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身体と精神と哲学に関するumetenのブックマーク (325)

  • 夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見 | 現代人に突きつけられた「うつ」というメッセージを読み解く | ダイヤモンド・オンライン

    ――自分が当は何がしたいのかわからない。 前連載(「うつ」にまつわる24の誤解)の第16回でも取り上げましたが、現代の「うつ」において、このような悩みが浮上してくるケースが非常に多くなってきています。 今の社会では、幼い頃から「やらなければならないこと」を休みなく課せられてくることが多く、なかなか、ゆっくりと「やりたいこと」に思いを巡らす余裕が与えられていません。 そのうえ、外から「与えられる」膨大な知識を次々に記憶し、「与えられた」方法で要領よく情報処理することを求められるために、人々の多くは、「自分は何をしたいのか?」「これは当に自分がやりたいことなのか?」といった問いを持つこと自体に、不慣れになってしまっているようです。 しかしながら、このように「主体」を見失ってしまったという悩みは、現代人のみに見られる新しいテーマというわけではありません。これは、近代的自我の目覚め、つま

  • チベット仏教最高位カルマパ17世「ビデオゲームは感情を解放する知的な手段」 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

    チベット仏教最高位カルマパ17世「ビデオゲームは感情を解放する知的な手段」 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト
    umeten
    umeten 2009/10/16
    >私はビデオゲームを日常レベルの感情的セラピーだと考えています/ビデオゲームの中で生まれる攻撃性は/そうした願望を満足させてくれます。誰かの頭を殴る必要がなくなるのだから/とても知的な手段だと思います
  • 『責任という虚構』 - 障害・介助・外傷

    責任という虚構 作者: 小坂井敏晶出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 2008/08/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 234回この商品を含むブログ (32件) を見る 『責任という虚構』(小坂井敏晶 2008年東京大学出版会) 人間は主体的存在であり、自分のことは自分で決めて行動する。また自分で考えて自分で行動するからこそ、自分がやってしまったことについては自分で責任をとらないといけない。自分で責任をとってやっていかいないといけない。まぁ、それが一般に近代的な人間像であり、障害者の自立生活運動でもよしとされる人間像だ。障害者が自分で決めないと、自分で考えろよ、自分で決めてくれよ、とまわりからつっこまれることも、しばしば見かける光景だ。 ある人から聞いた話では、先日とある由緒ある障害者団体の総会で、70年代から自立生活をしているが結局「自己決定が何だかわからない」、と

    『責任という虚構』 - 障害・介助・外傷
  • (元)登校拒否系 - 2007-09-12 江川紹子さんのプレスリリースを読んで

    数ヶ月前に松智津夫さんのお子さんの一人の「未成年後見人」になった江川紹子さんが、辞任することを希望されているそうです。江川さんのサイトには、「未成年後見人の辞任について」と題された文章が掲載されていて、そこにはマスコミ向けに発表された文書も含まれています。 http://www.egawashoko.com/c006/000237.html 全国の難しいお子さんを抱える親の皆さんの中には、江川さんに羨望の念を抱く人もいるかもしれません。親は辞めれないけど、「未成年後見人」というのはイヤになったら辞めていいんですね。ま、裁判所に辞任を申し立てたということなので、簡単なものではないのかもしれないですが。 僕は、江川さんが件の未成年女性とどのような関係にあったのかということは知りません。また、アカの他人の「後見」などを引き受けることは一生ないだろうと思われる僕は、今回の江川さんの行動を非難する

    (元)登校拒否系 - 2007-09-12 江川紹子さんのプレスリリースを読んで
  • 46. ワイドショウが酒井法子の幼少期にこだわった理由。:日経ビジネスオンライン

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    46. ワイドショウが酒井法子の幼少期にこだわった理由。:日経ビジネスオンライン
  • 44. 「わかる」とは、因果関係をでっち上げることである。(前):日経ビジネスオンライン

