明治初期に西洋文明を取り入れた近代化をさして使われた「文明開化」の文字を記した小皿が、東京・三田の慶応中等部敷地内で出土し、東京・港区立港郷土資料館で17日から来年1月18日まで公開される。 慶応がこの種の品を作った記録はないが、「文明開化」は慶応義塾の創設者・福沢諭吉が最初に使った言葉だけに、歴史の因縁を感じさせる発見として話題を呼びそうだ。 小皿は直径11センチで瀬戸美濃系の磁器。慶応大が2009~10年に行った発掘調査で、明治半ばごろに埋まったとみられるゴミ穴などから計2点見つかった。調査地は1875年(明治8年)には田安徳川家の邸宅になっており、1912年(大正元年)まで同家の敷地。慶応の所有となるのは戦後なので、小皿は同家で使用されていたものと考えられるという。
東北大学(仙台市)の付属図書館には、1922(大正11)年、アインシュタインが、詩人の土井晩翠にあててしたためた2通の書簡が保存されている。晩翠は当時、旧制第二高校の教授をしており、東西文明の交流を詩作のテーマにしていた。来日したアインシュタインに詩を贈って歓迎したことへの礼状で、1通目は栃木県日光、2通目は中国・上海から発信された。晩翠の死後、遺族が東北大に寄付した。アインシュタインは、「アインシュタイン全集」第4巻(翻訳、石原純・元東北帝国大教授)の出版を機に来日を決め、フランスから日本への船旅の途中にノーベル物理学賞の受賞が決まったため、大きな話題を呼んだ。書簡は貴重書として保管されており、通常は公開されていない。 同図書館は、08年に耐震工事をしたばかりで、大きな被害はなかったが、所蔵の貴重書約3000冊が破損し、修復に1年ほどかかる見通しという。【岡礼子】
慶長津波の教訓に学べ あす東北大でシンポジウム 東日本大震災の大津波と同規模だったといわれる1611(慶長16)年の慶長津波をテーマにした「慶長地震津波400周年シンポジウム」が2日、仙台市青葉区の東北大青葉山キャンパスで開かれる。これまで理系の研究者の注目度は高くなかったが、歴史学の視点で再考察し、慶長津波から学ぶべき教訓を考える。 主催は東北大の防災科学研究拠点。東日本大震災の大津波は、869(貞観11)年の貞観地震以来の「1000年に1度」の規模とされている。慶長地震も大地震だったが、貞観地震よりは規模が小さく、地震研究者の間では当時の様子を記した文書の信頼度は高くなかった。 東日本大震災の前から歴史学や文献史学の視点で慶長津波の再検証を模索していた防災科学研究拠点は、震災後に見直し作業を本格化。各種文献を精査した結果、東日本大震災の大津波や貞観津波に匹敵する規模だった可能性が高
社説 大学院大学創立 科学の力で平和の要石に2011年11月21日 Tweet 「世界最高水準の科学技術に関する研究・教育」を掲げる沖縄科学技術大学院大学の創立式典があった。学術、経済などの分野で沖縄振興につながることを期待したい。沖縄の子どもたちにも大きな刺激になろう。来年9月の開学へ向け、県を挙げてその後押しをしたい。 式典で基調講演した米マサチューセッツ工科大学(MIT)のチャールズ・ベスト名誉学長は「研究系大学の目的は、『機会』を創造することだ」と語った。「機会創造」は、まさに大学院大学の設立目的を象徴する言葉だ。 復帰40年近くたっても経済的自立の課題を抱える沖縄が、大学院大学の創立をどう自立へ向けた機会とするかだ。千載一遇のチャンスに全力を尽くしたい。 技術系大学から新しい技術が生まれ、それに引き寄せられて企業が集積する。ハイテク産業が集まるシリコンバレーは、スタンフォ
真木信夫(サナギ ノブオ)氏から、関係資料が寄贈されているか。 咸臨丸子孫の会の方から広島大学に資料が寄贈されているようだと聞いた。 *真木信夫(サナギ ノブオ)氏 S49年没 塩飽(シワク)諸島の歴史関係、海賊史、咸臨丸についての研究者。
