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キリスト教と田島正樹に関するushiwatatのブックマーク (2)

  • ララビアータ:奴隷の反乱 - livedoor Blog(ブログ)

    最近、普段は怜悧な考察で知られるブログ・サイトやチャット・サイトなどで、「ドストエフスキーに感動した事などない」とか「トルストイなど三流文士だ」などと平気で公言する人々が少なからずいて驚かされる。もちろん、これらの最高水準の文学が、誰にでも隅々まですぐに理解できるとは限らないのは当然のことである。しかし、恥ずかしげもなくこのように公言している者は、どうやら己れの愚かさをアピールするつもりでそう書いているのではないらしく、むしろこのように書くことで「大文豪」を批判・批評したつもりなのである。我々の国は、いつの間にどうしてこんな事になってしまったのだろうか?どうして彼らはドストエフスキーの小説を疑う前に、己れの幼稚な心性を疑わないのであろうか?どうして自分にドストエフスキーやトルストイを論じる資格があるなどと、途方もない考えを持てるのであろうか?オルテガやニーチェなら、これを「奴隷の反乱」と見

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/10/25
    |帰依も畏敬の情熱も持たず、ただ分別臭い青年など、人間として安っぽいとさえドストエフスキーは断言する| |その夢の中にこそ耐え難いあの腐臭という現実が広がっていく|
  • ララビアータ:寺の経営(教会と信仰) - livedoor Blog(ブログ)

    久しぶりに小学校のクラス会に出たら、寺を継いだ友人や、墓の設計を手がけている建築家の友達と話し込むことになった。今日、寺を維持する経営は、御多聞にもれず、なかなか厳しいらしい。もともと十分な不動産があって、半ば不動産業を兼業できるような寺は別だが、現代人の生活が葬式以外では寺から遠ざかるようになると、十分にお布施を集めるのも難しいわけだ。戒名の文字ひとつについて、なぜあれほどのお金がかかるのか合理的に説明できる人はいないから、このようなところでも遠からず「価格破壊」が起こらざるを得ない。 友人の一人は、仏教界でも宗教改革が必要なのではないかと言う。 だがいかにして? 橋爪大三郎氏によれば、排除された人々は仏舎利を納めた仏塔(ストゥーパ)の周りに集まり始める。彼らは、己の悟りより、悟りを開く前の釈迦(菩薩という)に自己同一化し、菩薩道を目指す事になる。それというのも、彼らには、戒律を通じた正

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/07/28
    |したがって市場で評価されないものは直ちに無でしかなくなるという事態の方が、歴史的に見れば異常であり例外的||近代政治哲学はその根本においてプロテスタント的、または無教会主義的であるということになる。|
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