家族に関するtsukikanaのブックマーク (34)

  • 娘たちと海を見ながら・・・ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    私たち夫婦にはふたりの娘がいて、長女は9年前に結婚し、遠方で暮らしている。 彼女と婿どのの間には3人の娘がおり、一番上の子は今年、小学校に入学した。 その子の初の運動会。先日、長女から「良かったら応援に来てくれない?」とお誘いがあったので、夫と私、次女の3人で駆けつけることとなった。 ちょうどその週末、婿どのの出張が重なってしまったのだ。長女ひとりで4歳児の双子を連れて応援に行くのも、記録ビデオを撮ったりするのも、そりゃさぞ大変だろう、と。 もちろん、初孫の初運動会をこの目で見たい、という気持ちもあった。また、彼の地で暮らす我が娘の日常に少しの時間でも寄り添って、元気に幸せに毎日を送ってくれているかを確かめたかった。 1年生になった孫娘は、双子の妹たちが生まれたとき、我が家に半年近くいたし、娘の入院中は私が母親代わりをしていたので、なんだかもう、自分の3人目の娘のような気にもなっていたりす

    娘たちと海を見ながら・・・ - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 小さな3人の女の子 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    11月も、もう終わろうとしている。 慌しいのは師走、と相場は決まっているのに、今月、なんだかずっとせわしなかった。時間が足りなくて、日々のルーティーンがなかなか回らない。 外歩きが快適な気候になったから、ウォーキングをよくしていたせいかな。 冬物を買いに街に行ったし、次女が泊まりに来て、一緒に紅葉を見に恵那までドライブもしたし。 恵那峡。山の色付きはわずかだったけれど、湖畔の散歩道が素敵だった。 恵那峡の紅葉 それから、習い事の課題制作に勤しんで、ここに随分時間をかけてしまった。それでも他のこともしたくて、合間に小さな作品も仕上げてみたり。 花糸で小さな刺しゅう こう書いていると、全部自分の楽しみのための慌ただしさじゃないか、と苦笑してしまうけど。 早めの大掃除、的なこともやって、筋肉痛にもなった11月。いろいろ頑張ったつもり。ここへきて少々疲れがたまってきたようだ。 長女一家の所へも行っ

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  • 美しい夢―生命は瑞々しく、そして儚く - 一筋の光、降り注ぐ光。

    風邪をひいた。発熱で寝込むなんて、何十年ぶりだろう。 丸二日間。時間をロスしてしまったようで残念ではあるが、それほど悔しくはない。喉の痛みや頭痛、高熱による関節痛は辛かったけど、たくさん寝られたし良かったじゃん、という思いもある。 それになんといっても、この風邪はあの子たちからもらったものだからね(多分だけど)、いいのいいの。嫌わずバッチリ引き受けようじゃないの、なんて片頬笑んだりもして。 今は、少し咳が残る程度。今日はもう、木曜日か・・・ 先週の土曜日、夫と次女と私は長女一家の家に行き、一泊させてもらった。去年の夏、引っ越し後の手伝いに行ってから、もう1年以上になる。 ✻当時の記事はこちらです↓ tsukikana.hatenablog.com あれから5人家族がどんな風に暮らしを楽しんでいるのかと、想像したりはしていたが、今回一晩泊まり共に過ごすことで、その生活を肌で感じることができた

    美しい夢―生命は瑞々しく、そして儚く - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 次女に誘われ夜の街へ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    良くない条件が重なる日だった。 時折り強く降る雨。気圧は低く、蒸し暑く、空は暗い。 こういう日が私、ほんと苦手。頭が重くからだがだるく、立っているだけでしんどい。 なんて土曜日なのか。せっかく今日は、次女とのデートで街へ出掛けるというのに。 次女が、「飲みに行こう」と私を誘ってくれたのは、先週のこと。清水に行ったときだった。私は実家の片付けのために、時折り清水を訪れているのだが、今回は彼女も同行、手伝いをしてくれたのだ。 1泊という短期滞在で、古家具7点を市に回収してもらうのがメインのミッション。2階から玄関まで降ろしてくるのが大変だったのだが、夫が頑張ってくれて時間はあまりかからなかった。 ただ、家の前で、回収車がバリバリと家具を破壊するのを目の当たりにし、私はちょっとショックを受けたのだった。 すごい音がする。 粗大ごみって、こんな風に回収していくんだね、と驚き、ごめんねごめんねと、切

