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ブックマーク / nitar.hatenablog.com (5)

  • CUE - メタサブカル病

    Cue 1 (ビッグコミックス) 作者: 村上かつら出版社/メーカー: 小学館発売日: 2004/09/30メディア: コミック クリック: 12回この商品を含むブログ (27件) を見る 2巻くらいまで面白かったけど最後は突然終わります。 作者はきっと小劇場の前衛っぽい演劇が好きなんだろうけど、特にそれを否定も肯定もしないバランスが良かったです。ただ、主人公が中学生なのは色々な条件下でそうなったのかもだけど、中学生にとって前衛演劇は難しそうで、リアリティを感じづらい。 『CUE』そのものよりも、3巻に入ってる「純粋あげ工場」が面白かったです。松充代のような内向きでちょっとハードな内容。そしてラストも格好良く、『CUE』の5倍はうまくまとまっています。やはり村上かつらは短編(中編?)が良いなあ。

    CUE - メタサブカル病
  • オランダの光/監督:ピーター=リム・デ・クローン/2003蘭 - メタサブカル病

    オランダの光 [DVD] 出版社/メーカー: TCエンタテインメント発売日: 2005/07/08メディア: DVD購入: 2人 クリック: 14回この商品を含むブログ (45件) を見る オランダの光とは何か、昔と今では違うのか(干拓によって光の反射が変わったとか)、海外とは違うのか、そういったことを追う抽象的なドキュメンタリー。ここまで抽象的なドキュメンタリーは珍しいかも。でも、フェルメールには興味があるけれど、オランダの光そのものは見たこともない以上興味がないので、監督の動機や出演者の熱意がわかりません。 もちろんオランダの風景はひたすら美しく、オランダに行かねばなあという気にさせられるけれど、興味のフックとしてもっと理論的な話が多ければ面白かったかも。だから最後のほうにある実証実験はわくわくしました。 あと、これは完全にアナログで撮られているようなのだけれど、デジタル撮影を一切排除

    オランダの光/監督:ピーター=リム・デ・クローン/2003蘭 - メタサブカル病
  • ロシア革命アニメーション 1924〜1979 - メタサブカル病

    渋谷のUPLINK Xにて。7月3日まで上映しているようです。 日ロシアアニメといったら『霧につつまれたハリネズミ』や『チェブラーシカ』といったファミリー向けの作品がポピュラーですが(まあアニメ自体がそうか)、そんな無難なイメージから遠く離れた、共産主義プロパガンダアニメ16。様々な時代の様々な監督の作品が選ばれています。ということは作られた総数はかなりの数にのぼるのでしょうか。すごいな。 共産主義プロパガンダのためのアニメなので、資主義とナチスを貶めるか、共産主義を称揚するかの2パターンしかありません。その枠の中で如何に作家性を出すかが見所です。 おそらくこの特集の一番のウリはウラジーミル・タラソフの「射撃場」「前進せよ、今がその時だ」で、確かにこれはすごい作品。目を離せない画面構成と奇想天外な発想。所々にディズニーキャラも出現。冷戦でもやってないとこんな演出はできないのではな

    ロシア革命アニメーション 1924〜1979 - メタサブカル病
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病

    どうも 授業を始めます 例によってプリントを待っている 今日はちょっとプリントが多く時間がかかるので雑談もしない 当は今ドゥルーズの「管理社会について」の一部を読んでいることになっていた しかし予定を変更して、 ブログとかで問題になっていると風の噂で聞いた歴史修正主義その他に関して話す 例外版 「ポストモダンと情報社会」とは関係ない 基的に僕が展開している主張はきわめてシンプル まず第一に僕の立場を明確にすると、 私的には南京事件はあったと思う 南京事件はこの際例に過ぎない、なんでもいい 数十万ではないだろうけど、数万規模であったと思う 専門家でもないのでこれ以上は言及しない ブログを見てもぐっている人居る? …居ない なら構いません 二番目 公的な信念としては、こう思う 1、 南京虐殺があると断言する人 ないと断言する人 かなりのボリュームでいる まずこれは事実 2、 ポストモダン系

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第8回(11/28) - メタサブカル病

    どうも遅れてすみません 例によって後でプリントが来るのでそれを待つ--プリントが来ないので授業をする 今回はテキストを読むぞ系でやっていた オタクにとって公共性とは何か 動物化とは何か ハンナ・アーレント、斎藤純一氏の一部のを読んでいた 斎藤純一氏が読むアーレントの公共性の定義 ・現われの空間 表象の空間、固有名として尊重される空間 ・世界への関心 共通世界 この2つが公共性を定義付ける 「現われの空間」は匿名性の空間に近い だったら2chの名無しの空間がもっとも公共的になるのでは 絶対的な真実は無い いつまでも議論が続く だったら南京大虐殺はなかったという話も認めることになる もし斎藤氏の定義に基づくならそうなる 認めないなら別の要素が必要 南京大虐殺については あったという奴、なかったという奴、 それを併せ持つ形で設計されなければならない 僕はあったと思う、と何回も言ってるけどみんな

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第8回(11/28) - メタサブカル病
    urza358
    urza358 2008/12/05
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