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日本史に関するtwilightmoon99のブックマーク (5)

  • 側対歩

    一般紙で馬術に関する専門の話が紹介されるのは珍しいのだが、2005年9月19日の新聞に「母衣引き」と「側対歩」(そくたいほ)のことが 掲載されている。 古式馬術「母衣引」23日に披露 皇室継承…江戸時代の勇壮な様式美 雅楽や正倉院の宝物などとともに皇室で継承されてきた古式馬術の「母衣引(ほろひき)」が23日、世田谷区上用賀のJRA 馬事公苑で行われる「愛馬の日」のイベントとして宮内庁主馬(しゅめ)班によって披露される。戦国時代には合戦などで使われ ていながら、現在では目にする機会のない「側対歩(そくたいほ)」とよばれる馬の走り方も見ることができ、子供たちにとって 生きた日史の教材となりそうだ。 「母衣引」は、紋付きはかま姿の騎手2人が、木製の大和鞍(やまとぐら)をつけたそれぞれの馬にまたがり、背中につけた 長さ約10メートルの絹製の吹き流し「母衣」をなびかせながら疾走する。「ほろ」は戦場

    twilightmoon99
    twilightmoon99 2014/09/15
    「側対歩」の話
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    twilightmoon99
    twilightmoon99 2013/10/21
    「封印」されてもなければ「タブー」でもないようだがw、発生が近世ってのはどうなのか??
  • 「永禄六年北国下り遣足帳」について

    この史料は、当館が入手した「田中穣氏旧蔵典籍古文書」の中の一点で、中世の旅の記録として稀有なものであることから、『国立歴史民俗博物館研究報告』 第39集(1992年)で山光正氏とともに紹介した。 このほど企画展示「江戸の旅から鉄道旅行へ」(2008年7月〜8月)で原品を展示するのを機会に、全文の翻刻とその後執筆した解説論文「中世後期の旅と消費」をホームページに掲載することとした。なお、写真は「館蔵資料データベース」(※)に掲載されている。 (※ 「資料名称(漢字)」の欄に「遣足帳」と入力して検索) 「永禄六年北国下り遣足帳」釈文 (第一紙表) 永禄六癸亥年九月廿日 北国下リノ遣足 百文   笠取西庄越中ニ 樽代廿日ヨリ廿 二日迄逗留ノ礼 廿文 ヒルヤスミ 草津 八十文  ハタコ銭 守山 廿二日夕・廿三日朝 十五文  ムシロ 廿九文  昼休以下 四十八文 廿三日・廿四日ハタコ 石寺にて 四

  • いわゆる河野談話について|河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり

    Q いわゆる従軍慰安婦に関する官房長官談話(河野談話)が今、問題になっていますが、この談話が出された経緯を教えて下さい。 A 宮沢内閣当時、当事者による訴訟の提起や宮沢総理の韓国訪問時に盧泰愚大統領からの問題提起などがあり、関係諸国などから強い関心が寄せられました。 そのため1991年12月より、いわゆる従軍慰安婦問題に政府が関与していたかどうかを、警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省がそれぞれ調査し、その結果を1992年7月6日に内閣官房内閣外政審議室がとりまとめ、「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」として発表しました。 それによると、(ネット上に資料がないので下記引用します。誤字脱字があったらお許し下さい。) 「慰安所の設置については、当時の前線における軍占領地域内の日軍人による住民に対する強姦等の不法な行為により反日感情が醸成され、治安回復が進まないた

  • 武士の俸禄

    武士の収入源である俸禄表示は大きく分けて五種類あり、「三十俵二人扶持」など混合して表示されることがあり、どれだけの収入があるのかわかりにくい。ここでは旗・御家人の俸禄と計算方法について解説する。 ○武士の俸禄 武士の主な収入源は俸禄である。俸禄は家禄と職禄の合計で、家禄は先祖の功績によって決められている。足高制導入後は各役職の規定職禄以下の家禄の当主に家禄との差額分を在職中のみ支給した。蔵米取の旗御家人の場合は札差に手数料を払って屋敷まで運んでもらうか金に換金してもらった。 江戸中期に入ると家禄だけでは生活ができず、役職に就くことで役料を得て、どうにか暮らしていけた。出費の多い役職は、役職の出費に耐えられる裕福な旗に任命することが多かった。俸禄は物価変動に対応しておらず、江戸中期から米安諸色高(米以外の物価)になり実質収入は減り借金に頼るようになった。 藩士は国許から物価の高い江戸住

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