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ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (29)

  • 現代日本の社会主義 - 狂童日報

    最近民主党の分配政策について、自民党やエコノミストなどから「社会主義」的だという批判の声をしばしば聞く。それ自体は単なるレッテル張りでしかないし、また増税策を回避しているからそう言われても仕方のないところがあるが、そこで気になるのは、しばしば「社会主義体制は働かなくてもえるので経済が停滞してしまった」と理解されていることである。 私のこれまでの常識的な理解はそうではなくて、社会主義体制では「いくら頑張って働いてもそれが評価されることがなかった」から、働くことへの積極的な動機がなくなり、経済が停滞してしまったのである。一党独裁の社会主義体制では売り上げを伸ばすために頑張って働くことは、下手したら「資家の手先」としてブラックリストに載りかねなかった。 今の日で社会主義的なものを見出すとすれば、いくら頑張って働いても評価されることのない「ワーキングプア」や低所得正社員層だろう。彼らの働く風

    現代日本の社会主義 - 狂童日報
    umeten
    umeten 2009/11/03
    >今の日本で社会主義的なものを見出すとすれば、いくら頑張って働いても評価されることのない「ワーキングプア」や低所得正社員層だろう
  • 自己責任論再考 - 狂童日報

    個人の貧困の問題が「自己責任」であるか否かについて、知的な人たちや良識のある人たちの間では一蹴されているが、現実社会ではまだまだ根強いものがある。 それは決して理由のないことではない。世襲的な身分制度がそれになりに残っていて、貧しい農村に生まれ育った人たちが多かった時代に、その人の不幸が自己責任に着せられることは基的になかった。それは、生得的に押し付けられた伝統や貧困の問題であって、個人の問題では決してないことは暗黙の了解として存在していた。犯罪者に対してさえ、「育った環境が不幸だっただけで根は悪人ではない」という言い方がかなり通用していた。また知識界ではマルクス主義の影響力が強く、資主義は自由をもたらすのではなく人々の自由を抑圧するという理解が広く共有されていた。 ところが、1980年代以降になると目に見えるような厳しい貧困や差別は少なくなっていく。それなりに裕福なサラリーマンの家庭

    自己責任論再考 - 狂童日報
  • 「軍隊の論理」から「不安の論理」へ2009-05-04 - 狂童日報

    この10数年ほどの間に、人々を組織化する論理が「軍隊の論理」から「不安の論理」へと転換している。 軍隊の論理というのは、ルールを徹底させ、厳しい訓練を施し、組織とそのリーダーに対する忠誠を誓わせるというものであり、少し前までの日型企業社会はまさにこの論理で組織化されていた。 最近はそうではなく、人々を不安に陥れる環境を整備すればいい、という手法が主流になった。つまり、少しでも気を緩めると会社が潰れる、簡単に首になる、そして首になったらたちまち生活が成り立たなくなってしまう、という状態に人々を追い込む。こうした不安を最大限利用して、経営者(もちろん彼自身も不安のただ中にある)は有無を言わさずどんな理不尽な要求でも社員に平気で要求することができる。 軍隊の論理では職場外の付き合いによる団結と忠誠心の強化が奨励されたが、不安の論理ではむしろそれを否定する。いざとなっても誰も助けてくれないという

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  • 最近の地方首長の「小さな政府」路線について - 狂童日報

    市民税のカット目標は1割、250億円。納税者とその配偶者、子どもを含めると180万人が恩恵を受けると説明。手法は、定率か定額かなど今後、検討する。税金を支払っていない層にも現金の支給を考慮する。 カット分は役所内の「無駄遣いを根絶」し補う。各局長にカットすべき予算枠を指示して査定権も与える「庁内分権」を実施し、どの事業を廃止するかは職員が自ら判断できる態勢をつくる。 地域委員会は、選挙で選ばれた地域の代表で委員会を構成し、福祉や防犯、まちづくりなど地域の問題を解決するために、予算の使い方を自分たちで決める。実際の施策は職員や、委託された民間団体が行う。 市職員は、雇用を維持しつつ、人件費の総額を1割カット。幹部職員を中心に給与を見直し、給与が500万円以下の若手職員は対象としない。市長退職金は廃止し、市長給与も大幅に削減する。 議会改革を進め、議員の定数を1割カット。議員に支給される政務調

