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哲学に関するukeyeのブックマーク (37)

  • フーコーの「権力」 - しっきーのブログ

    何が人間を「正常」と決めるのか。人が「正常である」という規範的な考え方を受け入れるようになるのはどうしてか、それを強制するのはどのような種類の権力なのか。 ミシェル・フーコーは同性愛者であり、「正常である」ということについて悩み続けた哲学者だった。そして、フーコーは人間の「真理」や「質」という考え方そのものを侵犯しようと試みる。 治療の逆説 フランスで狂人を監禁施設から解放したピネルという伝説的な人物がいる。彼のエピソードは事実の裏付けがない神話らしいが、多くの狂人を奇跡的な手際で監禁施設から救い出したと伝えられた。 自分のことを将軍だと信じきっている鎖に繋がれた狂人に、ピネルは自分の奉公人になってくれるなら鎖を解いてやろうかと提案する。すると奇跡が起こり、その狂人の中に忠実な召使の美徳が目覚めた。 ピネルが解放した患者は正気に戻ったわけではなく、ただ社会的なパターンに従って行動できるよ

    フーコーの「権力」 - しっきーのブログ
    ukeye
    ukeye 2015/06/08
  • 國分功一郎が選んだ、いま読むべき“哲学”にまつわる3冊|ブックス & ミュージック & アート(本・書評)|GQ JAPAN

    現代の政治ではなにが行われているのか。その原点を探るには、哲学を知ることが近道だ。哲学者・國分功一郎氏がさらっと読める良書をセレクト。 文・國分功一郎   写真・小嶋晋介 1 『斜めから見る─ 大衆文化を通してラカン理論へ』 著者 / スラヴォイ・ジジェク 訳 / 鈴木晶 ¥2,600 青土社 映画を通じて”哲学”を知る スロベニアの哲学者、スラヴォイ・ジジェクによる透視図法。難解と言われるラカン派精神分析学をわかりやすく解き明かす。ジジェクにはじめて触れるのにもちょうどいい一冊である。 2 『哲学初歩』 著者 / 田中美知太郎¥1,000 岩波現代文庫 入門書で基を学ぶ 哲学者・田中美知太郎による哲学の根問題を探り、哲学の究極において求められているものを探求する。初歩的な問題を解き明かしていく良書だ。著者は日西洋古典学会設立メンバーでもある。 3 『ソクラテスの弁明』 著者 / プ

    國分功一郎が選んだ、いま読むべき“哲学”にまつわる3冊|ブックス & ミュージック & アート(本・書評)|GQ JAPAN
  • 心理学史におけるカント Boring (1950) - えめばら園

    A History of Experimental Psychology. 作者:Boring, Edwin G.Prentice HallAmazon Boring, E. (1950). A History of Experimental Psychology, 2nd ed.. Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall. 13 German Psychology before 1850: Kant, Herbart and Lotze. Immanuel Kant ←いまここ / Johann Friedrich Herbert / Hermann Lotze 19 Act Psychology and the Austrian School 心理学史の古典からカントにかんする部分を翻訳しました(生涯はのぞく)。要点は二つです。 (1)カントはイギリス経

    心理学史におけるカント Boring (1950) - えめばら園
  • 『【再掲】素人による精神分析読解の問題(『フロイト全集 月報』)』

    最近、精神分析に対する自分の考えを表明してほいた方がいいかなと思うことがありました。 岩波版『フロイト全集』第19巻(2010年6月配)によせた文章をここに再掲します。 少し前の文章ですが、自分の考えは変わっていません。 素人による精神分析読解の問題 國分功一郎 フロイトは医者だった。一八八一年にウィーン大学医学部で学位を取得しており、一八八六年にはウィーンでクリニックを開業している。フロイトの名は精神分析から切り離せないが、これはフロイトが医者として患者に接するなかで自ら創始し、様々な変更を受けいれながら発展させていったものである。つまり、それは、彼がヒステリーや神経症に苦しむ患者を治療するために作り出した理論である。 すると次のような疑問が出てくるのは至極当然のことであるように思われる。たとえば筆者のような、医者でもなく、心の病の治療に携わるわけでもない人間が、フロイトの精神分析につ