    日直のボウシータです。昨日、出張から日に帰ってきました。 前回、「わかる」ためには「思いこみ」=「書いていないことまで読んでしまう癖」が必須である、ということを書いた。と同時に、「思いこみ」=「書いていないことまで読んでしまう癖」のおかげで、バックボーンの違う人の発言が「わからなく」なる危険もある、という話も書いた。そしてそのマクラとして、ちょっとしたなぞなぞ(問1)を紹介したわけである。 今回は予告どおり、もうひとつのなぞなぞを出してみよう。これもまた、「わかる」のもうひとつの側面を照らし出すものだ。

    44. 「わかる」とは、因果関係をでっち上げることである。(前):日経ビジネスオンライン
  • 議員会館の資料の片づけをしながら思うこと

    たった今、荻窪駅北口で選挙後初めての街頭報告をした。演説というより静かに話すという具合だったが、40~50人が立ち止まって熱心に話を聞いてくれた。政権交代は実現し、社民党も連立政権協議に参加することを決めた。もし、この地で当選出来ていたらバリバリと仕事が出来たはずだが、11万6723票を獲得しながら残念ながら議席にたどりつけなかった。だから、捲土重来できる次のチャンスを狙いますと訴えるのが普段の姿だが、今回は少々事情が違う。非議員であっても、新たにスタートする連立政権の仕事に関わることが出来るし、これをやるつもりだと訴えた。道路特定財源の支出にどんな無駄が潜んでいるのかを徹底解明したり、年金記録問題の最後の謎を解いたり、具体的なテーマには事欠かない。 今日は衆議院議員会館の部屋のかたづけを行った。約4年間、質問に次ぐ質問でかき集めた資料を「要」「不要」でより分けていく。何しろ、9月3日には

    議員会館の資料の片づけをしながら思うこと
  • 「日本の難点」は「感染」=転移で乗り切れ - いいんちょさんのありゃあブログ

    の難点 (幻冬舎新書) 作者: 宮台真司出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2009/04/01メディア: 新書購入: 28人 クリック: 233回この商品を含むブログ (227件) を見る 夏の暑さにかまけて、というかかまけているにも関わらず、こんな難解なを間違えて手に取ってしまった。 意外や意外、著者初の新書版らしい。僕は宮台真司のを実はあまり読んでいなくて、『終わりなき日常を生きろ』や『サイファ』ぐらいなのだけれど、最初読んだときはやはりこの人の書いている内容よりもなによりも、その文体が気にかかった。現在売れているのは売れているけれど僕の周りでは現時点でだーれも評価していない宇野常宏の例のは、明らかにこの人の文体の影響を受けていると思う。大塚英志などもそうだが、現在批評家として名の通った人は、文体で読者あるいはファンを魅了しているのだと思う。裏を返せば、魅力的な文体を持たな

    「日本の難点」は「感染」=転移で乗り切れ - いいんちょさんのありゃあブログ
    umeten
    umeten 2009/08/21
    >日本の「変革」に、もし人々を駆り立てることができるとすれば、それは「スゴイ奴」への「感染」なのだというわけだ  「小泉改革」ですねわかります。/あるいは今の「政権交代」
  • カムアウトをしない「自由」はない。クロゼットは「権利」ではない。 - *minx* [macska dot org in exile]

    イチカワユウさんの、「カムアウトするかしないかは個人の自由である」というエントリにコメント。 アメリカのアクティビストたちは、カムアウトしろしろというけど、そりゃあんたがアメリカにいるから出来るわけであって、日では当に特殊な人…学者とか学者とかゲイ雑誌の編集者とかゲイバーの経営者とか美容師とかアーティストとかフリーランスとか外資系じゃないとなかなかカムアウトしてアクティビストになるのは難しいんだよ…!と叫びたかった。もちろん、日でもごく普通の社会人や学生でカムアウトしている人はいる。でも、それはまだ少数であり、やはりまだカムアウトして常にオープンなゲイとして生きることは難しいのは事実だと思う。 ですから、人はいつ、誰に、どうやってカムアウトするかを自分で決めるべきですし、誰からもカムアウトを強制されるべきではありません。カムアウトしても、養ってくれるゲイリブ団体があるわけでもなし。人