「瞑想の松通り」に標識 旧制二高OB「尚志同窓会」命名 新たに設置された標識=仙台市青葉区の市青年文化センター前 旧制二高(現東北大)のOBでつくる「尚志同窓会」が明治期の文芸評論家高山樗牛(1871~1902年)にちなんで愛称を付けた、仙台市青葉区旭ケ丘の市道「瞑想(めいそう)の松通り」に新しい道路標識が設置された。尚志同窓会は会員の高齢化で年内での解散が決まっている。同窓会員は「学校の歴史とともに愛称を知ってもらえたら」と標識の完成を喜んでいる。 対象区間は、台原森林公園の東側を通るいずれも市道仙台駅旭ケ丘線、旭ケ丘幹線3号線と旭ケ丘線の約2キロ。標識は、通りの両端と青葉区旭ケ丘の市青年文化センター前など、計4カ所に設置された。 道路の南端は、旧制二高に学び、教壇にも立った樗牛が思索にふけったとされる「瞑想の松」が近く、これが愛称の由来になっている。 尚志同窓会は、1986年に旧
太平洋戦争末期に開発された風船爆弾にまつわる「現場」を写真でたどる企画展「風船爆弾の風景2011」が、明治大学生田キャンパス(川崎市多摩区)内の同大平和教育登戸研究所資料館で26日、始まった。大勢の研究者や市民が動員された風船爆弾開発の歴史に目を向け、科学と社会との関係を見つめ直そうという狙いで企画された。12月17日まで。(鴻谷 創) 風船爆弾は、気球に爆弾を搭載した兵器。気球部分は和紙とこんにゃくのりで造られ、アメリカ本土を攻撃する兵器として旧陸軍登戸研究所を中心に開発された。 会場には、風船爆弾を放った基地が設置された千葉、茨城、福島の3県、和紙が作られた埼玉県、搭載が計画されていたウイルス兵器を開発する研究所が置かれていた韓国・釜山の現在の風景などを写真で紹介。ひっそりと立つ事故犠牲者鎮魂碑(茨城県北茨城市)など、同大学の学生らが今年3月から10月にかけて各地で撮影したものを中
舞台での芸能発表を通して地域の福祉活動に貢献することを目的とした第2回地域福祉チャリティー公演(主催・地域福祉ゆいの会、石垣市社会福祉協議会)が17日夜、市民会館大ホールであった。市内の各舞踊研究所などから総勢150人が出演した。 今年は「島ぬ宝や歌・踊りと情・ゆい」をテーマに開催され、研究所のほか八重山農林高校郷土芸能部、大川保育所の園児なども出演し、公演に花を添えた。 ゆいの会の大山典子代表は「ゆいの会は、1人でも多くの市民が幸せに暮すことができるようにという視点に立って活動する会。この公演が回を重ね、私たちの輪が大きくなることを祈念する」と活動の広がりに期待を寄せた。 収益金は石垣市社協に寄付される。
宮城大が石碑建立プロジェクト 「津波被害風化させない」 試作した「波来の地」の石碑を眺める三橋教授(右)と学生=宮城県大和町の宮城大 東日本大震災の教訓や被害の大きさを後世に伝えようと、宮城大事業構想学部の三橋勇教授や学生らが、被災した宮城県沿岸部の15市町に石碑を建てるプロジェクトに取り組んでいる。津波が達したことを記録するために「波来(はらい)の地」と刻む。震災発生日の3月11日にちなみ、311カ所への建立を目指しており、メンバーは企業や個人に資金などでの支援を呼び掛けている。 設置するのは15センチ四方、高さ1メートルの石柱。「波来の地」との名称について、三橋教授は「津波が来た場所という意味に加えて、災いをはらい、復興支援に懸命に取り組む人たちに敬意を払い、津波災害に対して永久に注意を払い続けるという三つの願いを込めた」と説明する。 浸水区域周辺の道路脇や民有地に建てる方針で、3
印刷 「種の起源」初版本を手にする岡本宏さん=仙台市の自宅で 進化論で著名なチャールズ・ダーウィンの「種の起源」の初版本が15日、東北大付属図書館(仙台市)に寄贈された。東日本大震災で被災した同館では復興のシンボルになると、科学史に残るこの本の一般公開を含めて活用する。 寄贈するのは仙台市に住む東北大名誉教授の岡本宏さん(72)。膵臓(すいぞう)でインスリンを作る細胞が壊れる仕組みを解明した医学研究で知られ、日本学士院賞などを受賞。門下生にスケールの大きい研究をしてほしいと「ガリレオやダーウィンを目指せ」と言ってきただけに、この名著の初版本への思い入れが強かった。 40年ほど前から欧米の学会に行くたびに古書店を回り、97年にニューヨークの古書店で見つけて2万6千ドル(当時で約300万円)で購入した。自宅で大切にしてきたが付属図書館が創立百周年を迎えるのを機に寄贈を決めた。 続きは朝日
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