食とhistoryに関するtoyoashiaraのブックマーク (32)

  • 西洋の料理はなぜ「蒸し料理」が少ないの?→これにある海外ユーザーが回答した「東・西洋の燃料事情」「エネルギー効率」の観点による考察が面白かった

    ShanghaiPanda @thinking_panda An interesting question: why is there so very few western foods that are steamed?🤔 pic.x.com/c0f167uAbS

    西洋の料理はなぜ「蒸し料理」が少ないの?→これにある海外ユーザーが回答した「東・西洋の燃料事情」「エネルギー効率」の観点による考察が面白かった
  • ボルシチはどこの国の料理なのか〜食文化から考えるロシアとウクライナ(沼野恭子)

    2022年2月24日に始まったロシアウクライナ侵攻により、私たちは日々、彼の地のニュースを目にするようになった。だが、現在進行中の「戦争」の背景には何度も国境線が変更されてきた両国の複雑な関係があり、それを理解するのは島国に暮らす日人の感覚ではなかなか難しいところも多い。両国の歴史文化をより深く知るには、緊迫の度合いを深める情勢を追うばかりではなく、たとえば身近な文化について考えることも役立つだろう。その手がかりのひとつとなるのは、ロシア料理の代名詞として日でも親しまれている真っ赤なスープ、「ボルシチ」だ。実際のところ、ボルシチはウクライナにルーツがある料理だが、「ロシア料理」として世界に普及している。なぜウクライナ発祥のスープロシア料理とされるようになったのか、ウクライナのボルシチとロシアのボルシチは何が違うのかなど、ロシアや周辺国の文化に詳しい沼野恭子・東京外国語大学大学

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  • 中国ワインの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    中華皇帝も愛したワインのお味 あまり一般には知られていませんが、中国は世界でもトップレベルのワイン生産国であります。 数字を見ると、2017年のワイン生産量は1.8億リットルで世界7位。上位はイタリア、フランス、スペインアメリカ、オーストラリア、アルゼンチンなど有名どころが並びます。中国はチリ、ドイツ、ポルトガルといった伝統的なワイン生産国よりも生産高が多いのです。 中国では1980年代から、増加する中国人のワイン需要に対応するため、中央と地方政府の指導と支援が積極的に行われています。数字は巨大ですが主に国内で消費されるため、海外輸出は少なく、あまり目立たない存在です。 歴史をさかのぼると、中国のワイン生産は歴史的にも古いものがあります。 1. 西域のお酒「葡萄酒」 中国では古くから現在の我々が言う所の「ワイン」に類する酒があることが知られていました。しかし一般に広く知られていたというこ

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  • パッタイの歴史 - 人工的に作られたタイの国民料理 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Terence Ong 「タイの国民料理」という使命を持った人工的国民 タイ料理の定番であるパッタイ。 歴史は古くなく、誕生したのは1940年ごろのことです。パッタイは時の権力者により、明確な政治的意図をもって作られ広められた料理です。パッタイ(Pad Thai=タイ炒め)という名前が象徴するように、その成り立ちや拡がりの過程は非常に近代的かつ人工的であります。 1. パッタイとはどんな料理か スーパーマーケットでもガパオライスやトムヤムクン、グリーンカレーといったレトルト品が並び、タイ料理は市民権を得て、いまや日人の日常の一部となっています。 パッタイもスーパーのお惣菜に並ぶほどですが、特にこだわりがないお店だと、「タイ風の味付けをした焼き麺料理」は全部パッタイと呼んでしまう傾向があるようです。ですが、タイの焼き麺料理はパッタイだけではなく、色々種類があります。