    カムアウトをしない「自由」はない。クロゼットは「権利」ではない。 - *minx* [macska dot org in exile]
    umeten
    umeten 2009/08/19
    「カムアウトするタイミング」というのが、単に時間的問題であるような字面なので皆、誤解する。そのタイミングの要点は「カムアウトするための環境」と言うべき「予測される障害を避ける・クリアできる条件」のはず
  • 「逃げよ。しかし逃げながら武器をつかめ」 - 常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)

    登校拒否, シリーズ:自由と強制と(無)責任の政治学 逃げ方、避け方、守り方 (id:reponさん) いじめに耐える必要なんか無い。学校なんか行かなくていい。嫌な集団に取り入る必要はない。そんな集団に属さなくても、その子が生きられる集団はいくらでもある。それが、今のその子には見えていないだけなんだ。http://d.hatena.ne.jp/repon/20080407#p1 逃げ上手は生き上手 (小飼弾さん) まずは逃げろ。追っ手の手の届かぬところまで。そして自分を変えろ。強くたくましく。順番を違えてはならない。つらい現実にいても、それに耐えているだけで自分を変える余裕はなくなる。そうしているうちに、逃げる余力さえなくなってしまう。かっこ悪くてもいい。卑怯者でもいい。まずは、逃げろ。http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51031057.h

  • 福本修のホームページ

    「心の理論」仮説と『哲学探究』 アスペルガー症候群[から/を]見たウィトゲンシュタイン 福修 I. 小論で私は、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインLudwig Wittgenstein(1889-1951)の哲学的思索が高機能(アスペルガー型)自閉症者の経験構造の表現となっている(「示している」)ことを読むとともに、それが彼にとって極めてリアルであって、彼自身が自閉症的な様態に親和性のあることを論じたい。ここでの自閉症的経験構造一般の理解は、さまざまな仮説がある中で、障害を認知的な角度から見ようとする「自閉症者の『心の理論』欠損仮説」に基づいている。言い換えれば、焦点は記述精神病理学的な症状論の水準にないので、格的な自閉症の症状が彼に乏しいことは、この方向で考察を進める妨げとならない。彼にはすぐ思い浮かべられるような症状は見られないが、彼の対人関係には自閉症的挿話が満ちている。そしてそ

    umeten
    umeten 2009/08/12
    前にブクマしてたような気もするけど。サイトがリニューアルされたからか?
  • もうモンティ・ホール問題に悩まされないシンプルなやり方 - ねこの森へ帰る

    モンティ・ホール問題というのがありまして。 問題は次のようなものである。 プレイヤーは、3つのドアを見せられる。ドアの1つの後ろにはプレイヤーが獲得できる景品があり、一方、他の2つのドアにはヤギ(景品がなく、ハズレであることを意味している)が入っている。ショーのホストは、それぞれのドアの後ろに何があるか知っているのに対し、プレイヤーはドアの後ろの様子はもちろん知らない。 プレイヤーが第1の選択をした後、ホストのモンティは他の2つのドアのうち1つを開け、ヤギを見せる。そしてホストはプレイヤーに、初めの選択のままでよいか、もう1つの閉じているドアに変更するか、どちらかの選択権を提供する。プレイヤーは、選択を変更すべきだろうか? ゲームのルール 3つのドア (A, B, C) に(景品、ヤギ、ヤギ)がランダムに入っている。 プレイヤーはドアを1つ選ぶ。 プレイヤーがどのドアを選んだかにかかわらず

    もうモンティ・ホール問題に悩まされないシンプルなやり方 - ねこの森へ帰る
  • 【回答編】はてな民に確率の問題を出してみよう - Pashango’s Blog

    この記事は「はてな民に確率の問題を出してみよう」の回答編です。 まずは、そちらをご覧ください。 思ったよりも多くの方が答えていたので、少しビビりぎみですが頑張って回答編を書きますね。 問1の解答 この問題は「モンティホール問題」と呼ばれ、非常に有名な問題です。 マリリン・ボス・サヴァントというIQが228(!!)の女性が解いた事で知られています。 彼女の解答からすれば、 司会者が自動車のドアがどれかを知っているならば、彼はドアを変更するべき。 自動車が当たる確率は、変更した場合が2/3、変更しなかった場合が1/3 となります。 これを同僚に話したところ 「おまえ俺を騙そうとしてんだろ、どっちも同じ確率だよ」 と信じれくれません、どんだけ信用ないんだろうな自分、ちょっと悲しくなりました。 そこで私の補足説明を 「扉を選びなおして「外れ」となるパターンは、1/3の確率で最初に選んだ扉が「自動車

