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中世に関するusataroのブックマーク (222)

  • 鎌倉幕府雑感 - extra innings

    史は基的に血腥いものだが、鎌倉時代は特に血腥いと思う。それはおそらく寡頭共和政治的な、鎌倉における東国武士団連合政体という実質を、北条家が中心になって身分制の律令国家という外枠にあてはめるという、無理、をしなければならなかったからだろう。 北条家の権力の実態は権力そのものであり、権威によって補強される程度が少ない。都度都度になされる粛清は徹頭徹尾、北条家、それも得宗家の私戦であるが、近世以後から見てこれがいかに奇異な現象であるのか、徳川幕府にあてはめて考えてみればよく分かる。 大老が将軍の許諾もないまま、老中を誅殺し、何の咎めもないまま当たり前のように元の日常業務に戻ってゆく。私戦禁止は国家権力の権能の最大のものであるが、ここのところの極端な弱体化が鎌倉幕府には見られる。鎌倉の歴史は血の歴史であり、その陰謀、虐殺、謀反の数々は鎌倉時代全体を通底している。 北条時宗が執権就任早々に北条

    鎌倉幕府雑感 - extra innings
    usataro
    usataro 2010/12/24
    最近の研究では頼朝の征夷大将軍にも多少の意義を見出してるみたいだけれど、権力樹立の観点でみると1192年に大した意味がないのは共通認識だろう。
  • asahi.com(朝日新聞社):日本最古の将棋盤が出土 まな板に再利用? 島根・出雲 - 文化

    出土した将棋盤の断片(上と下)と、二つの駒。盤の中央は復元部分=22日、松江市、大野正智撮影出土した将棋盤の断片(上端と下端部分)。中央は断片を参考に復元した=22日午後3時5分、松江市殿町、大野正智撮影将棋盤の上端部分の赤外線写真=島根県提供  室町時代の有力武士の館跡とされる島根県出雲市の高浜遺跡で、将棋盤の一部と駒二つが出土し、同県埋蔵文化財調査センターが22日、発表した。放射性炭素年代測定法などから、盤は15世紀半ば〜16世紀初めに使われていたとみられ、発見された将棋盤としては国内最古とされる。  見つかったのは将棋盤の両端で、幅約38センチ、厚さ約1センチの杉材。赤外線撮影で4.2センチ四方のマス目が確認された。ごみ捨て場跡から漆器椀(わん)や建具などと一緒に出土し、刃物傷が多数あったため、まな板や建材として再利用された可能性があるという。  同センターによると、将棋は11世紀前

    usataro
    usataro 2010/12/24
    「室町時代の有力武士の館跡とされる島根県出雲市の高浜遺跡で、将棋盤の一部と駒二つが出土」「盤は15世紀半ば~16世紀初めに使われていたとみられ、発見された将棋盤としては国内最古」
  • 「貴重資料は白の綿手袋を着用して」という誤解:むしろ害を及ぼし、清潔な素手での方が良い | ほぼ日刊資料保存

    必也正名乎 図書館アーカイブ等の資料保存に関する世界のニュースを伝える、ほぼ日刊のページです。 土日・祝日は休刊します。 リンクも引用も自由です。 IFLA(国際図書館連盟)資料保存分科会のニューズレター International Preservation News (IPN) の最新号(No.37, December 2005)は、「白手袋に関する誤解」(Misperception about White Gloves)を掲載している(p.4-16)。貴重資料の取り扱いとコンサベーションで長い経験を持つ二人の著者、Cathleen A. Baker とRandy Silverman による。 「汚れた手で貴重資料を扱うのは論外であるが、白い綿の手袋を着用することは、資料を傷めないどころか、むしろ有害であることが知られていない。白手袋着用は資料を丁寧に扱うことを意味するというのは、全く

    usataro
    usataro 2010/12/11
    これ重要。史料編纂所とか歴博でも素手だった。東博も素手じゃないかな。地方で一度だけ手袋でって言われたことあるけど。
  • asahi.com(朝日新聞社):足利義満創建の「鹿苑院」跡か 京都で遺構発見 - 文化

