【ベルリン=中谷和義】1989年11月9日の東ドイツ政府(当時)の記者会見で、東西冷戦の象徴「ベルリンの壁」が崩壊するきっかけになった質問をした西側記者が、「旧東独高官から質問するよう事前に促された」と、最近になって証言した。 当の高官は3年前に死去し、真相はわからないが、歴史の分水嶺となった出来事の陰に「やらせ」質問があった可能性が、ドイツで話題を呼んでいる。 証言したのは、イタリアANSA通信特派員だったリッカルド・エーマン氏(79)。東独の支配政党・社会主義統一党のギュンター・ペチュケ中央委員会委員が「(国民の国外旅行制限を緩和する)旅行法について必ず質問すべきだ」と電話してきたという。 当時、東欧で広がった民主化運動のうねりを受け、第三国経由で脱出する東独国民が急増。同国は厳しい旅行許可条件を緩め、いつでも外国に行けるようにすることで、急激な人口流出を防ぐ必要に迫られていた。 エー