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  • 中東の伝統料理「フムス」をめぐる歴史と戦争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Paul Goyette 愛ゆえに人は苦しまねばならぬ、愛ゆえに人は悲しまねばならぬ フムスという料理をご存じでしょうか。 トルコ料理やシリア料理などでメゼ(前菜)として出される料理の一種で、ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えたもの。 中東圏を中心に、バルカン半島や東地中海沿岸地域でよくべられています。 中東ではあまりに愛されすぎて、民族主義と結びつき、「フムスは我々のものだ」としてアラブ人とユダヤ人の間で抗争が繰り広げられています。 1. フムスとはなにか フムスは、ホムス、フンムス、ホンムスなどと言われることがあります。 どの呼び方でも基の作り方は同じで、 ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えてペースト状にしたものです。 レシピは非常にシンプルですが、豆の煮る時間、ペ

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  • 「日本式カレーは海軍から始まった」説は本当か?海軍料理研究家に聞く - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    カレーライスといえば、日人の誰もが好きな「国民」の代表。そんなカレーのルーツが、かつての日海軍にあった!? そんな説を聞いたことがないだろうか。確かに「海軍といえばカレー」と刷り込まれているので、真実味がありそうだ。 たとえば、肉じゃがのルーツは旧大日帝国海軍(以下、海軍と省略)の「甘煮」という料理にあった。カレーも海軍にルーツがある可能性があっても不思議ではない。 ことの真相を探るべく、海軍料理研究者として知られる高森 直史(たかもり なおふみ)さんに話を聞いてみた。 海軍料理研究の第一人者・高森 直史さん 高森 直史さんは、日の海軍料理研究において第一人者といえる存在だ。 長年にわたり自衛隊に所属し「」に関わる仕事を中心に活躍。自衛隊退官後は、海軍料理研究者として著書もたくさん執筆している。 ▲高森さんの著書の一部 そして、高森さんの一番有名な実績といえば、肉じゃがのルーツ

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  • 『ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)』山本紀夫 著

    南米アンデス地方で栽培され、大航海時代にヨーロッパにわたり、そこから世界中へ広がって、今や全世界の卓に並ぶ、日でも肉じゃが、カレー、コロッケ、フライドポテトなどなどなど今や生活に欠かせないジャガイモの歴史を辿る一冊。2008年の発売以来、売れ続けるロングセラーで最早名著としての評価は揺るぎないように見える。 実際、全世界的に広まった物をテーマにして世界史を一望するというのは良いが出やすい。栽培した人々、彼らをとりまく社会状況、流通させるシステム、商取引と経済、拡大した要因、伝播の過程、流入先に及ぼした影響、文化の変容や現代社会におけるその物の位置づけ・・・などなど多面的に描きやすく、その分析手法としても様々な選択肢があるからだ。同様の良書として、例えば川北稔著『砂糖の世界史』が名高い。 1996年の発売以来売れ続けている世界史入門定番の一冊。砂糖の広がりを通じて様々な地域が

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  • ケチャップの歴史 - 英国流オリエンタルソースからアメリカの味へ - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    にはかかせないテーブルの必需品ケチャップ 皆さまのお宅では、ケチャップとマヨネーズはペアになって冷蔵庫に入っていないでしょうか。もしかしたら、お好み焼きソースやウスターソースもセットになっているかもしれません。 料理はしなくて冷蔵庫がほぼ空っぽな人でも、 ケチャップはあるという人も多いのではないでしょうか。 日人は世界的に見てもかなりのケチャップ好きと言えると思うのですが、今回はそんな日人の生活に欠かせないケチャップの歴史を見ていきたいと思います。 1. 初期のケチャップ Photo from Rex Roof 「ケチャップ」という名前は、閩南語の「ケチアプ kê-tsiap 鮭汁」に由来します。 ケチアプは17世紀ごろに中国南部に広がった調味料で、塩漬けの魚に各種スパイスをミックスした調味料です。現在のナンプラーのようなものか、あるいはナンプラーにスパイスミックスを溶かしたやつ