    最近の地方首長の「小さな政府」路線について - 狂童日報
  • 新自由主義はなぜ支持されたのか - 狂童日報

    特に「派遣切り」の問題以降、2000年代の「小泉改革」が「新自由主義」「市場原理主義」などとして厳しく批判されるようになっているが(その一方でその中心メンバーたちの社会的地位は基的に安泰のままなのだが)、そこまで「間違った」政策が大きく批判されてこなかったのは、いったいどうしてなのだろうか。そろそろ、そもそもこうした「アメリカモデル」の「規制緩和」政策がなぜ支持されてしまったかの、政治的な流れを振り返っておく必要もあるだろう。結論的に言えば、それは「新自由主義」の勢力だけが強まったというのではなく、その周辺に多種多様なシンパサイザーが存在していたからである。どういう勢力かを、ノートして簡単にまとめておく。 (1)軍事主義派 外交・軍事を中心に政治を考える人たち。だから「親米派」以外の選択肢が事実上ない。経済については基的に無知・無関心で、結果的にアメリカ的な新自由主義を支持。とくに20

    新自由主義はなぜ支持されたのか - 狂童日報
  • ようやく総中流が崩壊した年 - 狂童日報

    のこり30分もなくなったが、今年一年を振り返ると、一言で言うと日における「総中流」が完全に崩壊した年であると言えるだろう。 すでに2000年頃に『不平等社会日――さよなら総中流』という題名のが話題になってはいたが、それは若干話題性を狙った、「統計的には思い込んでいるほど総中流社会じゃない」という程度のものであった。「格差社会」論が流行し始めた2005,6年ごろになっても、「再チャレンジして正社員へ」という「中流」へ戻れることの幻想が根強く語られ、非正規雇用層に対する視線は冷たいままであった。今年なってようやく、というか皮肉にも金融危機が到来したことで、かつての「総中流社会」に戻ることは断じてありえない、ということが国民の一般認識になったように思う。 ここでいう「総中流社会」とは、団塊世代を中心として、官僚組織をモデルとした終身雇用・年功序列といった日型雇用システムを中心に構成されて

    ようやく総中流が崩壊した年 - 狂童日報
  • yahoo!ニュースのコメント欄がひどい - 狂童日報

    ネット上のヘイトスピーチというと「2ちゃんねる」が有名だが、あきらかにそれ以上にひどいところがある。それはyahoo!ニュースのコメント欄だ。この欄のコメントの偏見の凄まじさにはときどきびっくりさせられる。 例えば先日の総務省の坂政務官の「派遣村」に対する「働く気があるのか」という、失言というよりも「暴言」としか言いようのない発言について、そのコメントが途方もなくひどい。「派遣村に集まったヤツだけ見てれば、あの発言は仕方ないだろうな」とか、「この派遣村だって露骨に政権与党批判のために集まってるじゃねーか」とか、「一般人はみんな必死で仕事してるんです。公園でタバコすってたむろして,9条がどうしたの旗掲げてるやつら,まさに”まじめに働こうとしていない”やつらばかり」などといったものだ。国籍法改正のときもとんでもないひどさだったが、ネット上とはいえ、ここまで露骨なヘイトスピーチは日ではありえ

    yahoo!ニュースのコメント欄がひどい - 狂童日報
    umeten
    umeten 2009/01/07
    いんじゃないの?ヤフー支持率を気にする官僚(制服組)もいたんだし。もっと、この「普通の意見」を直接政治に反映させればいい。
  • 市場原理的な社会保障 - 狂童日報

    自分の顧客資産を生かして再度サービスの販売でのし上がった人もいますし、40過ぎてjavaを覚えて新しい領域のエンジニアになり今でも前線で活躍している人もいます。工場勤務時代の経験を生かして、最先端の工場運営についてコンサルティングをしている人もいます。 しかし、そのように再チャレンジすることを拒否し、ただ会社にいて高い給料をもらうという選択をした人たちもたくさんおりました。 仕事が無いので現場において置けないので、ビジネスマネジメントとかクオリティコントロールなどという間接部門(正確な名前はもう忘れました。意味不明な横文字言葉が多すぎるのも悪いところです)が置かれ、そこに大量の使えない人があぶれていました。 彼らは9時5時でネットを見たりマインスイーパを一日中やってて帰る生活を送り、しかも彼らは長年勤務しているだけあってかなり給料があがっていました。 正直言って自分が稼いだ金を奴らに吸われ

    市場原理的な社会保障 - 狂童日報
    umeten
    umeten 2008/12/03
    >今はこの伝統は、「まともに仕事をしていない人」たちに対する説教や叱責、そして排除という形でしか残っていない
  • 生存と差別 - 狂童日報

