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従軍慰安婦に関するtwilightmoon99のブックマーク (2)

  • 「荻上チキ・Session-22」6月13日 - Apeman’s diary

    コメント欄や掲示板にて情報をご提供いただいていたTBSラジオ「荻上チキ・Session-22」の「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」(対局モード)、Podcastにて聴取しました。 注目ポイントはほぼ「秦氏がなにか目新しい主張を展開できるのか?」に絞られていたわけですが、やはり「いやもうそのはなしは終わってるでしょ?」なものばかりでした。よりにもよってアメリカ戦時情報局心理作戦班による「日人捕虜尋問報告 第49号」を持ち出したあたりは、「慰安婦」問題否認論者にもうまともな手札が存在しないことを証明したと言ってよいでしょう。「慰安婦」の身分についての吉見氏の主張(軍従属者)に対する備えが全くなかったのも特筆すべきポイントかと。 当ブログでは以前に、秦・吉見両氏の「事実」認識は実はそう隔たっていないとする東郷和彦氏の論評*1を紹介したことがありますが、この日も秦氏は当時の娼妓の(そして

    「荻上チキ・Session-22」6月13日 - Apeman’s diary
  • http://www.ajwrc.org/doc/yoshimi-shiryo.pdf

    9 (別紙1) 日軍・日政府による軍慰安所制度の創設・運用等に関する資料 Ⅰ.軍慰安所の設置と徴募。 ① 陸軍省は陸達第 48 号「野戦酒保規程改正」 (1937 年 9 月 29 日)において、 「野戦酒 保に於いては前項の外必要なる慰安施設をなすことを得」という条文を加え、軍慰安 所を軍の施設として設置できる改正を行った(引用文はカタカナ混り文。以下同様) 。 ② 中支那方面軍は、1937 年 12 月に、軍慰安所設置の指示を出している(飯沼守上海 派遣軍参謀長の日記〔1937 年 12 月 11 日〕には「慰安施設の件方面軍より書類来り実 施を取計ふ」とある) 。 ③ 北支那方面軍参謀長は、 「成るへく速に性的慰安の設備を整」えるよう指示している (1938 年 6 月 27 日「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件通牒」 ) 。 ⑤ 台湾軍司令官は、1942 年 3 月 12

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