    次女に誘われ夜の街へ - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 小さなポピーの思い出 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    道端に、淡いオレンジ色の花をよく見かけるようになった。 ひなげしの一種の、ナガミヒナゲシ。 毎年、この花を見つけるたびに、あの春の日を思い出す。次女が小学校に入学したばかりの、あの頃。 黄色い帽子に真新しいランドセルの1年生たちは、学校が終わると、途中まで引率の先生に連れられて集団で帰ってくる。最初のうちは、解散場所まで保護者が迎えに行っていたが、やがて自分たちだけで家まで帰るようになった。 大丈夫かな。ちょっと心配しながら家で待っていた私。大きな声で「ただいまー」と帰ってきた次女は、「ママ、これ、どうぞ」」と、小さなポピーを数、差し出してくれた。それが、ナガミヒナゲシだった。 それから数日の間、次女はこの花を道端で摘んでは持ち帰ってきてくれたと思う。その姿を見たわけではないが、黄色い帽子のヒヨコのような1年生が、道端にしゃがんで花を摘む様子が、私にはありありと目に浮かんだ。新しい環境に

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  • お洒落リノベの古民家に集合!―愛知・長久手の町家ステイ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    関西に暮らす長女が、先日、一家でこちらに帰省した。といっても、我が家に、ではない。 私の誕生日をみんなで過ごしたい、と言ってくれたのが先月のこと。その気持ちがとても嬉しかったし、私もみんなとゆっくり過ごせたら、と願った。 ただ、ひとつ問題が。 ひとり暮らしをしている次女も加えて、総勢8名となる。当なら「みんな、おいで~泊まっていきなよ」と言いたいところだが、夫婦ふたりで住んでいるこの3DKにはちょっとキビシイ。泊められるお客さまはマックス3名かなあ。 そこで夫が、我が家からクルマで十数分の場所に、みんなで泊まれる家を探してくれたのだった。旅館ではなくて、民泊施設。一棟貸しの古民家だ。 古民家ではあるけれど、素敵にリノベーションされている。「町家ステイ オリーブとぶどう」という名前も可愛い♡ 問題解決!一気に気分が上がっていった。笑 当日は、買い出し班の長女と次女が、昼前に名古屋の久屋大通

    お洒落リノベの古民家に集合!―愛知・長久手の町家ステイ - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 柔らかな心で - 一筋の光、降り注ぐ光。

    暖かい日が続いた先週と打って変わり、今週は最強寒波が到来。厳しい寒さになりそうだ。体が縮こまらないように気を付けなくては。 硬くなったなあ。 毎日、ストレッチをするたびに、わが身体の柔軟性低下を情けなく思う。続けているのに、なかなか柔らかくなってくれない。やり方が間違っているのかな。やらないよりは大分マシではあるのだが。 子どもの頃は、体は柔らかい方だった。ブリッジをしてみせると、大人が感嘆してくれたものだ。 いつからできなくなったんだろう。夫によると、結婚してから家で何度か、私は得意気にブリッジをしたらしい。すると、少なくとも20代後半まではできていたのか。 娘が幼稚園に行っていた頃。鉄棒の逆上がりができるようになりたいと言うので、近所の公園に行って特訓することにした。 自分がお手を見せようとやってみたところ、できない。 いやまさかと再度試みるが・・・できない。いっこうにできない。 シ

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  • ずっと、見ているよ♡―喪失感を超えて - 一筋の光、降り注ぐ光。

    見て。 ほら、見て見て。 ・・・ああ、何回言われただろう。今もまだ、あの子たちの可愛らしい声が耳に残っている。 シャボン玉、綺麗だね。たくさん、上手に作れたね。 関西に住む長女一家が、家を新築して引越しをした。引越し当日は行けなかったけど、翌々日に、旧宅の清掃と新居での荷ほどきの手伝いをするために、夫と次女と3人で出向いた。 あれからもう1週間以上たつのか。 彼女たちと過ごせた時間、作ることができた思い出のひとつひとつを、甘く切なく胸に抱きしめるような毎日だ。 彼女たちがこれまで住んでいた場所は、和歌山県の奈良寄りの都市。そこを私が初めて訪れたのは、もう5年半くらい前になる。長女が初めての子を生んだときだ。 ✻その頃の話です↓ tsukikana.hatenablog.com 近くを優雅に流れる紀の川が、美しくて好きだった。そこは高野山のふもとでもあった。娘たちが何か大きなものに守られてい

