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批評に関するuboshiのブックマーク (16)

  • たった50字で批評気取り ? 問題 : Don't lose your temper

    「しねばいいのに」問題をちょろちょろ見ていて http://b.hatena.ne.jp/Leiermann/ この人のブックマークのトップにこんなことが書いてあった。 ・公の場での言動には公の場で批評される可能性を当然予期すべきである。 ・従って「ブックマークお断り」といった要求には全く同意できない。 ・逆に、ブックマークへの批評・言及を拒む権利も私にはあるはずもない。 んで、俺が気になったのは一番上のやつ。「公の場での言動には公の場で批評される可能性を当然予期すべき」というのはまったくその通りであるのだが、はてブの場合たった50字しか言及できないという制限がある。脊髄反射的に書かれた(書かれるものが多い)50字の文字列を「批評」と言われても個人的にははぁそうですかと思う部分がないわけでもない(立ち位置を明確にしておくと、俺ははてなブックマークはコメント機能さえなければとても良いサービ

    たった50字で批評気取り ? 問題 : Don't lose your temper
  • 伊藤剛のトカトントニズム - 芳崎せいむ『金魚屋古書店』に唾を吐け!

    某所に書いた原稿のアウトテイクです。 金魚屋古書店 2 (IKKI COMICS) 作者: 芳崎せいむ出版社/メーカー: 小学館発売日: 2005/08/30メディア: コミック購入: 2人 クリック: 12回この商品を含むブログ (140件) を見る 『金魚屋古書店』、私にはやっぱりダメでした。 しかし、どうにもマンガについての「語り」の場所には、『金魚屋』を批判しては「いけない」ような空気があると思うのです。「マンガを愛している限り、みんな仲間なんだから許される」という微温的な、そして極めて抑圧的な雰囲気です。「みんなが仲間でいられることの平穏を少しでも脅かすな」という、同調圧力的な、日的なファシズムを支えたそれです。70年代後半以降、ずっと持続してきたものでしょう。近年ではずいぶん薄れたと思うんですが、しかし、同時にこのエントリーをアップするのに、一定の勇気を必要としたのも、確かな

    伊藤剛のトカトントニズム - 芳崎せいむ『金魚屋古書店』に唾を吐け!
  • 『ハッカー宣言』への誤解説 : 白田 秀彰

    1 はじめに どこかの書評[*]で『ハッカー宣言』なるが出版されていることに気がついた。そこで、買ってみた。これがまあ、私にとっては困っただった。 [*] その書評を発見しました。ありがとうGoogle! まず、著者であるマッケンジー・ワークは、『ハッカー宣言』を『共産党宣言』 のパロディとして書こうとしているわけで、「階級」とか「剰余」とか「搾取」とか、 そういうイヤンな用語がいっぱい出てくる。いや、 これは翻訳した金田智之さんの趣味なのかもしれないけど。いずれにせよ、 「抽象的階級であるハッカーは、 抑圧され搾取されている生産階級と連合しながら 支配階級と闘うのだ!」 みたいなことを、なんとなくにでも期待されているのであるとすれば、 ハッカーの皆さんは「わぁ、えんがちょ!」 と言いながら逃げていってしまうと確信する。 [043] 長い目で見れば、 ハッカー階級の利害は抽象化の進展に

  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0984.html

  • 金沢美術工芸大学

    学問を好み、伝統を愛してその歴史を紡いできたまち、金沢。 工芸が今も生活のなかに息づくこの地は、ものづくりのまちでもあります。 金沢美術工芸大学は、戦後の困難な時代のなか、 人のつくる力を信じる金沢の市民が、その心でつくった大学です。 この大学には、「手で考え、心でつくる」ということばがあります。 ここで教鞭をとったある教員が残したこのことばは、ものをつくることが 「つくりながら、試み、考える」ことであること、 「心をこめて」行うことであることを教えてくれます。 この大学で、たくさんの先輩たちが 「つくりながら、試み、考える」ことを繰り返し、 「心をこめて」作品をつくりあげ、世界へ飛び立っていきました。 「手で考え、心でつくる」。 今日も金沢美術工芸大学では、このことばのもとで、 学生たちが学び、鍛錬を重ねています。 ものをつくること、そして ものをつくることについて真剣に考えること。 そ