    再び書くが、私は「格差社会」の根の問題は「生存」ではなく「差別」であるべきだと思っている。特に30歳を超えた「フリーター」とよばれる人々が悲惨なのは、生活が大変だということもそうだが、アルバイトでしか生計を立てていないことがイコール「社会人でない」、つまり「まとも」な生活や人生を送っていないとみなされていることにある。こうした侮蔑的・差別的な視線は、与党と財界の「自己責任」の論理と、年長世代の「仕事なんか選ばなければいくらでもある」と無邪気に考えている人々という二つのベクトルがあるが、こうした差別が「フリーターなどに財政的な支援する必要はない」という論理を正当化しているのである。支援がほとんど実質的な効果のない職業訓練に偏りがちなのも、機会の平等という理念という以前に、「フリーターはスキルを身につける努力をしてこなかった」という、差別的な理解が広く共有されているからである。繰り返しになる

    生存と差別 - 狂童日報
  • まともな生活 - 狂童日報

    秋葉原連続殺傷事件に関して、派遣労働や格差社会の問題と短絡すべきではないという「正論」を時々見かける。しかし私を含めて、この事件をめぐって現代日の問題の縮図を投影せずにはいられなかった人々を膨大に生み出した事実は、それ自体極めて重要な「事件」であると言えるだろう。 私にとってこの痛ましい事件は、下層労働者のルサンチマンの在りかがどこにあるのかを、あらためて浮き彫りにするものであった。なぜ金持ちや政治家を狙わなかったのか、という声が一部にあるがまったくの的外れである。加藤容疑者のような立場の人にとっては、財界の指導者や政治家のような人々は、決してルサンチマンの対象にはならない。それは、自分がそういうエリートの立場になることを想像もできないし、そもそも欲望すらしていないからである。ルサンチマンが富裕層政治家に向けられるのは、あくまで「立身出世」の物語が強く生きていた高度成長の時代までである

    まともな生活 - 狂童日報
    umeten
    umeten 2008/06/26
    >旧来型の「まともな生活」を基準に、行き届いていないことを批判するという論法が依然として大部分/しかしその論法は現実に「まともな生活」を手に入れることのできない人々のルサンチマンを解消するものではない
  • 「苦労」を語るな - 狂童日報

    昨日の話と若干つながるが、最近「フリーター」などの不安定低賃金層の問題に関する話題で、ところどころ「反動」が起こりつつあるような気がするのが気がかりである。要するに、「彼らはそんなに苦労しているのか?どこまでマジメに就職活動をやってきたのか?」と言うわけである。不安定低賃金層の問題が認知されるにつれ、皮肉なことに「必死に頑張っている連中ばかりじゃないではないか」という疑念が、(おそらく)「正社員層」の側から徐々に湧き上がっているように思われる。 これは「フリーター」や「ワーキングプア」を扱ってきた人たちにも、若干の問題があったと思う。というのは、彼らは「フリーターたちがいかに苦しんでいるか」を、過剰なほどに強調してきたからである。それはもちろん十分な理由があってのことだけれど、そういう方法で世論を喚起し続けようとすると、「こいつの場合は単にだらないだけだよ」という批判に抵抗できない。「苦し

    「苦労」を語るな - 狂童日報
  • 「成長」はあきらめよう - 狂童日報

    参議院選挙で自民党が大惨敗した。年金記録問題や農水相の事務所費問題という、実のところあまり議論するような中身がない問題が選挙の焦点になってしまい、自民党の「成長路線」に対する是非に関する議論がその影にかくれてしまったのが残念だった。 自民党の「成長路線」に対して、「貧富や都市・地方間の格差を拡大するからよろしくない」という野党の型どおりの批判が繰り返されたが、実のところあまり批判になっていない。自民党の執行部にしても、格差をあくまで「過渡期」だと考えている。最終的な目標は「国民全員を平等に豊かにする」ことであり、その点では野党と基的な違いはない。自民党は増税すら公約に掲げない野党の「格差是正」政策を「バラマキ型」で現実性がないと批判したが、その点に関する限りでは全くその通りで、「国民全員を平等に豊かにする」を目標に掲げる限り、やはり今の自民党の「成長路線」のほうが(もちろん無理に決まって