    室町幕府3代将軍・足利義満(1358〜1408)が創建した「鹿苑院(ろくおんいん)」の遺構が、同志社大の今出川キャンパス(京都市上京区)で見つかった。建物は江戸時代の古地図に記されていたが、研究者は「存在が初めて裏付けられた」と説明する。同大が24日、発表した。  同大によると、鹿苑院は大学に隣接する相国寺(しょうこくじ)の塔頭(たっちゅう)として、義満が1383(永徳3)年に創建した。義満の禅の修行場に使われ、当時の有力な禅寺「京都五山」(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)を統括する役割も担ったとされる。  今回、建物の柱を支える「根固石(ねがためいし)」を6カ所で確認。それぞれ拳大の石が直径約1メートルの円状に敷き詰められており、鹿苑院の仏堂跡とみられる。周辺からは、器の底に「鹿」と書かれた瀬戸焼も見つかった。その形から14世紀末ごろの製作とみられ、鹿苑院の創建時期とも一致。鹿苑

    usataro
    usataro 2010/11/25
    「足利義満が創建した「鹿苑院」の遺構が、同志社大の今出川キャンパス(京都市上京区)で見つかった。」「建物の柱を支える「根固石」を6カ所で確認。」「鹿苑院の仏堂跡」「器の底に「鹿」と書かれた瀬戸焼」
  • 豊臣秀吉はいま、あまり人気がないのですか? - エキサイトニュース

    好きな歴史上の人物は誰ですか? 自分たちが小学生の頃などは、日歴史上の人物というと、まず挙がるのは「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康」の三大武将だった気がする。 ところが、11月初旬に日刊スポーツで掲載された「日史なんでもランキング」の第2回~「好きな戦国武将」の結果を見て、驚いた。 1位は織田信長で、2位 真田幸村、3位 伊達政宗、4位 上杉謙信、5位 武田信玄で、秀吉も家康も5位以内に入っていない!! さらに、調べてみると、興味深い調査結果があった。 「NHK放送文化研究所世論調査部『日人の好きなもの』2008年」(2007年調査)では、若年層(16~29歳)から中年層(30~59歳)まで男女ともに織田信長と坂龍馬の人気が絶大で、徳川家康もベスト3にはランクイン。ところが、豊臣秀吉は、高年層(60歳以上)の男性で3位にランクインしているのみである。 また、2007年放送のNHK

    豊臣秀吉はいま、あまり人気がないのですか? - エキサイトニュース
    usataro
    usataro 2010/11/20
    学部段階だと案外こういう傾向が研究テーマ選択に影響してくる。それが10年後の研究動向にも影響を及ぼしてくるかもしれない。
  • 『室町時代の石垣見つかる 近世城郭技術のルーツ 滋賀・米原 - MSN産経ニュース』へのコメント

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    『室町時代の石垣見つかる 近世城郭技術のルーツ 滋賀・米原 - MSN産経ニュース』へのコメント
    usataro
    usataro 2010/11/20
    城郭史的見地を強調した方が受けがいいのかもしれないけど、遺跡の正当な評価をゆがめないかちょっと心配だ。
  • 室町時代の石垣見つかる 近世城郭技術のルーツ 滋賀・米原 - MSN産経ニュース

    滋賀県米原市清滝の山林から室町時代前半の石垣や建物跡が見つかり、室町時代の守護大名、京極氏の第7代当主、高詮(たかのり)(1352〜1401年)の菩提寺(ぼだいじ)、「能仁寺」跡とみられると県文化財保護協会が19日、発表した。石垣は高さ1・5メートル、長さ約14メートルにわたり、専門家は「近世の城郭技術のルーツとなった最古級の寺院石垣ではないか」としている。 堂建物の基礎にあたる「基壇(きだん)」と、長さ約17メートルの参道跡が出土。参道跡沿いの片側に、大量の石を垂直に積んだ石垣がみつかった。下部ほど石が大きい壊れにくい構造をしていた。 この形式は近世城郭のモデルとなった安土城の石垣の特徴と重なる。同様の手法の寺院石垣で、これまで最古とされていたのは銀閣寺(京都市)の石垣で、15世紀中ごろ。今回の石垣はこれを数十年さかのぼることになる。 長浜城歴史博物館(滋賀県長浜市)の中井均館長(中近

