日本史は基本的に血腥いものだが、鎌倉時代は特に血腥いと思う。それはおそらく寡頭共和政治的な、鎌倉における東国武士団連合政体という実質を、北条家が中心になって身分制の律令国家という外枠にあてはめるという、無理、をしなければならなかったからだろう。 北条家の権力の実態は権力そのものであり、権威によって補強される程度が少ない。都度都度になされる粛清は徹頭徹尾、北条家、それも得宗家の私戦であるが、近世以後から見てこれがいかに奇異な現象であるのか、徳川幕府にあてはめて考えてみればよく分かる。 大老が将軍の許諾もないまま、老中を誅殺し、何の咎めもないまま当たり前のように元の日常業務に戻ってゆく。私戦禁止は国家権力の権能の最大のものであるが、ここのところの極端な弱体化が鎌倉幕府には見られる。鎌倉の歴史は血の歴史であり、その陰謀、虐殺、謀反の数々は鎌倉時代全体を通底している。 北条時宗が執権就任早々に北条