陸路がまだまだ不便だったころ、湾内を渡し船が行き交っていた港町・長崎。まちの発展を支えてきた三菱重工業長崎造船所は、明治17年の創立当初から、社員や作業員だけが乗れる専用の“通勤船”を運航してきました。 しかし、海外との競争激化で造船の受注は低迷。利用者も減ったことから、ついに9月末に通勤船は廃止され、130年余りの歴史に幕を下ろしました。通勤船とともに歩んできた人たちの姿を見つめました。 (長崎放送局 記者 保井美聡) 三菱重工業長崎造船所の誕生は、130年余り前にさかのぼります。 三菱の創業者、岩崎彌太郎は、明治17年、政府の「長崎造船局」を借り受け、造船事業に本格的に参入。そして3年後の明治20年には、改称した「長崎造船所」の払い下げを受けます。 第2次世界大戦中には、世界最大級となる旧日本海軍の戦艦「武蔵」を建造。戦後はタンカーなどの大型造船に力を入れ、昭和40年から12年連続で世