    【回答編】はてな民に確率の問題を出してみよう - Pashango’s Blog
  • はてな民に確率の問題を出してみよう - Pashango’s Blog

    こんにちは、今回は確率の話です。 以前、職場で余興として問題を出したのですが、ほぼ全員がこの問題を知りませんでした。 理系が多く集まる職場なので、意外にみんな知らないんだなぁと思ったのですが、今度はリテラシーの高い(と勝手に思っている)はてな民に問題を出したら、どうなるんだろうと純粋な好奇心が沸いてきました。 なお有名な問題ですので、答えを知っている方はあまりヒントを出さない方向で・・・ 問1 ティムはテレビのクイズ番組に出演し見事優勝をはたしました、優勝賞品の自動車をゲットするチャンスを得たのです。 司会者は言いました。 「ここにA、B、Cの3つのドアがあります。 1つのドアの後ろには自動車、それ以外の2つのドアの後ろにはヤギがいます。 ティムは1つのドアを選び、そのドアの中に自動車が入っていれば賞品をゲットできます。 もし、ヤギが入っていた場合はハズレです。 さぁティム、どのドアを選び

    はてな民に確率の問題を出してみよう - Pashango’s Blog
  • そろそろ「衆愚がどうたら」とか言うのはやめないか — 旧メイン・ブログ | Baldanders.info

    Web 2.0 がただのバズワードだと分かった今, そろそろ, あるサービスが「衆愚」かどうか論じるのはやめたらどうだろう。 私の Tumblr Dashboard の補足範囲にも, いまだに「衆愚がどうたら」とか言う記事が見受けられる。 たとえば「Google衆愚スパイラル」では 「Google以前のWebでは、信頼できる情報には多くの人から「これは信用できる」という情報とともにリンクが張られてきました。 間違った情報は批判を伴ってリンクされるか、単純に無視されて自然に消えていたのです。 ですが、今のGoogleの仕組みでは、間違った情報でも被ンクが多ければ上位に表示されてしまいます。 誤った情報、ゴミのような雑多な情報が簡単に流通してしまう。 これは、自動的に情報を収集しランク付けをするGoogleというシステムの欠陥です。」 などと書かれていたりする。 そもそもネットにおける「衆愚」

    そろそろ「衆愚がどうたら」とか言うのはやめないか — 旧メイン・ブログ | Baldanders.info
    umeten
    umeten 2009/08/01
    結局、「どのレベルで編集された情報を(無意識に)選択するか」という話か。すべての情報を「編集の結果」と見なすことも十分に可能。その場合、経験主義になる。が、それすらも自らの認知範囲の限界という編集作用
  • 人生の目標を20分で見つけ出す方法 | ライフハッカー・ジャパン

    『Personal Development for Smart People: The Conscious Pursuit of Personal Growth』の著者Steve Pavlinaさんは、自身のブログで、たった20分程度で人生の目標を見つける方法を紹介しています。 方法は以下の4つのステップです。 ステップ1: 紙を取り出す、もしくはワープロソフトを立ち上げる ステップ2:表題として「人生における当の自分の目標はなにか?」と書く ステップ3: この問いに対する答えとして頭に浮かんだことを次々列挙する ステップ4:泣けるまでステップ1~3を繰り返す。涙が出てきたらそれがあなたの目標。 答えを列挙するときは、文でなくフレーズやキーワードだけでもOK。 同じような答えが続いても構わないそうで涙が自然と溢れてくるまでどんどん書き続けることがコツ。一人になれる場所で集中して取り組むの

