「光る君へ」紫式部なぜ「源氏物語」執筆?道長要請説&原本残らずゆえの謎…時代考証・倉本一宏氏が解説
前回の続き。 五七五七七と言われるけれども、和歌・短歌には字余りという現象があって、5字ということになっている初句や第三句がときとして6字になったり、7字といわれる第二・第四・第五句が8字になったりすることがあるということはよく知られている。 ちなみに5字、7字といっているけど、これは正確には字数ではなく前回言ったモーラ数である。念のため。5モーラのところが6モーラになったり7モーラのところが8モーラになったりすのが字余りである。現代の短歌は破格に対して寛容なので、五七五七七も「入れたい言葉が入らなければ仕方ないので余ってもよい」程度のガイドラインにしかすぎないと思われているのかもしれないけれど、もしかすると「チョコレート」がオーケーなら6字でいいってことじゃない、といった字数とモーラ数の混同がそういう傾向を後押ししているという面もあるかもしれない。……が、「チョコレート」は5モーラなので
2019.07 あかで別れし花の名 山本啓介(中世文学) 2014.03 思案投げ首 片山宏行(日本近代文学) 2012.09 日本語研究の大海原へ 澤田 淳(言語学、日本語学) 2011.12 語構成の知識を生かした語彙学習 山下喜代(日本語教育学) 2011.12 都市文学としての西鶴小説 篠原 進(近世文学) 2011.01 昔の数詞を探る 安田尚道(日本語学) 2010.10 『古事記』はどのように書かれたか 矢嶋 泉(上代文学) 2010.02 夏目漱石『こゝろ』 日置俊次(近代文学) 2008.11 パロディと江戸文学 大屋 多詠子(近世文学) 2008.05 和歌というもの 廣木 一人(中世文学) 2007.10 <やまとことば>と物語 土方 洋一(平安文学) 1 文学史や日本史の教科書には必ず『古事記』という書名は載っていますし、小中学生向けの歴史系漫画シリーズにも編纂に関
『万葉集』には定訓を持たない歌がある。その中で最も有名な難訓歌が、額田王の九番歌だ。伊丹末雄の『万葉集難訓歌考』に「古来あまりにも名高い難訓歌で、千年に及ぶ幾多の学者の精密真摯なる研究にもかかわらず、今なお依然として明確には読み解けない」とあるように、大きな謎を残したまま今日に至っている。しかし、謎が深いほど解きたくなるのが人の性。千年以上の間、『万葉集』の巻一、早くも九番目にぶつかるこの歌は、突破したくても出来ない壁のような存在となっている。 九番歌は次のような題詞を持つ。 幸于紀温泉之時額田王作歌 これは「紀温泉に幸(いでまし)し時、額田王の作れる歌」と訓む。斉明天皇の紀温泉行幸の際、額田王が作った歌であることを伝えるものだ。次に、肝心の歌を記す。 莫囂圓隣之 大相七兄爪湯気 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本 これが俗に「莫囂圓隣歌(ばくごうえんりんか。莫囂円隣歌とも書く)」と呼ばれる謎
直近の第18回「岐路」では、道長の兄・道隆(井浦新さん)の死後に関白に命じられた道兼(玉置玲央さん)が就任の日に倒れ、7日後に亡くなるという「七日関白」が描かれました。 水野:こんなに早く、まひろ(吉高由里子さん)から母を奪った「かたき」でもある道兼が死んでしまうとは思いませんでした…。 たらればさん:玉置道兼さん、好感度最低からぐんぐん上げていって、上げきったところで舞台から退場……、というのが、演出だとわかっていても切ないし残念ですね。道長(柄本佑さん)が抱きしめる、という最期もすごかった。 水野:道長の父・兼家と、兄・道隆は妻が看取って、思い出に残る歌を口にして亡くなりましたが、今回は道長なんだなぁ…と思いましたね。 たらればさん:残酷でもあり、運命でもあり…、「藤原道兼」という、どちらかといえば知名度の低かった歴史上の人物が、ドラマを通して多くの人々の心に印象深く刻まれたと思うと、
