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東欧と紛争・戦争に関するushiwatatのブックマーク (1)

  • ユーゴスラビア崩壊による紛争の爪あとに「決して分かり合えないもの」を感じた

    文化共生の理想が崩壊したユーゴスラビア解体による一連の動乱。ボスニア紛争、コソボ紛争では多くの命が奪われました。紛争の爪あとは、今なお廃屋として残っています。日でも移民受け入れが議論となりますが、共存共栄に失敗したユーゴスラビアの歴史を、私たちはどれだけ知っているのでしょうか。 こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。2010年に旅したバルカン半島を、今年の初めに再び周りました。5年の歳月を経ても変わらない廃屋が残る町なみ。ユーゴスラビア崩壊の爪あとは、多民族国家の難しさを物語っていました。 ◆旧ユーゴスラビア 七つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア) 六つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア) 五つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグ

    ユーゴスラビア崩壊による紛争の爪あとに「決して分かり合えないもの」を感じた
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