→紀伊國屋書店で購入 エイデティック(直観像素質者)のみに書ける本 人文科学はもはや過去のものという貧血病の負け歌、恨み節は何も今に始まったものではないが、大体済度しがたい語学オンチや無教養人とぼくが見ている連中に限ってそういうことを言っているので、本気で聞かない。なに、人文科学はこの四半世紀、かつて見ない自由度と結実の豊穣を見、しかも昔なら何の関係がと思われていたディシプリンの境界あたりで他の知の領域と生産的に混じり合って何とも形容しようのない快と愉悦をうみつつある、ということをぼくなど、浅学の者なりにしたたかに予感し続け、そして現に今、天才田中純による一大スケールの新人文学マニフェストを見て、この予感が的中していたことを改めて心強く実感している。 例えば記憶術が面白いらしいといろいろ「紹介」しても、ハナで嗤われた。ヴンダーカンマーをやらないでどうすると主張しても、渋・種小僧の暇つぶしと
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