    usataro
    usataro 2010/11/20
    「滋賀県米原市清滝の山林から室町時代前半の石垣や建物跡」「京極氏の第7代当主、高詮(たかのり)(1352~1401年)の菩提寺、「能仁寺」跡とみられる」(メタブへ)
  • asahi.com(朝日新聞社):2010年11月7日1時46分 室町時代、宮城・茨城に巨大津波か 数百年おきに発生? - サイエンス

    室町時代、東北から関東の太平洋岸を巨大津波が襲った可能性があることが、産業技術総合研究所の調査で分かった。東北地方南部沖で起きたマグニチュード(M)8級の地震による津波らしい。この地域は9世紀にも国内最大級の津波の痕跡が確認されており、数百年間隔で巨大地震による津波が繰り返されている可能性がありそうだ。  産総研によると、宮城県石巻市、山元町、茨城県日立市の地層から大津波で運ばれたとみられる砂などが見つかった。最大で海岸線から約1キロ内陸側で確認された。  年代分析の結果は、1200〜1650年とばらついたが、産総研海溝型地震履歴研究チームの宍倉正展チーム長は「室町初期(14世紀)前後が多い。分析精度も考えると同一の津波による痕跡とみられる」と話す。  この海域では平安時代(869年)にもM8を超す大地震が発生、「貞観(じょうがん)津波」と呼ばれる大津波が起き、千人を超す死者が出たと古文書

    usataro
    usataro 2010/11/07
    「室町時代、東北から関東の太平洋岸を巨大津波が襲った可能性」「宮城県石巻市、山元町、茨城県日立市の地層から大津波で運ばれたとみられる砂」「室町初期前後が多い。」「同一の津波による痕跡とみられる」
  • asahi.com(朝日新聞社):平安の仏像60体確認 兵庫の薬師堂、一挙に - 文化トピックス - 文化

    平安の仏像60体確認 兵庫の薬師堂、一挙に2010年11月6日14時6分 平安時代の作と確認された仏像。保存修復処理の終わったものが手前に並べられた=兵庫県加東市中古瀬 兵庫県加東市中古瀬の薬師堂に伝わる60体もの仏像が、10〜12世紀の作であることが早稲田大奈良美術研究所の大橋一章教授(仏教美術)らの調査で明らかになった。平安時代の仏像がこれほど多数確認されるのは近年例がないだろうといい、同研究所が保存処理に乗り出した。 お堂の周囲には水田が広がる。区長の吉元明博さんによると、集落の63戸で管理し、正月とお盆にだけ戸を開けるという。「この地域ならどの集落にでもある辻堂で、江戸時代の建築でしょう」と加東市教育委員会文化財係の森下大輔さんは説明する。 ここに調査が入ったのは今年の夏。早大の桜庭裕介講師(文化財修復)は「様式と制作技法から見て、すべてが平安時代の作。これほど多数の平安仏が知られ

    usataro
    usataro 2010/11/06
    「兵庫県加東市中古瀬の薬師堂に伝わる60体もの仏像が、10~12世紀の作」「早稲田大奈良美術研究所の大橋一章教授(仏教美術)らの調査」
  • 幻の右手見つかる 平等院 本堂の本尊「大日如来像」の一部 - MSN産経ニュース

