『わたしが子どもだったころ』(NHK「わたしが子どもだったころ」制作グループ編・ポプラ社)より。 (劇画家のさいとう・たかをさんの項から) 【そのころ出会った大人で忘れられないのは、東郷という名の教師です。ある日、東郷先生は、学校でも札付きのワルだったわたしに声をかけてきました。 「斎藤だったかな」 「なんや、新米の教師か。いじめられへんようにおれにあいさつにでも来たんか」 「そんなわけないだろう。ちょっといいかな。東京から来た東郷だ。よろしくな」 「よろしくなやあるかい。なにをすかしとるんじゃ」 「斎藤、なんでおまえは答案用紙を書かないんだ」 「知れとるわ。こんなもん丸暗記したらすぐ解けるクイズやないか。おまえら大人が勝手に決めたルールやろが。だから書かへんのじゃ」 「おまえの言い分はわかった。ただし、名前は書け。白紙で出すという責任をおまえがとらなくちゃいけない。それは大人も子どもも同
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