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ブックマーク / kajipon.sakura.ne.jp (2)

  • ★追悼~カルロス・クライバーさん、ありがとう!!(1930.7.3-2004.7.13 74歳)

    2004年のある7月の朝。新聞の片隅に「カルロス・クライバー死去」という7行の短い記事を読み、全身から力が抜けてしゃがみ込んだ。1983年の秋頃、当時高校2年の僕はたまたま立ち寄ったレコード屋で、外国人の指揮者が歓喜の表情で指揮棒を振っているポスターを見た。宣伝コピーは『ここでカルロスのタクトが火を噴いた!』。人生でこれほどの笑顔を見たことがなく、僕はポスターの前に立ち尽くした。「クラシックは人間にこんな表情をさせる音楽なのか!」と度肝を抜かれた。“自分は一生のうちに何度こんな笑顔をできるだろう?”、 クラシック・ファンになればこんな体験が待っているのかと、一枚のレコード・ジャケットをきっかけに縁遠かったクラシックを聴き始めた。お気に入りの曲からクラシックの世界に入っていくのが普通で、写真をきっかけにクラシックを聴き出す例はあまりないと思う。 そして…クライバーさんの笑顔は真実だった!それ

  • 作家の墓

    大正期を代表する作家。東京出身。1892年3月1日、牛乳屋を経営する新原(にいはら)敏三の家に生まれる。母はフク。辰年辰月辰日辰刻に誕生したことから龍之介と名付けられた。号は澄江堂主人、俳号は我鬼。産まれる前年に長姉ハツが6歳で夭折している。ハツはとても利発で可愛がられていたが、母がべさせたものが原因で病死し、責任を感じた母はノイローゼになって狐の絵ばかり悲しそうに描くようになった。生後9カ月で母親が心の病で精神病院に入った為、母の実家に預けられ伯母フキに育てられる。芥川家は旧家の士族であり、江戸時代は徳川家に仕え茶の湯を担当し、家には江戸文人の趣味が残っていた。 1898年(6歳)、小学校入学。芥川は早くから和漢の書籍に親しみ、小学生の頃からクラスメートと『日の出界』という回覧雑誌を発行していた。11歳で実母が他界し、翌年叔父(母の兄)の養子となり、名字が芥川になる。 小中と秀才を発揮

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