひずみきったこの波に、

    こころの発現象 - 反言子
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