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  • 父の初盆 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    私の父は6人兄弟の次男。母の違う兄もひとりいたから、正確には7人兄弟だ。私の母は9人兄弟の三女。 親戚が多いのである。小さい頃は、おじさんおばさんの名前を覚えきれなかった。母方の兄弟については、今も順番があやしい。会ったことのない従兄弟もいる。 そんな私には、両親に連れられてお墓参りに行った、という記憶がない。祖父母の葬儀の後に大勢で行ったことはあるが、お盆やお彼岸には多分、行っていないと思う。 父が転勤族で遠方に住んでいたから、という理由もあるのだろうが。地元に住む親戚、特に長男夫婦に、きっとお任せしてしまっていたのだろう。いや、もしかしたら時々は、清水に帰ってお墓参りもしたのかな。私が覚えていないだけかもしれない。 夫と結婚してから、お盆には彼の実家に行くようになった。お墓参りにも連れて行ってもらった。キュウリとナスを馬と牛に見立てて装飾し、お仏壇に供える、という風習も初めて知った。

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  • お父さん、ごめんね・・・ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    満開の桜並木を歩いていると、自分はこのまま異世界に抜けていくのではないか、と思えるときがある。 毎年、飽きもせず同じような写真を撮ってきたが、今年はあまり気が乗らない。ただ、見つめて、見渡して、桜を感じながら歩いていたい。 桜に限らず、今を咲き誇る花々をちゃんと見て、褒めてあげたいと思う。“今”を意識して心に刻みたいと思う。来週のことはもう、わからないから。来年また見られるとは、言い切れないから。 外を歩いているとき、杖をついた老婦人を見掛けると、思わず駆け寄りそうになる。そんなことがここ2年ほど、よくあった。 ああ、お母さんじゃないんだ。 ああ、お母さんはもう、いないんだ。 気がついて、ぼんやり歩いていた自分に呆れ、その後、寂しい気持ちになる。 これからは、体形が父に似た老紳士を見掛けても、ふと駆け寄りそうになるのかな。 ああ、お父さんじゃないんだ。 ああ、お父さんはもう、いないんだ。

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  • 父と柚子と薔薇と - 一筋の光、降り注ぐ光。

    柚子ジャム、というものを初めて作った。 先週、父のサポートで清水に行った折、父が庭の木からもいで、持たせてくれたものだ。たくさんあるので、ジャムでも作ろうかな、と思った次第。 12個(約700㌘)をお湯で洗い始めた途端、爽やかな芳香が漂い始める。半分に切り、タネをフォークで除き、果汁をボウルに絞る。もう、家中が柚子の香りに満たされた。 そうそう、取り除いたタネは、煮込むときに使うので(ペクチンを利用してトロミをつける)、捨てずに大事にとっておく。 果汁を絞った後の半割りの柚子から、指で中身を取り出し、皮の内側の白い部分を小さなスプーンでこそぎ取る。白い部分は苦みの元となるそうで、これは捨てるけど、取り出した中身の方は、後で絞るのでとっておく。 こそぎ取るのは、結構大変なのだ。繊維もたくさんあって、なかなかきれいに取り除けない。12個使ったので、×2で24回これをやるわけで、この作業にはとて

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  • 春の気分を刺しゅうに込めて - 一筋の光、降り注ぐ光。

    川を渡る早春の風は冷たいが、ほのかに甘い香りがする。草木や土から漂い出る匂いも、もう冬のそれではない。 ケーキ屋さんやお花屋さん、雑貨屋さんやカフェのショーケース…。バレンタインデーや雛祭り、ホワイトデーと続くこの時期は、街を歩いていても、とびきり明るい色が目を楽しませてくれる。イチゴの赤やガーベラのピンクなど、部屋に持ち帰りたいものばかりだ。 そんな春気分を刺しゅうに込めてみた。今回は、フレーム付きのキットを使って。青木和子さんの図案は、前から一度試してみたかったので、購入した帰り道から気が逸り、ワクワクして頬が緩んでしまった。 キットには下絵が印刷された布と必要な刺しゅう糸、針や糸通しまで入っている。下絵を写し取ったり糸の色を揃えたりの準備が不要なので、即、作業に取り掛かれるのが嬉しい。 そしてこのキットでは、布裏に最初に接着芯を貼り付けるので、刺しゅう枠を使わない。ふむふむ、そういう