    『【再掲】素人による精神分析読解の問題(『フロイト全集 月報』)』
  • ニセの問題の見分け方/ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』について - 学者たちを駁して

    上手に問題を出す 答えを出すことよりも質問することの方が難しい。質問の仕方が不味ければ正しい答えを出せるはずもないし、答えが見つからずに悩んでいる時は質問の仕方がそもそも良くない場合が非常に多い。或る問題が一向に解決を見ないのは、答えばかり知ろうと焦るあまりに、問題を上手に立てることをおろそかしているからではないだろうか。 ちきりんでも室井佑月でも、なんか学校でいた「この問題わかんないから答え教えて! 難しいことわからないので答えだけでいいから!」っていう友達思い出すんだよねえ。お前、答えだけ聞いてわかったつもりになっても、なんでその答えになるか考えられないと意味ないだろう、みたいな。— 津田和俊@てっぽう撃つでぇ (@kaztsuda) 2015年1月6日 たとえ正しい答えを知ることができたとしても、その答えを出すに至るまでのプロセスを知らなければ、学生がよくやる一夜漬けのその場しのぎと

    ニセの問題の見分け方/ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』について - 学者たちを駁して
  • あるマルクス経済学者のプロパガンダ(12)

    マルクス経済学者の松尾匡氏の連載『リスク・責任・決定、そして自由!』の新記事『旧リベラル派の「社会契約」という「ゴマカシ」』が出ていた。題は著作の宣伝な気もするが、社会保障を正当化する哲学的議論も紹介している。小うるさい哲学者と厚生経済学者が待ち構えている倫理の問題に踏み込んでいるのだが、幾つか大丈夫なのか疑問に思う所がある。ロールズの議論が理解されているのか疑問だし、規範的な議論を実証的に批判してしまっているし、「社会契約」と言う単語に固執しすぎているように思える*1。この辺の議論は平成24年版 厚生労働白書の第1部第2章に分かりやすい解説が書いてあるのだが、それを参考にしつつ問題点を説明したい。 1. なぜ社会保障制度に哲学的議論が必要なのか? 松尾氏に前段として書いて欲しかった事がある。社会保障でも全員が得になるパレート改善になるような制度は哲学的な議論なしで、だいたい正当化される

    あるマルクス経済学者のプロパガンダ(12)
    ukeye
    ukeye 2014/11/15
  • 「美学におけるエリート主義の問題」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Aesthetics For Birds: "The Problem of Elitism in Aesthetics" by Bence Nanay Bence Nanayがブログに書いていた記事。 (どうでもいいけど、英語圏のブログってゲストに記事を書いてもらうのをよくやってるけど、これあんまり日で見ないね) 前半は美学がハイブローな作品ばかり取り上げるせいで敷居が高くなってるという話。それはまあいいんだけど、後半がおもしろくて、そのせいで重要な哲学的問題が無視されているのではないかという指摘。 shipping(カップリング)の話を例にあげて、カップリング考察とか、今はこういうのが制作にも読解にも影響を与えてるんだという話をしている。さらっと紹介しているだけだが、実際これは制作者の意図とか読者の深読みがどこまで許されるかというのを考えるとおもしろい話(になりえる)と思う。 前にも書

    「美学におけるエリート主義の問題」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 「分析美学は薄っぺらい」という意見について思ったいくつかのこと - 昆虫亀

    先週末に美学会(九州大学)に参加してきたんだが、そこで(相変わらず)何人かの方から「分析美学ってなんか薄っぺらいよね」的なコメントを聞いたので、akadaさんのこの記事を読み返していた。 哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ 分析美学や分析哲学に対しては、一方の方々は「薄っぺらい」「深みがない」「当たり前のこと言ってるだけ」と感じ、もう一方の(とくに専門的にやってる)人たちは「議論が着実に洗練されていってるとても意義のある分野」だと感じている、というギャップがしばしば見られる。じっさい『分析美学入門』を翻訳したあとしばらく分析美学に対する批判や感想に耳をすましていたこともあって、「薄っぺらい」的な批判はたくさん聞いてきた。面と向かって直接言われたこともしばしばある。このギャップはどこから来てるんだろうか、という点は前々から気になっていた*1んだが、最近ちょ