    平等院で見つかった、失われた尊「大日如来像」の一部と見られる仏像の右手。持っているのは、神居文彰(かみい・もんしょう)住職=6日午後5時34分、京都府宇治市 (安元雄太撮影) 世界遺産の平等院(京都府宇治市)に保管されていた仏像片が、鳳凰(ほうおう)堂建立の前年(1052年)に建てられた堂の尊「大日如来像」の右手部分の可能性が高まり、同寺が6日発表した。堂は鎌倉時代ごろに焼失、尊も姿を消したとみられており、約960年前の“幻の姿”に迫ると期待されている。 仏像片は右手首から先で、長さ27・2センチ、幅14・8センチ、厚さ9・8センチのヒノキ製。人さし指を天に向けて印(智拳印)を結ぶ「大日如来」独特の形をしており、指や手のひらなどに漆や金箔(きんぱく)が残っていた。 鎌倉時代の記録「門葉記」や平安時代の辞典「伊呂波字類抄」によると、堂の尊は大日如来像で、金箔を施された高さ約1・

    usataro
    usataro 2010/10/07
    「平等院(京都府宇治市)に保管されていた仏像片が、鳳凰堂建立の前年(1052年)に建てられた本堂の本尊「大日如来像」の右手部分の可能性が高まり」
  • 日本における歴史GIS事始め

    中世・近世の街道旅をGIS(地理情報システム)で表現すると? @sada1110 先生の問いかけに、@ogugeo 先生や @tosseto @geo80k @niyalist @Say_no @yaskondo ら若手・中堅研究者も加わって、日海外歴史GISの現状と今後の展望について語ります。

    日本における歴史GIS事始め
    usataro
    usataro 2010/08/09
    史料編纂所では荘園関係でなんかやってるみたいだけど、普通の研究者はそもそもGISをどう使っていくのかすらわかんないと思う。/中世段階での現地比定はかなり困難な作業じゃないかなあ。
  • もはや回収しかない!「応仁の乱」も裏焼き 自由社版教科書 - 新しい歴史教科書をつくる会WATCH

    追記 AERAに報道されました(http://d.hatena.ne.jp/tsukurukaiwatch/20100802/p1) この春から「新しい歴史教科書をつくる会」の自由社版中学校歴史教科書を使っている下記の学校の関係者、保護者、生徒の皆さん、および全国の納税者の皆さんはよくご覧ください。 ・横浜市立中学校(港南、旭、金沢、港北、緑、青葉、都筑、瀬谷の8区) ・東京都市大学等々力中学校(東京都世田谷区) ・明星学園中学校(東京都三鷹市) ・甲子園学院中学校(兵庫県西宮市) ・岡山学芸館清秀中学校(岡山市東区) ・真和中学校(熊市) 自由社版教科書に対しては歴史観を超えて(「左」からも、「右」からも)膨大な欠陥が指摘されています。このブログでは最近、キトラ古墳の写真の裏焼きや同じ写真のダブり使用を紹介しました。さらに…。 下に並べた写真は、左が自由社版教科書の模倣元である扶桑社版

    もはや回収しかない!「応仁の乱」も裏焼き 自由社版教科書 - 新しい歴史教科書をつくる会WATCH
    usataro
    usataro 2010/07/31
    こりゃ普通にダメだろ。こんな教科書使いものにならないよ。
  • 本郷和人『武力による政治の誕生』 - taronの日記漂流先

    選書日中世史 1 武力による政治の誕生 (講談社選書メチエ) 作者: 郷和人出版社/メーカー: 講談社発売日: 2010/05/07メディア: 単行(ソフトカバー) クリック: 51回この商品を含むブログ (12件) を見る うーん、なんと言ったらいいのか。他の著作を読んでみないとなんともいえないが、枠組みと実証の間が弱いように思う。史料編纂所勤務で史料の扱いには長けているのだろうけど。 「権門体制論」批判が主体のようだが、どうも批判し切れていないように思う。このあたりの学説史は完璧に門外漢だが、それなりに当を得た枠組みだと思う。著者の認識は、「暴力」をどう捉えるかと、「文」と「武」を対置する二元論の二点で限界をはらんでいるように思う。 これまで何度か書いてきたことだが、わたしはこの権門体制論を受容することができない。天皇が将軍を、朝廷が幕府を。いわば「文が武を」おさえこむ、という図

