この本はあとになればなるほどむつかしくなる。第一部「全知識学の根本諸命題」がわりあい明快だったので安心していたが、とんだ誤算だった。おかげで読むのにひどく暇がかかってしまった。しかし、これは読んでいいことをしたと思う。 フィヒテは哲学史的にはカントからヘーゲルへの橋渡しの役割を果したということになっている。しかしヘーゲルをほとんど知らない自分にとってはこの説明はあまりぴんとこない。むしろシュティルナーの自我主義に強固な地盤を与えるものとみるほうが自分にとっては納得がゆく。第二部における「構想力」の称揚、第三部における「絶対的能動性」の感情への適用などをみていると、これははるかにフロイトを予告するものではないか、とさえ思われるほどだ。 ところで、知識学の基礎とはなにか。これを乱暴にひとことでいってしまうと、「事行としての自我」になるだろう。「事行」とはTathandlungの訳語だが、あまり