ブックマーク / tsukikana.hatenablog.com (138)

  • 温かい法事と、辛い帰省(後編) - 一筋の光、降り注ぐ光。

    陽を受けて輝く新緑が美しい。 私の大好きな5月が始まった。 今、ゴールデンウィークの真っ只中。コロナ禍による行動制限のない3年ぶりの大型連休だということで、どこも賑わっている様子だ。 私は……今年も遠くには行かないつもり。混雑は昔から苦手で、不要不急でなければ人込みは避けたいタイプ。それにやっぱり、まだちょっと感染が怖い。 だからこそ、GWになる前の週に、新幹線に乗り清水に行ってきたのだった。 ✻この記事は、前回の記事↓の続きです。 tsukikana.hatenablog.com この前、清水に行ったのは3月の第2週。つまり1か月以上、誰も住んでいない家を放置してしまっていたことになる。4月も慌ただしかったが、3月も忙しかったのだ。塞ぎこんでもいたし。 夜になっても灯りもつけてもらえず、朝になっても雨戸も開けてもらえない。あの家が今、そんな状態にあることに、私は落ち着かない気持ちになる。

    温かい法事と、辛い帰省(後編) - 一筋の光、降り注ぐ光。
    tsukikana
    tsukikana 2022/05/03
  • 温かい法事と、辛い帰省(前編) - 一筋の光、降り注ぐ光。

    今日は父母の月命日。 慌ただしかった4月が終わろうとしている。 先週末、清水から帰った後、私は体調を崩してしまった。ようやく回復しつつあるが、今日のような曇天の日は頭が重く、欲がない。 気温のアップダウンの激しさ、ころころと変わるお天気。 美しい日も多い4月だが、夏へと向かうこの季節のあらゆる変化が、還暦を超えた体にこたえる。「自愛」はもう、日常となっている。笑 弟の暮らす岐阜の地で、過日、父の四十九日の法要が執り行われた。 前日には関西で暮らす長女一家5人が我が家に来て一泊。普段、夫婦ふたりで静かに生活している私たちにとって、それは一大イベントだった。次女も来たので全部で8人。狭い家に、よく泊まれたものだと思う。 当日は快晴。クルマ2台で岐阜の山あいのお寺を目指す。ちょうど桜が見頃で、裏木曽街道を走りながら、川沿いを彩る花の美しさに、何度も歓声を上げてしまった。 法要でも、その後の納骨

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  • お父さん、ごめんね・・・ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    満開の桜並木を歩いていると、自分はこのまま異世界に抜けていくのではないか、と思えるときがある。 毎年、飽きもせず同じような写真を撮ってきたが、今年はあまり気が乗らない。ただ、見つめて、見渡して、桜を感じながら歩いていたい。 桜に限らず、今を咲き誇る花々をちゃんと見て、褒めてあげたいと思う。“今”を意識して心に刻みたいと思う。来週のことはもう、わからないから。来年また見られるとは、言い切れないから。 外を歩いているとき、杖をついた老婦人を見掛けると、思わず駆け寄りそうになる。そんなことがここ2年ほど、よくあった。 ああ、お母さんじゃないんだ。 ああ、お母さんはもう、いないんだ。 気がついて、ぼんやり歩いていた自分に呆れ、その後、寂しい気持ちになる。 これからは、体形が父に似た老紳士を見掛けても、ふと駆け寄りそうになるのかな。 ああ、お父さんじゃないんだ。 ああ、お父さんはもう、いないんだ。

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  • 癒えていく朝―散らばり踊る光たち - 一筋の光、降り注ぐ光。

    お日さまのパワーってすごいな。 これまで生きてきて、何度そう思ったことだろう。特に冬場は、体を温めてくれたり洗濯物を乾かしてくれたり、お日さまには助けてもらうことばかり。 心にまで染みわたるような優しさや明るさ。雨や薄曇りの暗い日が続いた後などは、朝の光がどれほど素敵なものだったかを、感謝とともに思い出す。 日光は誰にでも平等に降り注ぐ。そして、誰もが無料で享受できる。なんと素晴らしく、ありがたいことか。 ヒューレン博士が永眠された。 その訃報を知ったのは、先週の月曜日。清水でひとり暮らしをしている父の元に行く、新幹線の中だった。 今回の清水行きは、心臓のペースメーカーの電池交換手術をする父のため、入院準備や退院後のサポートをするという、いつもより重いミッション。電池交換自体はさほど大変な手術ではないが、なにしろ89歳という高齢で、複数の持病がある。何があるかわからない、という不安がずっと

