昨日だったか、フランスの大統領のサルコジが、チベット情勢を理由に北京オリンピックの開会式のボイコットもありうるという発言をした。 暴動を支持すること ぼくは、いくつかの報道から、今回のチベットでの出来事の背景には、歴史的な背景や独立への要求等に加えて、民族差別的なものと自由経済の導入に伴う経済的な要因(チベットの若者たちの困窮)があるのだろうと考えているので、同様の背景を持った移民二世の若者たちの「暴動」を弾圧したサルコジが、今回このような態度を示していること自体は、じつに白々しいことだと思う。 今回の出来事について、チベットの人々を支持する人たちも「暴動」という語の使用を避けているように思われるのは、間違ったことであると思う。 経済的・社会的(差別など)に追い込まれた人たちには、暴動を起こす権利がある。 そのなかで起きる個々の暴力*1は、それ自体としては許されないものが大半だろうから、個