小泉義之さん、blogを中止してしまうのか。その最後のエントリーから、 時間との関連で言えば、おそらく現在主義者・現前主義者とでも分類されるであろうが、現在・今の〈同時性〉が気にかかった。今ここで、パソコンを操作している。と同時に、隣の部屋では家人が何かをしている。と同時に、向こうの道路を車が通り過ぎていく。ここには、情報の速度、感覚の範囲、想像の広がる「速度」が入り込んでいる。と「同時」に、距離が入り込んでいる。そして、と同時に、遠くでは、誰かが生まれ誰かが死んでいく。その知らせは遅れて届くにしても(「後で」というより「遅れて」である。このひと事だけで、〈逆向き因果〉論は物足りないことが明らかである)、きっと何かが遠くで同時に起こっている。しかも、こんな同時性が、ギクシャクと音を立てるでもなく、変わってゆく。あるいは、移ってゆく。それとともに(?)、この私も移ってゆく。ところが、「持続」