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交響曲とオーケストラに関するushiwatatのブックマーク (1)

  • 音楽コラム 2009-09-17 多声部を聴き取ると: 野村茎一作曲工房 音楽コラム

    私を含め、無理解と勘違いが服を着て(たまに裸かも知れないが)生活しているのが人間なので、人は事実に触れるたびに驚いたり学んだりする。 ここで言う“驚く”とは、事実が予想とは異なっていたことに直面した時の感情である。 作曲家は、多くの場合ピアノが弾ける(形だけでも)ので、大部分の人がピアノ曲を書ける。右手の単旋律に左手の和声伴奏が付けば形の上ではピアノ曲になる。スカスカでも音楽には聴こえる。それを延々30分を要する曲として仕上げても、“長い曲”ではあっても大曲とは言わないだろう(ただし、サティのような特殊な才能があれば、楽譜上はスカスカでも音楽的には緻密なものが書けることは考慮しなければならない)。 曲が長いだけでなく、楽器編成が大きくなれば大曲だろうか。確かに大編成のオーケストラによる長大な作品は無条件に大曲と呼んでしまいそうである。ここでは、その問題について作曲する側からの考察を記す。

    ushiwatat
    ushiwatat 2009/09/23
    |レッスンをしていて、学習中の誰もがぶつかる難題のひとつが多声部化の壁||ヴォーン=ウィリアムズの第3番がどんなに見事に多声化を実現していたとしても、幻想交響曲以上にファンを集めることはないだろう|
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