    本郷和人『武力による政治の誕生』 - taronの日記漂流先
    usataro
    usataro 2010/07/15
    「「暴力」をどう捉えるかと、「文」と「武」を対置する二元論の二点で限界をはらんでいる」「著者は、権威、公、あるいはイデオロギーといったものに対して、感度が鈍いのではないか」
  • asahi.com(朝日新聞社):時代との関係で解釈される中世 田中貴子・甲南大教授が新刊 - 文化トピックス - 文化

    usataro
    usataro 2010/07/09
    「新刊『中世幻妖――近代人が憧れた時代』(幻戯書房)」
  • 神戸新聞|文化|黒田官兵衛の太刀拵、奇跡の発見「姫路で展示を」

    播磨出身の戦国武将で、豊臣秀吉の軍師として名高い黒田官兵衛が使ったとみられる太刀の外装「拵(こしらえ)」が発見された。長年官兵衛の研究を続ける歴史研究家山一城(かずき)さん(54)=東京都狛江市=が入手した。室町将軍足利義昭から贈られた太刀「菊一文字」が入っていたといい、保存状態は良好。「官兵衛の遺物は少ない上、傷みやすく残りにくい拵が発見されたのは奇跡。ぜひ姫路に寄託したい」と話している。 「金梨子地藤巴紋散蒔絵鞘糸巻太刀拵」。長さ106センチ。日美術刀剣保存協会が1989年、重要刀装に指定した。指定書によると桃山時代‐江戸初期の作。鞘に黒田家の家紋「藤巴(ふじどもえ)」を不規則に配置、つばなどに桐(きり)の紋の彫刻があり、同協会も黒田家に伝来したとみられると記している。 山さんは家紋の散らし方が桃山期特有で、太刀の形が菊一文字と合致することに注目。長男・長政の時代には別の紋を多用

    usataro
    usataro 2010/06/20
    「金梨子地藤巴紋散蒔絵鞘糸巻太刀拵」「日本美術刀剣保存協会が1989年、重要刀装に指定」「桃山時代‐江戸初期の作。鞘に黒田家の家紋「藤巴」を不規則に配置、つばなどに桐の紋の彫刻」「黒田家に伝来」と推定
  • 権門体制論と天皇制 - 我が九条

    権門体制論それ自体は天皇を【国王】とすることは必ずしも前提としない。だからこそ権門体制論の枠内で天皇ではなく治天を【国王】とする議論も可能なのである。しかし黒田俊雄は断固として天皇を日中世国家の【国王】とすることを譲らない。 これについて次のような意見がある(「唯物史観 | Japanese Medieval History and Literature | 5488」)。 唯物史観を信奉するのに、なぜ権門体制論なの? 権門体制論は、天皇の地位を必要以上に高く評価しているじゃないか。 それは、唯物史観を奉じる研究者が「従三位」とかの位階を授けられてる (そういう人は少なくないそうです)のと同じくらい、ヘンじゃないか。 「唯物史観を信奉するのに、権門体制論」は「自分の思想と研究とが同一のベクトルをもつべきだ」という意見と対立するのだろうか。私はそうは思わない。権門体制論は唯物史観に立脚して

    権門体制論と天皇制 - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/18
    権門体制論が象徴天皇制批判だったのには全面的に同意。ただ政治権力を有した天皇や確固たる国家機構の存在を措定することに現状で果たして意味があるのかがポイントで、本郷さんの批判もその点では首肯できる。
  • 黒田俊雄テーゼを克服するために - 我が九条