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  • 「花糸」を使って、春の空を飛ぶ「気球」を刺しゅう - 一筋の光、降り注ぐ光。

    青空が広がる美しい春の日が、もう何日続いているだろう。機嫌の良い空を見ていると私の心身も朗らかになる。忙しい日が続いているけれど。 3月も終わる。TVはそんなに見ない方だが、好きなドラマの最終回とか、情報番組のキャスター交代などが重なって、なんとなく少し寂しい気持ちになっている。ここ数年、朝の家事のお供として馴染んでいた「あさイチ」も、メインキャスター3人が去ってしまう。 HSPの身としては、番組の終わりや9時のニュースの前に、ちゃんと話の区切りを付けられるのかハラハラすることが多く(ゲストが“自由”だったり、ゲストに質問する有働さんが“チャレンジャー”だったりで・笑)、この番組の進行のアバウトさはちょっと苦手とも言えるのだが、全体の雰囲気が緩いところ、イノッチが優しくて感じ良いコメントをするところ、根底にある考え方が真っ当であるところが、実は心地良かった。たくさん和ませてもらえたことに感

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  • 「ひとり暮らし」してた、懐かしい町へ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    最近、「ひとり暮らし」という言葉が、私の頭の中を巡っている。次女が「そのうちひとり暮らしをする!」宣言をしたり(時期等未定)、大学生になった姪っ子が、岐阜の実家を離れ、我が家の近所でひとり暮らしを始めたりしたせいだろうか。 新聞広告で見てなんとなく気になっていた『ていねいなひとり暮らし』(shoko著、すばる舎)を買い、あらこの人もご近所だわ、どんな方かしら、などと思ってみたり。ひとりでも、こんな風に丁寧にスッキリと暮らせるなんて偉いなあ、と感心してみたり。 (その後、インスタグラムでshokoさんはふたり暮らしとなりお引越しをしたと知る。おめでとうございます!お幸せに♡) ホント、こんな暮らし方できなかったな、私には。 20歳の3月から26歳の8月までの約6年半、ひとり暮らしをした。最初の半年は会社の寮で、後の6年間は目黒のアパートで。 先日、1泊2日で上京した折、ふと気が向いて、このア

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  • 虎にマーブルチョコレート - 一筋の光、降り注ぐ光。

    遠く離れて暮らす老親問題。最近、雑誌や書籍の広告などでよく見かけるテーマだ。多くの人が抱えている問題なのかな。それとも自分が気にしていることだから、目に飛び込んでくるのだろうか。 私と弟も、そろそろ今後のことを話し合うべき時期だねと思いつつ先回しにしていたところ、ついに主に父の要望で小さな家族会議をすることになり、先日、実家に集合した。 やはりテーマがテーマなので、楽しい帰省ではなく、はっきり言って気が重かった。 かかりつけ医や病歴を訊き、健康保険証、障がい者手帳や年金手帳、通帳などの保管場所を尋ねる、くらいはまだ良いが、どんな最期の迎え方がしたいか、脳死状態での経管栄養や人工呼吸での延命措置を望むか、危篤時は誰に知らせてほしいかなど、「そのとき」を意識せざるを得ない話になってくると、気分が悪くなってきた。 私が作っていった簡単なレジュメには、その先に「先立たれたとき」の話もある。両親のど

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  • 母に長い手紙を書く - 一筋の光、降り注ぐ光。

    私にとってとても貴重な、「あれもしたい、これもしたい」の5月が始まっている(そういえば今月から令和ですね)。体調を崩してのスタートだったけど、今は元気。膝の痛みも耳鳴りもなく、肩凝りすらない。どうしたの?っていうくらい、絶好調。ただ、忙しい。 先日の日曜日、友人夫婦に誘われて、ベルギービールのお祭りに行った。待ち合わせの時間より少し早く着き、最寄りのデパートで母の日のプレゼントを物色。花の寄せ植えを選んだ。 配送を頼むと、翌日か翌々日、届いてしまうという。そうか、花は生ものだものね。ネットショッピングで麻痺してしまっていたが、お届け日は選べないのだ。母の日よりだいぶ前についてしまうが仕方ない。 それで、火曜日の夜、母から「ありがとう、届いたわ」と電話があった。母は携帯電話もスマートフォンも持たないので、いつも家の電話から我が家の固定電話にかけてくる。 この固定電話、だいぶ前から調子が悪く、