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  • ワントーン明るく! - 一筋の光、降り注ぐ光。

    家の窓から遊園地の観覧車が見える。 クリスマスあたりから日が暮れるとライトアップされ、毎晩これを見るのが、冬の間の私のちょっとした楽しみになっている。 小さな光のつぶが、指輪のように円形に並んできらめき、とっても綺麗。色はグリーンとゴールド。ところどころ、赤いつぶも配置した可愛い指輪だ。 これ、ごく近くで見たら印象が変わるのだろうなあ…とも、実は思う。夜に観覧車のそばまで行ったことはなかったけど、多分そうだ。 冬の冷えた空気を通ってここまで届いた光。寒風を抜けて、星のようにまたたいて。だからきっと、私の好みの色と、控えめな輝きになっているのだと思う。 透明感のある色味が好き。 光を通したステンドグラスとか、江戸切子のカットグラスとか。クリスタルガラスの淡色のビーズも見惚れる。いや、ビー玉やおはじきだっていい。 思うに私、色のついたガラスが好きみたいだ。それを光にかざして少し色を飛ばし、輝き

    ワントーン明るく! - 一筋の光、降り注ぐ光。
    tsukikana
    tsukikana 2022/01/12
  • ときめくモノ、ときめくコト - 一筋の光、降り注ぐ光。

    初雪の後の、深い青空が眩しい。 今年最後のゴミ収集日に追い立てられるようにして、年の瀬の家事の手順を考えたり、買い出しを計画したりしてきたが、今日は、最後の収集日。ゴミが大量に出そうな片付けや掃除や買い物はもう諦める。考えないようにする。笑 大掃除なんて、ほどほどでいいのだ。まあまあ頑張ったので、こうして深呼吸する空気は美味しい。お尻のあたりに神経痛みたいな痛みが続いているし、無理をしないでおこう。 毎年のことだけど、当に12月って気忙しい。「今年の汚れ、今年のうちに」なんてCMの歌は、呪いの言葉のように聞こえる。そんな呪文に耳をふさいで、「忙しい忙しい」なんて口癖とはサヨナラして、楽しいことを考えよう。 楽しいこと。 最近、楽しいと思ったのは、クリスマスのランチだ。夫が、握り寿司をふるまってくれた。 お寿司を握ってくれたのだ。いなり寿司でも太巻きでもちらし寿司でもなく、握り寿司。 ウケ

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  • 物語のはじまりを予感したあの日―とあるクリスマスの思い出 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    東京でひとり暮らしをしていた20代の頃、生活情報紙の記者が生業だった私。いろいろな取材をする中で、素敵なお店を見つけて紹介するという仕事が、結構好きだった。 取材先は、自分で探したり、編集長や先輩、読者に勧められたりすることが多かったのだが、「是非紹介して」という、お店側からのお願いもたくさん届いた。 まだメールもなく、Faxすら出始めの頃。ほとんどが郵送で、しかも手書きの手紙が多くて。その中で、文面から「これは面白そう」と思った所には出向いていくという、そんなのどかな時代だった。 あるお店の話である。もう名前は忘れてしまったが、是非、バスに乗って取材に来てほしい、とハガキに書かれていたことで、興味を持った雑貨屋さんがあった。 それはクリスマスシーズンのことで、渋谷区の代官山を走るそのバスからは、とても素敵な街の様子を眺められるから、記者さんに雰囲気を味わいながら来てほしい、というのが理由

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  • 父と柚子と薔薇と - 一筋の光、降り注ぐ光。

    柚子ジャム、というものを初めて作った。 先週、父のサポートで清水に行った折、父が庭の木からもいで、持たせてくれたものだ。たくさんあるので、ジャムでも作ろうかな、と思った次第。 12個(約700㌘)をお湯で洗い始めた途端、爽やかな芳香が漂い始める。半分に切り、タネをフォークで除き、果汁をボウルに絞る。もう、家中が柚子の香りに満たされた。 そうそう、取り除いたタネは、煮込むときに使うので(ペクチンを利用してトロミをつける)、捨てずに大事にとっておく。 果汁を絞った後の半割りの柚子から、指で中身を取り出し、皮の内側の白い部分を小さなスプーンでこそぎ取る。白い部分は苦みの元となるそうで、これは捨てるけど、取り出した中身の方は、後で絞るのでとっておく。 こそぎ取るのは、結構大変なのだ。繊維もたくさんあって、なかなかきれいに取り除けない。12個使ったので、×2で24回これをやるわけで、この作業にはとて