    金沢美術工芸大学
    uboshi
    uboshi 2005/08/27
    「芸術は非日常とか現実を離れた所とかにあるのではなく、この現実の日常に内在する」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    木場公園の隣に咲く河津桜|春の訪れを感じる 春の陽気を感じながら、カメラを片手にゆったり散歩。 木場公園の隣に咲く“河津桜”は、見頃を過ぎても美しかった。 木場公園の隣に咲く河津桜 多くの観光客が訪れているのは、海外でも桜の開花情報がシェアされているからだろう。 後ろのマンションが日らしさを引き…

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  • 2005-03-11

    先日感想を書いた、四方田犬彦の『心は転がる石のように』の中から。 モーリス・ブランショが最晩年に刊行した『問われる知識人』で記した知識人の定義を、6項目に要約して紹介している。(p28-29) 記憶にとどめておきたいと思う文面なので、以下に引用する。 1 知識人とは、なによりも犠牲者について語る人間である。犠牲者が体験した不正義を世界に告発し、それに抗議する。しかし知識人は、けっして彼らを聖人化して、彼らを媒介として抽象的な正義を振りかざしてはならない。神秘主義は知識人の敵だ。 2 知識人は理論家と実践家の、ちょうど真ん中に位置している。ものを書くことと、行動することの、両方を行わなければならない。 3 知識人とは、作家であるとか、芸術家であるとか、学者であるといった、そもそもの専門から離れて、それまで自分に似つかわしくないと考えていたこととか、面倒臭いだけで少しも得にならないことを、あえ

    2005-03-11
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ナミビアの砂漠 冒頭カナ(河合優実)が「どうしたの、元気ないね、べてないじゃん」と女友達のドリンクを一口すくって差し出すのは自分もやりそうだと思う、何となく。「ぼく?」「すぐに?」とハヤシ(金子大地)の言葉をそのまま繰り返すのも自分がやりそうだと思う、分かってい…

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    uboshi
    uboshi 2005/08/26
    いいこと言うなあサイード先生
  • 読書の自由と解釈の不自由と (2)

    文学批評理論概論 1950-1980 3.作者はテクストの中に: ナラトロジーの仮想戦略 NC と構造主義によって徹底的に突き詰められた作品分析志向を洗練させたのが、70年代以降に急速に発達したナラトロジー Narratology である。手短に言えば、ナラトロジーとは、諸々の物語を分析し分類するための「包括的枠組み」を探求する学である。要するに、個別的な批評ではなく、物語一般についての学、それがナラトロジーである。ナラトロジーの代表 S. チャットマンが述べているように、彼等の理論的な土壌は、発表がこれまで扱ってきた二つの理論、即ち NC と構造主義である。それゆえ、彼らもまた、自分たちの両親に倣い、基的には「意図に関する誤謬」「情動に関する誤謬」を回避し、テクスト自体の分析についての理論を目指している。 彼等の大きな特徴は、必ずしも物語を言語的テクストには限定していない点である。

  • 読書の自由と解釈の不自由と (1)

    文学批評理論概論 1950-1980 序. 批評理論の批評と理論 発表で扱うのは、今世紀中頃から80年代に至る、英語圏を中心とした文学批評理論の動向の軌跡である。とはいえ、主要な理論全てを取り上げることは、単なる時間の制約という物理的理由もさることながら、発表者の知識の制約という根的理由のため、どうしたところで不可能である。それゆえ、対象の選択には発表者の知識・関心の偏向が強く働いており、また取り上げられた理論にしても、いたって概論的なレヴェルにとどまっているということは、予め断りを入れておこう。 言い訳はともあれ、発表の進め方とその基的視点を明らかにしておく。一口に批評理論と言っても、対象へのアプローチの仕方は多種多様である。そして、それらの理論をたた漫然と列挙した場合、一見すると絢爛豪華に見える発表にはなるだろうが、個々の理論が持つ問題意識や特徴、メリットやデメリットは捉えにく

  • http://homepage2.nifty.com/nishitaya/intro3c1.htm

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ベルギーに行った 先日、ベルギーに行きました。 マグリットの絵とルーベンスの絵を見るのが目的。 あまり時間もなく、ブリュッセルとアントワープを駆け足気味で巡ることに。 ミュンヘンから車で10時間近くかかり、なんでこんな無茶をしてしまったのかとも思いましたが、ヨーロッパの方…