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  • タコスの歴史 - なぜタコスは日本で流行らないのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    メキシコの民族から世界のファストフードへ タコスべたことありますか? 「はい!」とまっすぐ手を挙げられる人ってそんなにいないんじゃないかと思います。ナチョスとか、トルティーヤとか、ブリトーとか、それっぽいものはべたことあるけど何をべたかあまりよく覚えていない、という人も多いんじゃないでしょうか。 まだまだ日人には馴染みの薄いべ物ですが、健康の人気が高まりでコーン100%グルテンフリーのべ物としてタコスに注目する人もいます。 いつか来るであろう「タコス・ブーム」の前に、タコスの歴史をまとめておきます。 1. タコスの原型 日では一般的には「タコス」と言われますが、アメリカやメキシコでは"taco(タコ)"と呼ばれます。 タコスは大きく分けると、ソフトタイプとハードタイプに分けられます。 ソフトタイプはとうもろこしの粉を溶かして焼いた柔らかいトルティーヤを使います。タコスの

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  • 伝統料理を近代化させた世界の有名シェフ10人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ローカル料理を近代的な料理に発展させたシェフ 今や日では世界中の料理べることができるし、世界中の都市で日料理べることができます。そして現在進行形で料理のフュージョンが発生しており、料理の発展が凄まじい進歩で進んでいます。 そこは情報社会とグローバル化の恩恵ではあるのですが、次に起きるのはおそらくローカル料理の消失で、きっと世界の料理の均質化が起きていくんだろうと思います。 それはもう必然であると思うのですが、一方でオリジナリティに価値が生じてくるに違いなく、いかに伝統とその正当性を維持し続けるかが重要な気がします。 そこで一つ記憶しておくべきは、料理の発展に重要な役割を果たした人物とその背景であります。ということで、各国料理の発展の歴史中で重要な人物をピックアップしてみます。 1. ポーランド料理:パウロ・トレモ 1733-1810 胃弱のポーランド王が愛した最先端ポーランド

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  • 歴史に名が残る超有名シェフ(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「世界を変えた」料理人たち 歴史に名が残るほどの偉業を成し遂げた有名シェフをピックアップしています。 今回は後編。前編では アントナン・カレーム(フランス) オーギュスト・エスコフィエ(フランス) 忽思慧(元朝) 刘娘子(南宋) ジュリア・チャイルド(アメリカ) ジョセフ・ファヴレ(スイス) チャールズ・ランフォーファー(フランス) を紹介しました。ご覧になりたい方はこちらよりどうぞ。 それでは後編参ります。 8. バルトロメオ・スカッピ 1500-1577(イタリア) イタリア・ルネサンス料理のカリスマシェフ バルトロメオ・スカッピはヴァチカンにて歴代の教皇に仕えて料理を給した「教皇専属料理人」。パウルス3世、ユリウス3世、マルケルス2世、パウルス4世、ピウス4世、ピウス5世に料理を提供しました。 1570年、スカッピは後に彼の名を不動のものにする有名な料理書「Opera di Bart

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  • 歴史に名が残る超有名シェフ(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Lynn Gilbert 料理歴史にその名を刻んだ有名な料理人たち 料理歴史というのは体系化するのが当に難しいと思います。 常に進化し続けているので、いつ・どこで・誰が・何をして・どうなったかの記録などほとんど残っちゃいない。 そこいらのおばさんやおっちゃんが考えたレシピが普及することなどザラなので、誰が発案者かといった問いは意味をなさないことが多いです。 そもそもカリスマ・シェフという存在自体が現代に生まれたものなので、料理人の名前を後世に残すということ自体ほとんどなされていないのですが、それでも歴史に名前が残っているシェフが存在します。 1. アントナン・カレーム 1784-1833(フランス) フランス料理の基礎を築いた男 アントナン・カレームは現在のフランス料理の基礎を発明した「フランス料理の父」です。 1783〜84年に貧しい労働者の家に生まれたカレームは