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  • 糸の誘惑?刺し子する喜びを知ってしまった - 一筋の光、降り注ぐ光。

    私は今、刺し子にはまっている。……のかもしれない。 自分としては、ちょっと意外なのだ。刺しゅうはずっと前から好きだけど、刺し子には多分、行かないだろうと思っていたので。 1年前のちょうど今頃だ。次女と一緒に手芸店に行ったとき、刺し子のコーナーも覗いてみた。少し前にInstagramでとても素敵な刺し子作品を目にして、それがずっと心に残り光っているのを自覚していたから。「ああ、これが刺し子なのね」と、私は見の花ふきんを見つめた。 もちろん、刺し子というものは知っていたし、何となく惹かれるものはあったけれど、それまで自分と縁があるように思えなかった。でも、試しにやってみようかな、という気持ちになったのは、あのインスタの美しい画像が目に焼き付いていたからに他ならない。 何もわからないままに悩みながら、花ふきん用の晒布(水で消える図案が印刷されている)と刺し子糸、刺し子用の針をなんとか選び、私は

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    tsukikana
    tsukikana 2021/11/12
    刺し子
  • 懐かしい町をトコトコ歩く―名古屋・覚王山界隈 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    今日も、日差しが強く夏のように暑かった。10月に入ったというのに、どうかしている。 それでも、空を見れば明らかに秋の色で、数日前から「もうそろそろ咲いて良い?」と言いたげに、金木犀が香り始めた。遠慮がちみたいで、ちょっと気の毒になる。 宣言が解除されてすぐの週末、青空に誘われて散歩に出かけた。いつものご近所散歩ではなく、夫と共に少しだけ離れた場所に出向き、歩いた。それこそ、「もうそろそろ良い?」という感じでの、遠慮がちな外出だけど。 地下鉄東山線の「覚王山」界隈。実はこの辺り、以前住んでいた町からはそう遠くない場所で、家からここまで歩いて来たことも数度ある、お散歩コースのひとつだった。6、7年ぶりに訪れたので、ちょっと懐かしさを覚えて嬉しくなる。 お釈迦様の御真骨が眠る日唯一のお寺で、超宗派の寺院である日泰寺。この大きなお寺に続く参道には、味わいある古い商店とともに新しくできたカフェやシ

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  • 7冊目も、宝もの―ホ・オポノポノ手帳2022 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    毎年、9月になると、来年の手帳の広告を目にするようになる。 ちょっと素敵なデザインだったり、目新しいコンテンツが加わっていたりすると、お洒落だなあ、面白そうだなあと興味を覚えるけど、私は今年も迷わず、ホ・オポノポノ手帳を購入した。 これで7冊目。 去年までの手帳をデスクの上の棚に並べている。5年くらい前までのことって、わりと頻繁に記録を頼ることが多いので(私の場合)、こうしておくと便利なのだ。背表紙が揃って、なかなか美しい佇まいだと思う。 一番最初の2016年版を取り出して、パラパラとめくってみた。意外と書き込みが少ない。その前年までは、もう一回り小さい文庫サイズを使っていたから、まだ使い慣れていない、という感じだろうか。 それでも、新しい手帳に親しんでいこうという気持ちが強かったことを思い出す。手帳を買ったことは、ホ・オポノポノとの出会いそのものだったから。 tsukikana.ha

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  • そろそろ、歩こうではないか♪ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    季節の移ろいはなめらかではなく、後戻りしたり一気に進んだりして、人々を戸惑わせる。 この先まだ、暑い日も戻ってくるそうだが、今日などはだいぶ涼しい。朝晩はもうすっかり秋の気配だ。最近の私は、ほっとするような寂しいような、この時期ならではのちょっと落ち着かない気分になっている。 今まさに、去っていく夏。 ・・・夏のうしろ姿は、他の季節のそれよりも哀愁たっぷりに見えるのは、何故なんだろう。 さて。 と、夏を見送っている自分の姿を、今、改めて見てみる。 これはやっぱり、ちょっとまずいよね。 わかっていたのだ。ずっと引きこもっているも同然だったのだから。猛暑だったり長雨だったりで、今年の夏も大変だったし。もちろん感染のリスクも避けたかったしね。 それでも、夏の間、家でちゃんと筋トレすればいいと思っていた。そのつもりだった。なのに、腰痛やら膝関節痛やらが続き、ヨガのゆるい動きすら、それどころか簡単な