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  • アンチガンダム種のガイドライン まっとうな批評をしてくれ〜アンチ種から学ぶダメ批評のガイドライン

    まっとうな批評をしてくれ〜アンチ種から学ぶダメ批評のガイドライン メニューに戻る ホームページに戻る 2chのガイドライン板に詭弁の特徴のガイドラインというのがあるので、それを使ってアンチ種をからかってみたのがあったのだが(そしてシャア専用板のアンチスレに勝手にときどき貼られ、その連中はけっこう簡単に釣られ(しかも教科書的予想通りの非難・ページ内で反論済みの言葉を返してき)たのだが)、書いてみたらガイドライン自体はまとまっていなくたいして面白くないことがわかったので、そのときから集めていた典型的な種批判をまとめなおしてみた。この手のパターンの真似をすればお手軽にアニメに限らず何でも叩けます。最低限、「評論」の最低基準は守ってもらいたいものだ。批評のふりをしたただの非難・中傷が多すぎる。下手な叩きは逆効果だっつーの。もっとうまく叩け。 メイン参考資料はaccessup.orgかな。SEED

  • 【まとめ】AMAZONレビューをめぐる著者とのやりとり: Lynceus

    夜はいま 07/12 タンジール 06/19 太陽に噛みつかれて 12/27 私たちは、私たちは学ばないということを私たちは学ばないということを自然とは学ばない 09/21 故郷 06/17 記憶なく欲望なく 06/06 stay eager 04/06 逃走について 04/05 永遠の一角 02/28 翻訳について 02/05 壁を貫く 12/28 死者たち 11/30 切実であること 11/17 歩いている 11/11 秘密の約束 10/27 期待の終わり 10/04 眼華 09/16 固有名をめぐって 09/14 時間を消す 08/23 思考の胎児 name:ysmnb 幸いなるかな、両の眼よ おまえが見てきたものは それが何であれ じつに美しかった 「ファウスト」 (リュンコイスの唄より) web AMAZONの『会社は誰のものか』という書籍のレビューについて、著者の方といろいろや

  • 「あの曲はダメ!」って言う5つのポイント | こどものもうそうblog

    「バロック」「キングオブワンズ」「ぷよぷよ」「トレジャーハンターG」「魔導物語」等のゲームを監督/脚/企画した米光一成のSite 以前書いた「「アンチオレンジレンジ」サイトが「オレンジレンジファン」サイトになってる理由」ってネタは、オレンジレンジの曲が良い悪いとは全く関係のないネタだったのだ。 でも、オレンジレンジの曲が良い悪いで、コメントが盛り上がってしまった。 曲の良し悪しの議論って、ただの喧嘩になっちゃって(それは、それでおもしろいかもしれないけど)、対話としては不毛な感じになりがちだ。 わざわざ「あの曲はダメ!」と主張するのなら、不毛な対話にならないように、戦略を練ってからスタートしたほうがいいだろう。 以下、 【不毛な議論に陥らず「あの曲はダメ!」って言う5つのポイント】 1・主観的な感想なら主観的な言葉を使おう 好きになれない、すぐ飽きる曲だ、といった主観的な感想を、「質が低

    「あの曲はダメ!」って言う5つのポイント | こどものもうそうblog
  • 2005-07-03

    要約:物事を多くの面から見た映画感想文は、映画の面白さを何倍にもしてくれるが、一方的な見方の映画感想文は、必要以上に映画をつまらなく感じさせる。 批評というのも定義がよくわからんので、とりあえずWebにあって無償で読める映画を観た感想文を、全て感想文と呼ぶ。 映画の感想文にもいろいろあるが、自分語りに終始するもの、批評家の意見を丸写ししたもの、映画の筋が理解できていないもの等をはぶくと、大きく二つに分けられる。 役に立つもの 役に立たないもの この場合の「役に立つ」とは、映画をより楽しむために多くの視点を提供してくれることを指す。観終わったあとでもその文章を読んで楽しむことができる感想文、それが「役に立つ」映画感想文だ。役に立つ感想文の面白さは、その映画があなたにとって「面白い」か「つまらない」かが関係ないところにある。つまらないと思えた映画の面白さを教えてくれる文章、損を得に変える映画

    2005-07-03
    uboshi
    uboshi 2005/07/16
    役に立つ文章が書きたいなあ
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