    「分析美学は薄っぺらい」という意見について思ったいくつかのこと - 昆虫亀
  • 組織に蔓延する「前例主義」を哲学でどう打ち破るか? ほんとうの「哲学」に基づく組織行動入門【第3回】 | 組織文化/組織開発|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー

    変化の激しい現代、これまで通用していた前例が通用しない事態が増えている。しかし、失敗するリスクを恐れ、前例に囚われる組織は少なくない。組織が前例に囚われる理由を明らかにし、いかに変化を起こしていくのか考える。 組織が前例主義に陥る理由 西條 剛央(さいじょう・たけお)。 早稲田大学ビジネススクール客員准教授。2004 年早稲田大学大学院人間科学研究科で博士号(人間科学)取得。2009年より早稲田大学大学院商学研究科ビジネス専攻専任講師、2014年より現職。専門は組織心理学、哲学。2011年、東日大震災をうけて、独自に体系化した構造構成主義をもとに「ふんばろう東日支援プロジェクト」を設立、物資支援から重機免許取得といった自立支援まで50以上のプロジェクトからなる日最大の総合支援組織に育てあげた。2014年、世界的なデジタルメディアのコンペティションである「Prix Ars Electr

    組織に蔓延する「前例主義」を哲学でどう打ち破るか? ほんとうの「哲学」に基づく組織行動入門【第3回】 | 組織文化/組織開発|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
    ukeye
    ukeye 2014/10/23
  • 哲学にとってタブーとは何か?/デリダ『精神について』Ⅰを読む - 学者たちを駁して

    精神分析家としてのデリダ デリダは常に精神分析家の眼差しで哲学者を眺めている。彼にとって、哲学者とは何よりもまず神経症者であり治療の対象である。けれども、生きた生身の人間を治療すべき対象として扱うのは言うまでもなく大変に無礼なことだ。ましてや医者でも何でもない人間にお前はヒステリーだと言われ、治療が必要な病人として扱われたらふつうは怒る。だが、生前のデリダは勇敢にもその種の無礼を何度となく働いて相手を激怒させてきた。例えば、フーコー*1やサール*2との論争などはその典型例である。要するに、生者に対する精神分析はイヤラシイのだが、もちろんデリダはそうした"治療"が不可避的に孕む背徳性を十分に承知していた。自分と同時代を生きる人々について語るとき、彼がどこか遠慮がちに見えたのは多分そのせいだろう*3。 それに対して書『精神について』(1987年)でデリダが取り扱うのはハイデガーである。当時、

    哲学にとってタブーとは何か?/デリダ『精神について』Ⅰを読む - 学者たちを駁して
  • ウィトゲンシュタインの読み方『哲学探究』入門

    ウィトゲンシュタインを読むのは、認識の仕様が知りたいから。 中二病の宿題を終わらせる『論理哲学論考』で、彼がやりたいことを知った。日常言語を用いる限り、数学のように論理を引き出して直接扱うことは難しい。だから、せめて「ここまでは語り得ますよ」という限界を示すのだ。そして、言語の誤謬を避けるため、厳密に論理的なシンタックスに則った記号言語を構築してゆく。 これをリバースエンジニアリングすると、認識のモデリングになるのではないか、というのがわたしは目論み。人であれAIであれ、知性はどんなやり方で(自分も含めた)世界を理解しているのかが分かれば、すなわち意識とは何か、そして「私とは何か」に近づけるんじゃないかと。アフォーダンスや数学、認知科学の近辺をウロウロ読んでいる動機は、これなのだ。 ただし、『論考』のプロセスの論理学は厳密だ。完全な純粋さを目指すあまりとっかかりがない。plainすぎて摩擦

    ウィトゲンシュタインの読み方『哲学探究』入門
  • 梯子としての哲学 ――ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』について - 鳥籠ノ砂

    ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』は「語りうるものについては明晰に語りうるし、語りえぬものについては沈黙しなければならない」と述べている。これは思考可能なものと思考不可能なもの、というより表現可能な思考と表現不可能な思考の間に境界線を引いた上で、前者については明晰に語ると同時に後者については沈黙する営みである。そこで確認すべきは、言語を世界の像として捉えるウィトゲンシュタインの思考である。 ウィトゲンシュタインにとっての世界とは事実の総体であり、事実とは成立している事態のことである。これは、事態には成立しているものもあれば成立していないものもあるということだ。たとえば「彼女は駅前の喫茶店にいた」という事態は、成立している(=実際に駅前の喫茶店にいた)こともあれば成立していない(=実際は駅前の喫茶店にいなかった)こともある。このうち成立している事態、すなわち事実の総体が世界と

    梯子としての哲学 ――ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』について - 鳥籠ノ砂
  • 〈ドゥルーズの麻薬論〉――来たるべき薬理分析 - A Mental Hell’s Angel

    2014-01-04 〈ドゥルーズの麻薬論〉――来たるべき薬理分析 狂人の二つの体制 1975-1982 作者: G・ドゥルーズ,宇野邦一 出版社/メーカー: 河出書房新社 発売日: 2004/05/21 メディア: 単行 クリック: 7回 この商品を含むブログ (11件) を見る [時間がなかったため簡易的なレジュメです] ―― ■ドゥルーズ「麻薬に関する二つの問題」(『狂人の二つの体制 1975-1982』所収) ◆二つの問題 ・ドゥルーズが論点とするのは「麻薬固有の因果性」と「麻薬における「転換期」」の二点 1.    「麻薬固有の因果性」とその探求 ・「集合としての麻薬」の輪郭、麻薬総体の内包-強度→麻薬の質。ドゥルーズは「麻薬の種類の区別は「二次的」である」とし、その共通性を剔抉しようとする。ミルプラにおいてそれは時空間認知の変容、速度、分子的なものの知覚、また存立平面的なも

  • つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん:朝日新聞デジタル

    【構成・高久潤】電車に乗って周囲を見回すとスマートフォンをいじってどこかにつながる人ばかり。今の社会の特徴を「接続過剰」と呼ぶ哲学者の千葉雅也さんと、かつて「逃走」という言葉で消費社会の最先端を語った批評家の浅田彰さんに「つながる」社会の行方を聞いた。 【接続過剰とは?】 ――「接続過剰」とは、どういう意味ですか。 千葉 今のネット社会では、ささいなことまでソーシャルネットワーク(SNS)などで「共有」され「可視化」されている。スマホも普及し、生活の細部と細部がかつてない規模でつながる。「接続過剰」とはそういう意味です。 接続が過剰になると、相互監視に等しくなってしまう。ネット上での「楽しい相互監視」が、国家や企業が推進する「監視・管理社会」化を暗にサポートすることになっていないかと考えています。 SNSは、適度に参加すれば、アイデアを得たり、共に考えたりできますが、重要なのは「適度」で、

    つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん:朝日新聞デジタル
  • 「現代思想の源泉としてのキルケゴール ──生誕200周年記念ワークショップ」 : 高崎経済大学國分ゼミ公式ブログ(仮)

    國分ゼミナール主催でワークショップを開催することが決まりましたので、以下に告知させていただきます。 日時:2013年11月29日(金)、30日(土) 29日、13:00開会 30日、10:00開会 場所:高崎経済大学図書館ホール 主催:高崎経済大学國分ゼミナール 登壇者、および発表タイトル 29日13:00~ 藤野寛(一橋大学)・「キルケゴールの人と生――ヨアキム・ガルフ『SAK』を読んで」 串田純一(早稲田大学他非常勤講師)・「ハイデガーとキルケゴール、そして、」 長門裕介(慶應義塾大学大学院)・「実存の哲学と人生の意味の哲学:人生の時間的構造を巡って」 30日10:00~ 國分功一郎(高崎経済大学)・「初期ドゥルーズにおけるキルケゴール」 大橋完太郎(神戸女学院大学)・「操り人形の自律性――キルケゴールのイロニー概念の現代的意味をめぐって」 松卓也(自治医科大学)・「ラカンにおける「

    「現代思想の源泉としてのキルケゴール ──生誕200周年記念ワークショップ」 : 高崎経済大学國分ゼミ公式ブログ(仮)
    ukeye
    ukeye 2013/11/20
  • n11books.com