平安時代を舞台にした歴史物語、『大鏡』。宮廷での熾烈(しれつ)な権力争いを、天皇や貴族のさまざまなエピソードを交えて描き出しています。万寿(まんじゅ)二年(1025)、雲林院(うりんいん)というお寺の場面から『大鏡』は始まります。「先(さい)つ頃、雲林院の菩提講に詣でてはべりしかば、例人よりはこよなう年老い、うたてげなる翁(おきな)二人、嫗(おうな)といきあひて、同じ所に居ぬめり」。菩提講という、念仏などを唱える会。集まった人々の中に、ひどく年をとった3人の老人がいました。 その中の一人は、190歳の大宅世継(おおやけのよつぎ)。古い知り合いと再会し、昔話に花を咲かせます。「年頃、昔の人に対面(たいめ)して、いかで世の中の見聞くことをも聞こえあはせむ、このただ今の入道殿下の御有様をも申しあはせばやと思ふに、あはれにうれしくも会ひ申したるかな」――長年、昔の知り合いと会って、世の中で見聞きす
さっき、Xにも投稿したけど、こっちにも書いておくわ。 自分は個人としては格別に漢文好き(このブログに、多くの証拠が残ってる筈だ)。 だからこそ、原則に返って問うけど… 【質問】教養を比べるなら、「漢文は読めないので、現代日本語訳で論語や史記や三国志演義を全部読みました」というのと、 「漢文の読み方は覚えました、それらは読んでませんが」、だと、どっちが「教養」あるの? これと同じことを、古代ギリシャ語やラテン語で考えてもいいわけだけど。 だいたい古文は甘えすぎなんや。古文や漢文以外にも、学校の教育に取り入れてほしいほどだが学習時間の確保ができずに無念さを噛みしめざるを得ない科目なんてゴマンとあるんや。「役に立ちます。春は揚げ物で笑えます」程度で認めてもらえるなんておかしいで。サンスクリット語をやりんさい。— 慈永祐士 (@jiei_yushi) February 29, 2024 これは本当
昨日かなり遅ればせながら、大河ドラマ「光る君へ」の第1回を観た。 力の入ったセットや小道具で、それらしい雰囲気が出ていてよかった。大筋で雰囲気が出ているから、細部にあるアナクロニズム(後の時代のものごとが紛れこむ時代錯誤)が、かえっておもしろい。 「光る君へ」の調度品のしくじりを発見。 藤原兼家の後ろの唐屏風に書かれている人物が明らかに清国人w(平安時代だったら宋代か唐代の人物のはずなのに)#光る君へ pic.twitter.com/zwc1jeaayX — 介 (@suke88887) January 7, 2024 視聴前にこのツイートを見ていたから、多少の先入観があったことは否定できない。けれども、過去を描くのにアナクロニズムはつきものだ。無毒なアナクロニズムなら、アナクロニズムとして美味しく楽しめばいい。 第1回は少女時代の紫式部の話。ちなみに「少女時代の紫式部」という表現もアナク
古典文法では過去や完了の助動詞がたくさんあるのに、現代語ではなぜひとつしかないのですか。 画像は『和漢朗詠集(室町中期写本)』上巻 16オ(国立国語研究所 所蔵)より 国語教育の古典文法では、過去の助動詞は「き」「けり」、完了の助動詞は「つ」「ぬ」「たり」「り」と説明されています。現代語文法では過去(完了)の助動詞は「た」と説明されています。 古文の「たり」の連体形「たる」から「る」が落ちて「た」になりました。 平安中期(10世紀~11世紀初)までの「たり」「り」の意味は、おおむね〈状態〉や〈動きのない過程〉を表しました。 「荒れたるやどにひとり立てれば」 (荒れている家に一人で立っていると) 『古今和歌集』巻四 237番歌 ここからどのように意味が変化していったかというと、大きく二つの道筋が考えられます。①〈過程〉から〈起動〉〈終結〉へ、②〈経歴〉から〈過去〉へ。 ①〈過程〉から〈起動〉
鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が手がけた源氏物語の注釈書「定家筆源氏物語奥入(おくいり)」の一部が見つかった。注釈書は国宝に指定されているが、少なくとも10ページ以上が欠損しており、今回見つかったのはそのうちの1ページ。池田和臣・中央大名誉教授が東京都内の古美術商から掛け軸に貼られた状態で購入し、定家筆源氏物語奥入の一部と確認した。 定家筆源氏物語奥入は、定家が家中の女性たちに源氏物語全54帖(じょう)を写させ、その際に各巻末に記した注釈部分だけを後に切り出して1冊にまとめたもの。今回発見されたページは縦16・7センチ、横14・9センチで、池田名誉教授が2年前、古美術商から「定家筆かもしれない」と聞いて掛け軸ごと購入した。調査すると、現存する奥入原本の近接ページにも、このページと同じ形の虫食い痕があったことや、書体も定家独特のものであることなどが分かり、定家筆と確
万葉の歌の改作について 小倉百人一首には、奈良時代の歌人の歌も選ばれている。そのうち万葉集に載っていることが確認できるのは二つだけだが、いずれも改作されている。改作は、百人一首に選ばれる以前に同じ藤原定家の選んだ新古今和歌集に載せるときにすでに行われている。持統天皇の「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」の元歌は「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」だし、山部赤人の「田子の浦にうちいでてみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」は、「田子の浦ゆうちいでてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪はふりける」である。なぜ、このような改作をする必要があったのだろうか? 二人の元歌に共通することは、実際に目にした光景への感動を率直に歌っているということである。持統天皇の元歌にある「ほしたり」は「ほしてあり」が短縮したものであり、「ほしている」ということである。衣をほしているのを実際に見て、
阿岐有任 / A. Alito @AcquisAlito いやほんとあの体験は凄かった 関西弁で読むだけで聞き慣れない古典単語や文法も感覚的に意味が通じるんだもの あの感動が忘れられなくて、阿岐の書く平安小説の登場人物はああいう口調なのです そしてこれは大学受験あまりに関西人有利では、と圧倒的不公平を感じもした 阿岐有任 / A. Alito @AcquisAlito だから関西圏の高校生には社会は日本史選択にしとけと思うし古典を出題する大学を受験しろと思う 平安京藤原京長岡京の位置関係を問う問題で悩まないでいいのは君らだけの福音なんだぞ門前の小僧ども! 世の中、単語帳で必死に覚えなければ「淀川」の河川名を忘れてしまう人のほうが多いんだよ?
現代文を古文っぽくします。 詳細 主に単語ごと、文節ごとの変換を行います。意訳とかしません。 目標は平安時代の言葉ですが、面白さ次第で他の時代のも使います。 当時存在しなかったものや固有名詞は基本そのままです。 あいさつも資料が見つからなかったので直訳します。誰か教えて。 英語とカタカナは現代日本語にしてから、可能なら古語に再翻訳します。 2語以上の英文は、漢文ではない何かに変換します。訓読すると楽しいかも。 言葉の区切りを間違えて、見当違いの翻訳をすることがあります。 句読点を入れる、標準語にする、漢字にする、などで改善するかも。 歌ってみて語呂が悪ければ、汝(なれ)、夜(よ)、誰(た)など昔の読みもお試しを。 創作に用いる際は、古語辞典や現代語古語類語辞典で調べ直すのがおすすめ。 「と」の前が連体形か終止形か、過去と完了の助動詞、「ねえ」が「無い」のか「あのね」なのかは、完全には区別で
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く