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  • 古代ローマで大人気、万能調味料「ガルム」とは

    ポンペイで出土した1世紀のモザイク。地中海の豊かな海産物が描かれている。ナポリの国立考古学博物館所蔵。ローマで人気の高かった調味料ガルムには、主要な材料としてさまざまな種類の魚が使われていた。(SCALA, FLORENCE) 西暦1世紀が終わる頃、裕福なローマ人が開く宴には、どんな料理が並んでいたのだろうか。一皿目はおそらくガルム味の豚で、次はガルム味の魚だろう。そして料理と一緒に供されるワインにも、やはりガルムが入っていたはずだ。 古代ローマの料理にこれほど多用されていた調味料ガルム(garum)とは、いったいどんなものだったのか。現代の調味料で最もガルムに近いと思われるのは、東南アジア料理の定番である、発酵させた魚と塩から作る液体状の魚醤(ぎょしょう)だ。現代の魚醤と同じく、ローマのガルムも発酵させた魚(具体的には内臓)と塩から作られていた。ローマ人はこれをそのまま味付けに使うほか、

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  • イギリス料理が「まずい」原因は、産業革命だった!? | 文春オンライン

    何が文化の衰退を招いたのか? その背景には社会と経済の変化があった ◆◆◆ イギリスの料理はまずいとしばしば言われる。まずい理由として、美を欲しない国民性である、ピューリタンの影響での楽しみが罪悪視された、あるいは、気候が冷涼でが単調になるなどの俗説はあるが、いずれも、学問的には支持しがたい怪しげな説である。 19世紀から「まずく」なる うまい/まずいは直接的には個人の好みであって、の属性ではない。うまい/まずいといった主観的な印象評価を離れて、を客観的に分析するために、筆者は、材の多様性、材の在地性・季節性、調理方法の多様性という3つの指標を設定した(小野塚[2004]、[2010])。この3つの指標だけでを論じ尽くせるわけではない。文化史の来的関心からは、実際にべられた料理べる場・状況が重要なのだが、料理や宴席は史料として残りにくいため考察の対象とするのが難

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  • ムガール料理の歴史 - インド宮廷料理文化の発展 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo from "Creamy, Meaty Richness Galore! These Are The Very Best Mughlai Restaurants In Delhi" So Delhi 様々な文化がミックスして花開いたインド宮廷料理 ムガール帝国は16世紀初頭から19世紀後半まで存在したイスラム系王朝で、強力な軍事力を率いて中央アジアからインドに侵入して南下しながら徐々に領土を広げ、一時は南インドの一部を除く全インド亜大陸を支配しました。 ムガール帝国の元でヒンドゥー文化、ペルシア文化、中央アジアの文化がミックスした独自の文化が花開き、特に建築の分野では有名なタージ・マハルなど壮麗な建築が帝国各地に建設されました。 文化の面でも、ムガール宮廷は様々な文化を吸収した洗練された宮廷料理を発展させ、その贅沢放蕩ぶりは帝国の傾斜をもたらすのですが、現在のインド料理にも大

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  • なぜユダヤ教・イスラム教で豚肉は禁止されるのか─ハリスの説から - VKsturm’s blog

    1.はじめに 2.豚について 3.宗教的戒律と豚 4.反芻動物と豚 5.中東で豚を飼うベネフィット 6.終わりに 参考文献 1.はじめに 世界各国の宗教には色々なタブーがある。例えばユダヤ教やイスラム教では豚が禁じられた材となっている。このようなタブーについてインターネット上では「豚は寄生虫(繊毛虫)がいるのでべてはならないと定められた」という言説が見られる。一方人類学者のマーヴィン・ハリスは全く別の理由でべないのだとその著書で述べている。ここではハリスの意見を簡単に紹介し、豚のタブーについて説明していきたい。 2.豚について 豚は飼うのに実に合理的な生き物である。豚は餌に含まれるエネルギーの35%を肉に変えることができる。一方羊は13%、牛に至ってはわずか6.5%である。雌牛は一頭の仔牛を産むのに九ヶ月の妊娠期間が必要であり、また仔牛は400ポンド(180kg)に達するのに四ヶ月か