    「成長」はあきらめよう - 狂童日報
  • なぜ年金未納が多いのか - 狂童日報

    自民党のぼろ負けが確実視される参議院選挙に向けて、年金問題が焦点になっている。相変わらず与党は野党の攻撃に対して「財源は何処に?」と開き直って、「景気回復で対応」などと世迷いごとを繰り返してる。年金改革の中身云々以前に、この段階で与党の言うことは全て破綻している。 そもそも国会議員たちは、なんでこんなに「未納」(3割強)が多いのかという根的な問題を真面目に考えたことがあるのだろうか。 だいたい年金というのは「老後が不安」ということを前提にしている。「老後が不安」という感情は、裏返して言えば「いまはそれなりの安定した給料をもらって働いている」からこそ、言い換えれば「定年」というものをリアルに想像することが出来るからこそ起こるものである。「来月は仕事があるだろうか」という不安を日々抱えている派遣社員やフリーターにとって「定年」など頭の片隅にすら上らないだろうし、そういう現実味のない「定年後」

    なぜ年金未納が多いのか - 狂童日報
    umeten
    umeten 2007/07/14
    要するに、相互扶助の社会なんてものを根こそぎ無くしていったのが、失われた10年に止めを刺した小泉政権の5年間だったということ。
  • NHKスペシャル - 狂童日報

    NHKスペシャルの「高速ツアーバス」のドキュメンタリーを観たが、さすがNHKのドキュメンタリは―すごい。公共放送の必要性を強く感じるのは、こうした手間隙がかかる番組は民放ではとてもつくれない(実際作っていないどころか、議員や官僚(ときどき「だらしない若者」)など「叩きやすいやつ」ばかり批判して正義ぶっている!)からである。 あそこに登場した、下請けのバス会社をピンはねしているとしかいいようのない旅行会社の社長はたしかに「ひどい」の一言だが、むしろ問題なのはだれが見ても「ひどい」話が、当事者の感覚として全くなくなっていて、「一生懸命いいことをしている」と当に信じていることである。そら恐ろしいのは、テキパキと饒舌に「コスト削減と安全管理は両立する」という例の社長の語り口が全く理屈だけが宙に浮いていて、人間を相手に話している感じがないことである。思い起こしてみると、キャラが強かったとは言え逮捕

    NHKスペシャル - 狂童日報
  • 「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報

    最近、「フリーター」などの若者弱者が自民党に投票したり、女性が「男女共同参画」を訴える浅野史郎ではなく、女性蔑視発言をしばしば行なう石原慎太郎に投票したりという奇妙な現象が起こっている。 多くの人々は当惑しながら「右傾化」のレッテルを貼って終わりにするだけだが、私が考えるには従来の「左翼」と呼ばれる人々が「中流幻想」からなかなか抜け出せなかったことにあることが背景にあるように思う。1970年代以降にマルクス主義の凋落によって「左翼」の学者やジャーナリストが選択した戦略が何かといえば、(1)女性の社会的な地位向上を訴えるフェミニズム、(2)中国韓国戦争被害者に対する補償を求める戦争責任論、(3)「在日」や移民の社会的権利付与を支援するマイノリティ運動などであった。こうした戦略を通じて、戦後の日社会は経済的な豊かさを達成したものの、それが様々なマイノリティを排除することによって成り立って

    「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報
  • 石原慎太郎と浅野史郎 - 狂童日報

    石原慎太郎が東京都知事選で大勝したが、私はその要因はあの郵政解散選挙とそんなに構造は変わっていないと思う。 例えば石原慎太郎と浅野史郎のどちらかが「破壊的」な考えと行動力の持ち主か。言うまでもなく前者である。浅野が予想以上に惨敗した理由はいろいろあるだろうが、一つには真面目な優等生の振る舞いに終始してしまったことにあるように思われる。「情報公開」を浅野は得意分野として強調したが、ほとんどの有権者にとってピンとこない話題でもある。これは毎日真面目に新聞を読んで、行政の不正に対して憤り、休日は情報公開の請求活動に費やすという「市民」の存在を前提にしなければならないが、おそらく道行く人100人つかまえても、「絶対にしたい」という人は1人いればいいほうだろう。浅野が、いわゆる「市民団体」と連携したことがイメージを悪化させたことは否めない。毎日必死で働かされている人にとって、「市民団体」は「よくそん

    石原慎太郎と浅野史郎 - 狂童日報
    umeten
    umeten 2007/04/11
    情報戦での敗北説 >石原の個々の政策に対する賛成は少ないのに「浅野だけは嫌だ」とか「消去法で石原しかない」みたいなネガティブな意見ばかりが飛び交っていたのは今回の都知事選の性格を如実に象徴している。
  • 集団主義的な自己責任 - 狂童日報

