東北が「米どころ」の地位を確立したのは戦後だという歴史は、意外と知られていない。熱帯原産の商品作物であるコメは、東北では大正期まで収量が低かった。それが変わった背景は、農業技術の進歩もあるが、東京市場の膨張、戦中と敗戦後の食糧増産政策、戦前のコメ供給地だった朝鮮と台湾の分離などである。こうして東北は、米・野菜・水産物などの東京への供給地となった。 また東北は、東京への低廉な労働力の供給地だった。高度成長期の集団就職や出稼ぎだけでなく、高卒農村女性を始めとした低賃金の非正規労働者の存在が、下請け部品工場などを東北に誘致する力となった。 さらに東北は、東京への電力の供給地だった。コメが減反に転じ、過疎化が進んだ高度成長末期から、原発と交付金が誘致された。沖縄に基地が集中したように、福島と福井には東京と大阪に電力を供給する原発が集中し、他に産業のない地元の人びとが働いた。こうして穀倉地帯に原発が