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  • ドイツでジャガイモが普及するまでの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ドイツ料理と言えばジャガイモ」となるまで ドイツ料理べたことありますか? とりあえずビールで乾杯して、前菜はジャガイモのポタージュスープ。ポテトサラダ。 次いでソーセージ。付け合わせにはザワークラウトとフレンチフライ。 メインはローストビーフかポークソテー。付け合わせはマッシュポテト。 こんな感じの構成が多いような印象です。あくまで印象なのですが、ジャガイモに始まってジャガイモに終わる感じです。 ジャガイモがないドイツ料理なんて考えられないほどです。 でも実際のところ、ドイツにジャガイモが定着するには多大な努力と長い年月が必要だったのです。 1. ジャガイモが普及する前のドイツ人の事 いまやジャガイモがないドイツ料理など考えられませんが、ではジャガイモが普及していない時代、ドイツ人はどのようなものをべていたのか。 18世紀末の貧民施設の事はおおよそ以下のような内容でした。 平日

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  • チキン南蛮という世界史 - 本しゃぶり

    陸の道と海の道。 その二つが極東で交差する時、チキン南蛮は生まれた。 世界史を味わえ。 By {{{photographer}}} from Okinawan and Kyusyu restaurant Diamond Head in Tsukishima, Chuo, Tokyo - Flickr, CC 表示 2.0, Link チキン南蛮 久しぶりにの話をしよう。 今回取り上げるのはチキン南蛮である。それも「おぐら」発祥のタルタルソースをかけたものを指す。 俺はこのチキン南蛮という料理が好きである。少なくともこの一ヶ月、週に一度はべるほどに。なぜ俺はチキン南蛮にここまで惹かれるのか。糖分と脂肪分が両方含まれているから? 確かにそれもあるだろう。アリストテレスは味覚のリストで甘味を「純粋な滋養」と賛美し、その甘味に匹敵するほど喜びをもたらす味として「脂肪の味」を挙げた。現在、この二

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  • 人類と酒の歴史。世界10の古代酒|カラパイア

    この画像を大きなサイズで見る 人類は千年も昔からお酒を飲み続けてきた。一部の人類学者たちは、酒は狩猟から農耕に生活様式がシフトした原因のひとつであると考えている。 お酒は社会における潤滑剤、薬、または政治的手段などさまざまな目的に使われ続けている。タバコや薬物の規制が進んでも、お酒がいまだ容認されているのは、そういった一面があるのかもしれない。 10. 世界最古の酒は紀元前7000年前の中国 この画像を大きなサイズで見る 最近、中国で考古学者が世界最古の酒の痕跡を発見した。壊れた陶器の化学分析をしたところ、中国人は紀元前7000年には酒を飲んでいたことがわかった。 その酒は米、ハチミツ、フルーツを醸造したものであることも判明した。このjihuaが入っていた陶器には、酒石酸塩の痕跡があった。 石酸塩はブドウやサンザシと同じ分類の化学成分。ハチミツ、ブドウ、サンザシを砂糖や酵母とあわせて発酵さ

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  • 「天ぷら」のルーツは6世紀のペルシアにあった! 知られざる“食”の歴史小話 | GetNavi web ゲットナビ

    を代表する「天ぷら」は、ポルトガル人によって日に伝えられたものということは、よく知られている。料理名の由来もポルトガル語の”Tempero”(調味料)からきているようだ。が、天ぷらはそもそもポルトガル料理ではなく、そのルーツは、なんと6世紀のペルシアにあるというのだ! ペルシア王が好んだシクバージとは?『ペルシア王は「天ぷら」がお好き?』(ダン・ジェラフスキー・著、小野木明恵・訳/早川書房・刊)によると、天ぷらの物語は6世紀中頃のペルシアに始まるという。 ホスロー1世アヌーシールワーン(501~579年)は、ササン朝ペルシア帝国のシャーハーンシャー(王の王)で、彼の好物はシクバージと呼ばれる、甘酸っぱい牛肉の煮込み料理だった。 シクバージの詳細はレシピによって異なるが、いずれにしても具だくさんの牛肉の煮込み料理だ。鶏や仔羊が入ることも多く、たくさんの種類の香草と、ときにはいぶした木の

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