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  • オードリー・ヘプバーンという、特別な存在を思う―「尼僧物語」など - 一筋の光、降り注ぐ光。

    これほど“生きにくい”夏はなかった。 きっと多くの人が、そう思っているのではないかな。毎夏、生きにくさを感じている夏嫌いの私でも、これまでの人生でワースト3に入るくらいの辛い夏だ。 COVID-19の影響は、この夏、去年よりも複雑に、より不穏になった感じがする。 感染が収まってくるどころか拡大した。それだけでも大変なのに、考え方の「分断」が次々と露わになり、発言ひとつにも気を遣うようになった。このやっかいなウィルスに対しても、ワクチン接種に対しても、オリパラに対しても。その他の夏の風物詩的なイベントに対しても。 あまのじゃくな私は、熱く語られれば語られるほど聞きたくなくなるし、同調圧力には反発してしまう。一方で、誰かが「良し」としているものを、声高に「NG」とは言えない、自説に自信のない自分もいる。何を批判しても、振り返れば自分の行動に矛盾が生じる気がするし。 誰かに強制されるのは絶対イヤ

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    tsukikana
    tsukikana 2021/08/28
    Audrey Hepburn
  • プラタナス星の王女を見送った日 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    春まだ浅い、3月。 大安の日を選んで、彼は長女を迎えに来た。 遠距離恋愛だった。 当初、長女は大学生、彼は大学院生で、仕事を始めたらどうなるのかなと心配していたが、杞憂だったようだ。 「多分、結婚することになると思う」 と娘に言われたときは、ああ良かった、と思った。一方で、関西に行ってしまうことになるの?と、実はうろたえた私。今度は、私たちと遠距離になるの? それからが、早かった。 薔薇の花束のプロポーズに始まり、彼が家に挨拶に来てくれて、先方の御両親と顔合わせの事会をして、引越しの荷造りやら送別会やら、あれこれ忙しくしているうちに、ついにその日が来てしまった。 ✻薔薇の花のプロポーズについては、ここでも書いています↓ tsukikana.hatenablog.com もちろん、心から娘の幸せを願っていた。 4人で暮らせる残された時間の、日常の、どんなにささやかなことでも覚えていたいと、

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  • 父とスマートフォン―88歳のトライ&エラー - 一筋の光、降り注ぐ光。

    もしかすると7、8年くらい前から、実はスマートフォンに興味があったのかもしれない。父の話、である。 あの頃は、両親の住む清水に、年に1度か2度訪れるくらいだったが、行く度に父は、私のスマホをちょっと手に取った。 「買い替える?」 と訊ねれば、苦笑して首を横に振っていたが。 母の、何度かの手術と入院で、あの家にしばらく滞在することもあった。父と一緒にバスに乗って、毎日病院へお見舞いに行っていた、あれは何年前だろう。 バス停の後ろの新聞販売店の軒先に、ツバメが巣を作って出入りしていた。6月くらい、だったのかな。 バスを待ちながら話をしていて、何か、言葉の意味をふたりで思い出そうとしていた。私がおもむろにスマホのマイクに向かって言葉をしゃべり、その意味を即、導き出したとき、父は心底、感心したような顔をして見つめた。私でなく、スマホを。 スマホの画面を、2の指で拡大したときも、ほっほう!と驚き、

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    tsukikana 2021/07/23
  • 色合わせが素敵な「ABT」の6色セットで、短冊とポストカードを - 一筋の光、降り注ぐ光。

    絵を描くことは、ずっと好きだった。でも、ここ数年は、刺しゅうのデザインのためにちょっと描くくらいで、絵を描くことを楽しむ、というのを、もうずっとやっていない。 忙しかったり、他にもやることがたくさんあって、優先順位がそこまで高くなかった、のかもしれない。それでも、「絵を描きたいな」と、時々呪文のように口にしていた。 描くなら、何を?どんなスケール感で?画材は? うすぼんやりと考え、気持ちが乗ってくるのをなんとなく待っていた。 (今時はイラストやお絵描きといったらデジタルなのかもしれないけど、私は手描き) そんな折、ほぼ日さんのあるページを目にして、ドキン!とした。 www.1101.com これ、楽しそう♪ こういうペンを使って、思いつくままに、子どもがお絵描きするように遊んでみたい! トンボのグラフィックマーカー「ABT」。 金曜日に注文し、土曜日に届き、日曜日にはお絵描きをしていた私。