    Salah satu permainan yang menarik perhatian adalah Slot Presto!. Dengan tema sulap yang menawan, grafis yang memukau, dan berbagai fitur serta bonus, Presto! menjadi salah satu pilihan favorit bagi para pemain. Tema dan Desain Visual Pertama-tama, Slot Presto! menarik perhatian dengan tema sulapnya yang unik. Desain visualnya mencerminkan suasana pertunjukan sulap dengan latar belakang panggung da

    ukeye
    ukeye 2013/11/01
    絶対おもしろい気しかしない
  • 哲学者カントめぐる議論が白熱、相手に発砲 露

    独デュイスブルク(Duisburg)の歴史博物館に展示されたイマヌエル・カント(Immanuel Kant)の肖像画(2004年2月11日撮影)。(c)AFP 【9月17日 AFP】ドイツの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)の功績について、ロシア人2人が語り合っていたところ、議論が白熱しすぎたあまり、一方の男性が拳銃で相手の男性の頭を撃つという事件が起きた。地元警察が16日、ウェブ上で発表した。 警察によれば、この事件は15日の深夜、ロシア南部のロストフオンドン(Rostov-on-Don)で、露店で酒を買おうと列に並んでいた初対面の男性2人が会話を始めたことがきっかけとなった。この2人が18世紀の偉大な哲学者カントの著作と功績をめぐって口論を始め、どちらが彼のより熱烈な支持者であるのかを決めようとしたという。 かつてケーニヒスベルク(Koenigsberg)と呼ばれて

    哲学者カントめぐる議論が白熱、相手に発砲 露
  • 名古屋哲学フォーラム2013で発表してきました。資料公開。 - 昆虫亀

    先日、名古屋哲学フォーラムで発表してきました。 http://www.human.nagoya-u.ac.jp/lab/phil/forum/ 名古屋哲学フォーラム2013秋 テーマ: 美を語る資格があるのは誰だ? 心理学(脳神経美学) vs 科学哲学 vs 分析美学 日時: 2013年9月14日(土曜日)午後1時半より 会場: 南山大学名古屋キャンパスR棟R32教室 提題: 川畑秀明(神経美学・慶應義塾大学文学部准教授) 「脳は美の何について語り得るか」 森功次(美学芸術学・日学術振興会特別研究員PD(山形大学)) 「美的経験と価値判断との間にある謎:来るべき共同研究に向けて」 太田陽(科学哲学、特に実験美学の哲学・名古屋大学大学院情報科学研究科) 「哲学的美学と経験的美学」 ご来場できなかった方々のために、(ほんの)少しだけ追記したものを、upしておきます。 名古屋哲学フォーラム20

    名古屋哲学フォーラム2013で発表してきました。資料公開。 - 昆虫亀
  • 名古屋哲学フォーラム2013秋「美を語る資格があるのは誰だ? 心理学(脳神経美学) vs 科学哲学 vs 分析美学」 - logical cypher scape2

    日時: 2013年9月14日(土曜日)午後1時半より 会場: 南山大学名古屋キャンパスR棟R32教室 行ってきました。 名古屋は2度目。とはいえ、1度目は、他のところへの旅行の途中で立ち寄って名古屋駅の近くで昼べただけ。今回も、南山大学直行して、またすぐ帰るみたいな感じで、全然名古屋観光とかしてませんがw 地下鉄名古屋大学駅が、当に名古屋大学ど真ん中みたいなところにあるのにびっくりした*1。で、名古屋大から坂を登ったところに、南山大がある。歩いて10分かからないくらいのところで、この2つの大学がこんな近くにあるというのも知らなかった。 名古屋哲学フォーラム2013実況・感想など - Togetter 当日の実況の様子など、kasuhoさんがとぅぎゃってくれています。 ってなわけで、以下大雑把ながらどんなんだったか要約したり、感想だったり あくまでも僕がメモったものからの要約なので、誤

    名古屋哲学フォーラム2013秋「美を語る資格があるのは誰だ? 心理学(脳神経美学) vs 科学哲学 vs 分析美学」 - logical cypher scape2
  • 性と愛の構造 : HUSCAP

    哲学 = Annals of the Philosophical Society of Hokkaido University

    ukeye
    ukeye 2013/09/15