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J.G.フィヒテに関するushiwatatのブックマーク (2)

  • フィヒテ「全知識学の基礎」(下) - 両世界日誌

    このはあとになればなるほどむつかしくなる。第一部「全知識学の根諸命題」がわりあい明快だったので安心していたが、とんだ誤算だった。おかげで読むのにひどく暇がかかってしまった。しかし、これは読んでいいことをしたと思う。 フィヒテは哲学史的にはカントからヘーゲルへの橋渡しの役割を果したということになっている。しかしヘーゲルをほとんど知らない自分にとってはこの説明はあまりぴんとこない。むしろシュティルナーの自我主義に強固な地盤を与えるものとみるほうが自分にとっては納得がゆく。第二部における「構想力」の称揚、第三部における「絶対的能動性」の感情への適用などをみていると、これははるかにフロイトを予告するものではないか、とさえ思われるほどだ。 ところで、知識学の基礎とはなにか。これを乱暴にひとことでいってしまうと、「事行としての自我」になるだろう。「事行」とはTathandlungの訳語だが、あまり

    フィヒテ「全知識学の基礎」(下) - 両世界日誌
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/10/08
    『全知識学の基礎』。
  • カント、フィヒテ、ヘーゲル、女 - G★RDIAS

    『思想』2007年4月号に、水田珠枝さんによる論文「平塚らいてうの神秘主義(上)」が掲載されている。これは平塚らいてうのフェミニズム思想形成を、当時の思潮や、人間関係、人の人間形成などの点から解明しようとする意欲作である。 この論文を読んでいたら、平塚に影響を与えたであろうドイツ観念論の哲学者たちの女性観が簡潔にまとめられていたので、以下に引用しておきたい。 まずはカント: ・・・女性の性格は劣等であり、しかも女性はその状態から脱却してはならないという。彼は、女性が学問をすることに反対し、女性の哲学は理屈をこねることではなく感じることであるといい、当時の女学者を取り上げて、骨の折れる勉学は女性固有の長所を根絶させてしまうと非難する。また、家族には種の保存という自然が課した目的があり、男女が家族内部で同等に要求をするならば争いが絶えないから、男性が能力において優位にたち、女性を支配しなけれ

    カント、フィヒテ、ヘーゲル、女 - G★RDIAS
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