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    tsukikana 2021/07/06
  • 野鳥に会える森へ行きたい - 一筋の光、降り注ぐ光。

    梅雨の晴れ間もあるけれど、今日は曇天。これから雨になるらしい。空の暗さに気分も重く沈みがちになる。 日常の心配事は、ひとつ減ったらふたつ増える。そんな感じで、ちっとも心が晴れ渡らない。 でも外を見れば、こんな日にも小鳥は飛び、さえずっていて・・・ なんだかすごい。彼らはすごい。一生懸命、当たり前のこととして生きている。 小さく感心して、やがてリスペクト。 不思議なんだけど、ただそれだけのことで、少し心に日が差す。 先日、県内にある森林公園に出掛けた。野鳥が見たいし、森の空気が吸いたかったから。当は標高の高い山とか丘陵地帯の自然公園などに行けたらいいのだが、まだ緊急事態宣言中。県をまたいでの外出は控えるべきかなと、クルマで20分くらいの公園へ。 夫がレンタカーをパパッと手配してくれた。行き先があまりに近いので、6時間のレンタルで充分。近所にレンタカー屋さんがあって、当に助かっている。 我

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  • 初々しい歌唱に涙―西城秀樹さんのデビュー時からのアルバム復刻 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    デスクに置いたハンディ扇風機を付けると「恋の暴走」のイントロが脳内再生される。ドライヤーをスイッチオンすると「若き獅子たち」だ。いつからか、動作音がそう聞こえてしまうようになっている。 この3年間、どれだけ西城秀樹さんの歌を聴いてきたことだろう。すっかり耳がHIDEKI受信機になってる?我ながら可笑しいけど、悪くない気分である。 訃報の後、ファンに戻ったことを自覚して、その後、動揺と混乱の時期を乗り越え、今は気持ちが落ち着いている。時々は、不意打ちのように歌が沁みてきて、視界がにじむこともあるけれど・・・ 人の言動に惑わされず自分のペースで「推し」を推すことも、できるようになってきた。つまり、お金や時間のかけ方だとか、SNS時代のファン同士の繋がり加減だとか、そういうことで無理しない、悩まないでいられるようになってきた、ということ。 どの世界にも難しいことはあるね。作法もある。同じ人が好き

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  • 12歳の私へ―回想と戯れた日 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    早い入梅のために、大好きな5月が半分奪われてしまったような、ちょっとやるせない気分でここ数日を過ごしている。 ひょんなことからメルカリを始めることになり、出品できそうなものを探していた先日のこと。あっちの引き出し、こっちの引き出しと開けていくうちに、ふと手が止まった。 40年前、いやいやもう半世紀近く前の、古い“生徒手帳”を発見。 へええ、懐かしい。 生徒手帳って、中学、高校で毎年学校から配布されていたんだっけ。だとしたら何故、これひとつだけだけ残しておいたのかな、過去の私。 中学1年生。12歳。 あの頃の自分を、こんなに年月がたった今もまだ思い出せる。照れて薄笑いを浮かべながら、ページをめくった私。はた目にはきっと、不気味だね。 11㎝×7㎝、厚さ6㎜ほどの小さな手帳なのに、驚くほどの情報量。まず、そこに感心した。 学区地図、生徒手帳取扱い心得、校歌、生徒心得、服装規定、生徒会会則、生徒

    12歳の私へ―回想と戯れた日 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 物語を読むということ、書くということ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    を、あまり読まなくなってきたな・・・ そう感じ始めたのは、いつからだろう。 もちろん、全く読まないわけではない。は今も大好きだし。 けれども、かつてのように履歴書の趣味の項目のトップに「読書」と書けるかと自分に問えば、今はもうできない気がする。残念ながら。 40代の頃はまだ、通勤電車の中で文庫小説を読んでいた。降りる駅に気がつかず、乗り越して遅刻してしまったこともあった。鞄には常に、が入っていたあの頃。 転職をして、読む仕事の資料優先になって、それがきっかけで楽しみとしてのから少しずつ離れていったのかもしれない。仕事上の悩みも多く、忙しさもあって。 いや。単純に、視力の低下で細かい字にうんざりしてきたからかな、とも思う。老眼鏡をいちいち出したりしまったりは、なかなかに面倒くさい。電車での時間つぶしはスマートフォンに替わっていた。 現在は家にいるのだけど、多分、年に10冊も読

    物語を読むということ、書くということ - 一筋の光、降り注ぐ光。