    人生の目標を20分で見つけ出す方法 | ライフハッカー・ジャパン
  • 「表現の自由を脅すもの」書評 - 地下生活者の手遊び

    表現の自由を脅すもの (角川選書) 作者: ジョナサンローチ,Jonathan Rauch,飯坂良明出版社/メーカー: 角川書店発売日: 1996/09メディア: 単行 クリック: 59回この商品を含むブログ (22件) を見る 公共的批判の原理 id:takanorikidoから読むようにすすめられた。現在は絶版のようだけど、図書館で借りましたにゃ。いろいろと興味深かったし、あとあと絡んでくる論点も多そうなので、先に紹介しておきますにゃ。 まず、この書籍で目指されている方向性は、科学における学問共同体をモデルにした公共圏構築なのだと考えられますにゃ。ローチ(筆者)のいう「自由科学の社会、批判的社会」とは「お互いの誤りを探す人々の共同体(P105)」なのですにゃ。 「こうした懐疑論的倫理の台頭とその最後的勝利ということは、一体何がそんなに重要なのであろうか。その答えはこうである。懐疑哲

    「表現の自由を脅すもの」書評 - 地下生活者の手遊び
  • 生とは生の浪費のこと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ここ最近、僕の興味の的となっているのは、ジョルジュ・バタイユと折口信夫。 「2009-07-11:東京国際ブックフェア」でもこの2人に関するが含まれていました。 この2人に共通するキーワードは「古代」そして「生」。 2人とも歴史以前、文字以前の古代に焦点をあてながら、人間いや生命について考えている。 このあたりはいずれまとめてみたいと思っていますが、今日はバタイユの『エロティシズム』という著書から、こんな文章を引用。 生は、その全体から眺めてみると、再生(生殖)と死が織り成す巨大な運動である。生は絶えず生みだすが、しかし自分が生みだしたものを無化するためにそうしているのである。 バタイユは生というものを質的に過剰に浪費するものとしてみています。その経済においては生産より

    umeten
    umeten 2009/07/14
    >不安が禁止のなかに人を閉じこもらせる。しかし、また人間はその禁止を侵犯することで不安そのものを乗り越えていく。そこに人間の二重の生があるように思えます。   絶賛浪費中ですがなにか
  • 「反日上等」について・応答メモ - planet カラダン

    ハイクにつらつらと書いてるうちに、先日のエントリ(「反日上等」について)では触れていなかったことなども出てきたので、一応貼っておきます。ブックマークコメントやコメントへの応答になる部分もあるかと思いますので、ひとまずこれをもって応答の代わりにしたいと思います*1。 「同胞として受け入れて欲しいだけ」の外国人もいるよ、とか言うけど、当に日社会に虐げられ恐怖を抱き、「同胞として受け入れて欲しい」とも言えないまま怒りや戸惑いやつらい歴史を抱えつつ、それでも日で生活してる外国人がいるわけでしょう。また実際に、明確に「反日」的な暴力行為に及んだ非-日人もかつていて、そういう人たちのある者は逮捕されて運動体からも追われ、またある者は死刑判決を受けすぐに執行された。外国人の間に「同胞として受け入れて欲しい」だけの人と、そうでない「反日」的な人がいるという見方そのものもかなり怪しいと思うけど、日

    「反日上等」について・応答メモ - planet カラダン
  • 『僕たちはクラスメイトじゃねえよ』

    ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。 「革命家養成塾・黒色クートベ」の維持、さらには教材を充実させるためのカンパを広く募集しています。振込先は、「福岡銀行 春日原支店 普通 1167080 トヤマコウイチ」です。 昨日に引き続き、しつこく鴻上尚史の『僕たちが好きだった革命』批判を。 私は演劇には(演劇にかぎらずアート一般に)まったく興味がなく、鴻上の芝居もまだ(今回のを含めて)2つしか観たことがないし、しかもいずれもナマではなくビデオで観たにすぎない。ビデオで観たって演劇を観たことにはならないのだが、ナマで観なければならない必然性をテント芝居以外で感じたことはないので、べつにヒケ目もない。前に少し触れた『焼肉ドラゴン』にしても今回の鴻上のにしても、なんでわざわざ膨大な練習

    umeten
    umeten 2009/07/06
    >普通は運動を後押しする/「僕たちはクラスメイトじゃないか」というメンタリティを/スガ秀実(全共闘とは何であったのかをよく理解している極めて珍しい当事者の1人)は、「ナショナリズム」として批判している