    長らく「日人は集団主義」だと言われてきた。会社も学校も「個人化」しているといわれる現在、これが変わったのだろうか?繰り返すように、日の労働・経済政策に大きな発言力を持っている某社長は「過労死は自己管理の問題」とまで言い放っている。この発言は大きく非難されているが、今でもこの社長の社会的地位に全く影響が及んでいないように、非難の力は圧倒的に弱い。そう考えると、もう日的集団主義は死んでしまったのだろうか。 しかし、私のみるところ全く変わっていない。某社長など財界人の発言を聞いていると、いろいろ言っているが要するに「甘えて楽するんじゃない。もっと競争社会の中で苦労しろ」という以上のことを言っていないような気がする。つまり、「苦労して働いていないやつがいるなんてけしからん」というわけである。これが個人主義の社会だったら、人がどう働くかは個人の問題で良いも悪いもない。ヨーロッパで失業率が高い理

    集団主義的な自己責任 - 狂童日報
    umeten
    umeten 2007/02/28
    >経済界のトップの人々は「自己管理」の名の下に社会的な責任をどんどん放棄している。
  • ホワイトカラー・エグゼンプション - 狂童日報

    ホワイトカラー・エグゼンプションがここのところ大きな批判の的になっている。ここまで露骨な「残業代ゼロ法案」には、さすがに与党内にも慎重論が出ている。 ただ導入する側の理屈にも少し真面目に付き合って見る必要はある。その理屈とは、労働の価値を時間ではかることをやめることで、効率のよい働き方が促進され、結果的に生産効率が上がるとともに、労働時間が減少されるというものである。少なくとも、時間に換算できない「クリエイティブ」な仕事が増え、成果主義が広がっている現状に対応できるというのである。「ホワイトカラー・エグゼンプションは少子化対策になる」という、失笑ものの安倍首相のコメントも、この論理に忠実に従ったものであると言えるだろう。 もちろんこの論理は建前でしかないと批判することはできるし、またその通りなのだろうが、私が考えるに問題はそれ以前の「効率のよい働き方が促進される」というところにある。という

    ホワイトカラー・エグゼンプション - 狂童日報
  • お上意識 - 狂童日報

    人は「お上意識」が強いといわれる。 確かにそうだ。「お上意識」を批判し、公務員の「特権」を批判し、その数を削減せよとのたまう人が、「行政は何をやっているのか」「政府の責任だ」と平然と言う。「お上意識」を強く批判する人の論理の中に、強固な「お上」願望がある。「お上意識」への批判は、ほとんど日社会のお約束であると言っていい。私の「お上意識」も相当なものだと思うが、こういうお約束的な「お上」批判を平然と繰り返す人たちほどではないと思う。 日人は「お上」というのは絶対になくならないものだと思っている。「下」がどれだけ批判し、「お上」の力をそぎ落とそうとも、天から降り注ぎ続けるものだと考えている。日中国との違いに何があるといわれたら、真っ先にこの「お上」意識を挙げるだろう。中国では「お上」の力なんていい加減なもので、砂上の楼閣でしかない、ということが暗黙の前提になっている。「お上」に対す

    お上意識 - 狂童日報
    umeten
    umeten 2006/12/16
    日本人の「カミ」意識というもの。まあ、権威主義=学歴コンプレックスにも近似する問題。
  • 「右傾化」の理由 - 狂童日報

    昨日赤木さんの文章を読んでいろいろ触発されたが、わかってきたのは「右傾化」の意味である。アカデミズムやジャーナリズムという場に属する人間にとっては、「右傾化」に対する批判的なスタンスはほとんど必要条件である場合がほとんどである。そのせいか専門では緻密な実証研究に従事する人でも、「偏見だらけで頭の悪い権威主義者」みたいな粗雑なイメージ(実際に粗雑ではあるが)で「右傾」を語り、そこにある歴史観を「修正主義」というレッテルで終わらせていることが多い。そして年長世代だけではなく若者までがそうした「右傾」にはまってしまうのは、今の社会に対する不安や閉塞感を打破しようと「安易でわかりやすいもの」に飛びついたからであると解釈されることが一般的である。つまり、アカデミズムやジャーナリズムは、これをどこまでも「不健全」で「病的な現象」として処理したがっているのである。しかし繰り返しになるが、「右傾化」という

    「右傾化」の理由 - 狂童日報