    ここまで3回にわたって黒田俊雄の権門体制論と顕密体制論と荘園制論の説明を検討してきた。その過程で権門体制論に対する批判を精力的に展開している郷和人氏の議論に関してささやかな疑問を二点ほど提出させて頂いた。私がここまで論じてきたのは黒田俊雄の権門体制論・顕密体制論・荘園制論の理解であり、それ以外のものではない。ましてや黒田俊雄を擁護しようとするものではない。むしろ逆で、黒田俊雄を乗り越えようとするのであれば、黒田俊雄を正確に理解する必要がある、と考えているからに他ならない。 郷氏は次のように言う。「権門体制論を支持するのは、いい加減にやめたほうが良くはないか」(『武力による政治の誕生』197ページ)と。私自身権門体制論には問題が多いと考えている。しかしそれは権門体制論が皇国史観の亡霊だからではないし、上からの歴史把握や枠組みを重視するところに問題があるからでもない。 権門体制論の問題は大

    黒田俊雄テーゼを克服するために - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/16
    コメントにコメントするのもなんだが「史料編纂所が良質な資料を抱え込んでいるが如き叙述」だとは読めなかったし、東京に比べて関西で写真帳などにアクセスするまでのハードルが高いのも事実だと思う。
  • asahi.com(朝日新聞社):琵琶湖底の遺跡、地滑りが原因 京大研が警鐘「現代も」 - サイエンス

    琵琶湖底にある集落遺跡「下坂浜千軒遺跡」(滋賀県長浜市)が水没した原因は、地滑りだったことが京都大防災研究所の釜井俊孝教授らの調査でわかった。湖底で幅約1キロにわたる大規模な地滑り地形を見つけた。16世紀の地震で湖岸の地層中で液状化があり、その上の地層が地滑りを起こしたらしい。釜井教授は「大きな湖の周辺では現代でも地滑りが起こりうる」と警鐘を鳴らしている。  下坂浜千軒遺跡は、1586年に起きた天正地震(震源地は岐阜県、マグニチュード8)で水没した村とされる。なぜ水没したのかについては、水位変化、地殻変動など諸説があった。  釜井教授らは音波で水深を詳細に測る調査を実施し、10センチ間隔の等深線を描いて、詳しい湖底地形を解明した。その結果、がけや小さい丘など、陸上の地滑りにそっくりな地形が見つかった。かつて湖岸に寺があり、そのために人工盛り土がなされた可能性が高いこともわかった。  地震で

    usataro
    usataro 2010/06/12
    「下坂浜千軒遺跡は、1586年に起きた天正地震で水没した村」
  • 荘園制論を理解するために - 我が九条

    黒田俊雄の学問的体系がマルクス主義に立脚しているという、自明の前提を再確認してきた。弁証法的唯物論に即して黒田の論を整理すると、下部構造としての荘園制論、上部構造としての権門体制論、そして社会的意識諸形態としての顕密体制論がある。 マルクスは相互の関係について次のように説明する。 人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定す

    荘園制論を理解するために - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/10
    権門体制論と黒田荘園制論の説明としては確かにこの通り/天皇が公で上皇が私、荘園が私的だという位置づけはすでに過去の理解/畿内を先進、九州や関東を後進地帯とする理解はもはや全く成り立たないと思う
  • 顕密体制論理解のために - 我が九条

    中世における「社会的意識諸形態」を理解するための概念が顕密体制論である。「社会的意識諸形態」とは、イデオロギーと記せば分かりやすいだろう。イデオロギーとは階級的な利害に基づいて支配階級を正当化するためのものである。 そのことを頭において郷和人氏の顕密体制論に対する見解をみてみよう。 仏教はそもそも何のためにあるのだろうか。国を鎮護するため?天皇や貴族に日々の安寧をもたらすため? 非常にイデオロギーとしての顕密仏教の特質を押さえた議論である。中世の「実在(ザイン)」においてはまさにそうなのだ。「ザイン」に注目する限り、仏教は鎮護国家のために存在するのであり、王法と仏法は相依相即なのである。そして概念としてもイデオロギーとは階級的な利害に基づいて支配階級を正当化するためにある。支配階級との関係で言えば、それが顕密仏教の正統である。顕密仏教の正統に位置づけられるのが、国家鎮護と王法仏法相依

    顕密体制論理解のために - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/10
    「神道」の宗教的自立性を否定した点は、顕密体制論の非常に重要な功績だと思う。