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    tsukikana
    tsukikana 2020/12/09
    母に手紙を
  • ハッピー探偵ドゥードゥー?―2歳児のいる景色 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    金曜日に、私の住む東海地方は梅雨入りした。洗濯物と空を見比べてため息をつく日々がまた始まる。洗濯物、増えたしなぁ。 遠方に暮らす長女が、2歳の娘とともに我が家にやってきて1週間。我が家の暮らしはがらりと変わった。小さい子のいる毎日って、こんなに慌ただしかったっけ。 私、曲がりなりにも子どもをふたり、育ててきたはずなのに、もうすっかり忘れている。困惑の連続だ。1時間くらい一緒に遊ぶのなら楽しいのだけどね。きりがないから困ってしまう。ニコニコしてたと思ったら急に機嫌が悪くなったりね。相手をするのもなかなか大変。 自分の時間を作り出すのは至難の業になりつつある。家事の量も倍増し、いつもご飯と洗濯の心配をしている。12キロを抱っこして歩くのもかなりこたえるし、若い頃のような体力はないと思い知った。くやしい。 今、私がダウンしたら大変なことになるので、疲れやストレスをためこまないように気を付けなくて

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  • 娘の巣立ちに揺れたけれど - 一筋の光、降り注ぐ光。

    次女が家を出てから2週間になろうとしている。 この秋、7人で暮らし、MAX8人いた日もあった家に今、夫婦ふたり。この落差! 娘のチェストや棚、そして大量の服とが消えた。この引越しに乗じて私も少し断捨離。まだ片付けは完全に終わらせていないが、ずいぶん広くなったと感じる。うちってこんなに広かったかしら。 いろいろあって、前の家から引越してきたのが4年前のこと。それから3人で頑張ってきた。当に仲良く頑張ってきたよねと、思い出せばまた涙が出そうになる。大変だったけど楽しかった。次女のおかげだ。 4年9ヶ月前の長女に続き、私の大切な宝物がまたひとり、手元から巣立っていった。 25歳。決して遅い独立ではない。私は20歳で家を出ている。前からひとり暮らしに憧れていた次女には、「いつでも出て行っていいんだよ」と伝えていた。 自立したいという気持ちは大切だし、応援しようと思ってきた。今だってそう思ってい

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  • 母の入院で事態は急展開―遠距離介護が始まった - 一筋の光、降り注ぐ光。

    母が歩く夢を見た。 退院した母が、土間のような場所に立ち、そこから明るい外を見て 「あらぁ」 と嬉しそうに、ゆっくりと、薄桃色の紗がかかったような春の庭に出て、表の道を歩き出した。 杖もなしで、父の肩に手を掛けて。 「待って」 と私は慌てて追いかけ、母の手を取った。 「お母さん、歩いているじゃない、すごい!」 と私が驚くと、微笑んだ母。 「良かったぁ。治ったんだね。もう歩けないかと思ったよ。怖かったよ」 と私は涙ぐむ。母の手を両手で包む。 良かった・・・という自分の声がもう一度、私の口から出かかったとき、眠りの淵からこちらに戻ってくる感覚がわかり、私は絶望を感じた。 いやだ。目覚めたくない! ずっと、夢の中にいたかった。 寝つきの悪い日が続いている。明け方、ようやく眠れても、妙な夢を見て目覚めることが多くなった。しかし、母の夢は初めてだ。淡い光に包まれた母は、とても綺麗だった。 現実の母は

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  • 50'sの恋人たち―母の青春時代 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    私の知っている母は、当然ながら私がもの心ついてからの人物で、それ以前は未知の人だ。若き日の母は、古いアルバムの中でしか知らず、それは子どもの私にとってすでにセピア色だった。 少女の頃、私は、母によく若い頃の話をしてほしいとねだった。どんな女の子だったの? 中学・高校時代はソフトボールの選手で、セカンドを守っていたこと。高校卒業後は、幼稚園の先生をしていたこと。洋裁学校に通い、服を作っていたこと。フォークダンスや社交ダンスが得意だったこと。 父とはそのダンスを通じて高校生のときに知り合い、長くグループ交際をしていたのだとか。父との馴れ初めを話すときの母の表情を、今も思い出す。少し照れたような、でもちょっと誇らしいような。 私が高1くらいだっただろうか。ファッション雑誌で1950年代の特集を読み、母の青春時代の服装がとても素敵だと思った。 ウエストを絞ったサーキュラースカート。オードリー・ヘプ

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