「ヴォーリズ火曜喫茶」が開かれている市立水口小学校敷地内の旧水口図書館=滋賀県甲賀市で2018年1月、金澤恵子撮影 滋賀県甲賀市水口町本町1の市立水口小学校敷地内にある旧水口図書館(国登録有形文化財)で、毎月第2火曜の午後1~6時、「ヴォーリズ火曜喫茶」が開かれている。 運営しているのは、2004年に同館の保存改修工事をきっかけに保存活用をしようと集まった人たちが設立した「稚木(わかぎ)の会」。市の指定管理を受け、16人のメンバーが6年…
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「それがどうかした?」と言われてしまうとそれまでなのですが、これ、蒸気機関車にはけっこう深刻な問題でして、そもそも蒸気機関車という代物はその構造上、運転室の前方に長いボイラーがあるし、後方には燃料となる石炭と蒸気を作るために必要な水を積み込んだ炭水車があるために、進行方向に機関車先頭部を向けていても進行方向左側に座る機関士からは前方左側しか見えないし、バックで運転しようとすると通常なら進行方向左側に座っている機関士は、進行方向右側に位置することになるので炭水車に遮られて前方が見えないだけでなく、進行方向左側に設置されている信号機がまったく見えなくなるという由々しき事態に(目隠しして運転するのと大差ない状態)。 このためどんな辺鄙な田舎の駅であろうと終着駅には必ず転車台が設置されていたワケなのですが、新港埠頭の設備図を見ても建設当時……というか震災復興時の書物を見ても、 はたまた各時代の空中
■歴史資料約2000点も収蔵 世界有数の海事都市として知られる愛媛県今治市の礎を築いた実業家、八木亀三郎(1863〜1938年)の邸宅と海事会社「八木本店」が来春、同市波止浜に「八木本店資料館」として開館する見込みとなった。 八木は明治から昭和にかけて、北洋漁業や南方貿易などを手がけ、蟹(かに)工船の先駆者として知られる。今治瓦斯(現四国ガス)を創業したほか、今治商業銀行頭取や旧波止浜村長を務めるなど政財界で活躍した。 資料館は八木が経営した八木本店と旧邸宅で構成され、大正7年に建築された。敷地面積約4200平方メートル、建物は和風の木造2階建てで約574平方メートル。 庭には蟹工船によって運ばれたという巨石がふんだんに配され、勇壮な山水美を醸し出している。本店の奥座敷には日本画家、横山大観の弟子で今治市出身の画家、大智勝観のふすま絵も施され、「蟹御殿」の名で親しまれたという。 当時、県内
――マーティン・ルーサー・キング・ジュニア記念図書館の改修に際して、何が最も大きなチャレンジでしたか? このプロジェクトで最も興味深い点は、建物が1972年に建てられたミース・ファン・デル・ローエの作品であり、ミースはその当時では極めて革新的な建築家であったことです。事業主はワシントンDCの中央図書館で、当時、立ち入るのに危険なワシントンDCのダウンタウン地区に図書館を建てるに当たり、ミースが選ばれました。 図書館は「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」の名を冠していますが、これはいわば偶然でした。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが1968年に暗殺されたからです。もともと図書館はマーティン・ルーサー・キング・ジュニアのためにデザインされた訳ではなかったのです。 その後、黒人の住民によるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアにちなんだ建物を獲得するための運動が起こり、その結果、選ば
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興福寺の旧境内で見つかった窯跡9基。うち4基(A、B、D、G)が南都焼き打ち後に瓦を焼いていたとみられる(奈良県立橿原考古学研究所提供、4基を示す文字を加工しています) 興福寺(奈良市)の旧境内で、治承4(1180)年の南都焼き打ち後に再建用の瓦を焼いたとみられる窯の跡が見つかり、奈良県立橿原考古学研究所が9日、発表した。 調査地は興福寺五重塔から約400メートル北で、県庁の裏側。明治初期まで寺の敷地だった。出土した瓦の特徴から興福寺用の窯と断定した。 見つかった窯跡は9基。「有畦式平窯」と呼ばれ、一つの窯の内部にあぜ状の土台が数カ所あり、その上に瓦を置いて焼く構造。熱が均等に行き渡り、短時間で瓦が焼けるため、大量生産に向いている。中世では一般的な窯という。
県指定の文化財など5棟が全焼した千曲市八幡の 武水別(たけみずわけ)神社の神主・松田家の屋敷「松田館」で25日、県や市町村の文化財担当の職員が焼け跡から史料を探し出す作業を開始した。同市が県教委を通じて、県内市町村に職員の派遣を要請。集まった約30人が洗浄などの保存作業を行った。 焼け跡には、灰や泥にまみれた古文書や食器、硬貨などの歴史的史料が落ちており、職員らが慎重に掘り出した。回収した史料は、市内のプールに運んだ後、ブラシやスポンジなどで洗浄し、乾燥させた。 火災は、市が作業を委託した男性が蜂の巣の駆除作業を行っていた6日夜に発生。江戸時代に建てられた「主屋(おもや)」や「斎館」など5棟が全焼した。同市の岡田昭雄市長は焼失した建物を復元する意向を示している。 保存作業は、10月2日にも約40人が参加して行われる予定。
日経アーキテクチュアの最新号に掲載した建築物をピックアップ。今号の1枚は、浅田美浩さんが撮影した「漱石山房記念館」です。「建築プロジェクトデータベース」(ウェブ有料会員サービス)では、雑誌の発行と連動して最新の建築情報を更新。概要データや写真・図面などを見ることができます。 「漱石山房通り」と名付けられた坂道から建物を見る。夏目漱石は現在の東京都新宿区で生まれ育ち、生涯を閉じた。実際の「漱石山房」の建物は1945年の空襲で焼失。土地は戦後、都が譲り受け、後に区に移管された(写真:浅田 美浩) (日経アーキテクチュア10月26日号フォーカス建築から) 夏目漱石が晩年の9年間を過ごした家は「漱石山房」と呼ばれ、現在の東京都新宿区早稲田南町7番地にあった。「三四郎」や「こゝろ」などの代表作が生み出された場所だ。「漱石山房記念館」はその跡地に立つ。2014年の公募型プロポーザルで選ばれたフォルムデ
東京・銀座のはずれに、風変わりな建造物がある。かつて日本の未来のビジョンを体現していた「中銀カプセルタワービル」だ。 設計者は「メタボリズム」のパイオニア、黒川紀章氏。メタボリズムは1960年代の建築運動で、急速かつ継続的に発展する都市景観の変化に適応し得るようなダイナミックな建物という概念を提示した。(参考記事:「エコ都市を目指すドバイ」) タワービルは洗濯機を積み重ねたような外観だ。鉄筋コンクリート造の2つのタワーと、「取り外し可能」な直方体の部屋から成る。各部屋の床面積は約10平方メートル。工場で製造したものを4つのボルトでタワーに固定している。タワーはそれぞれ11階建てと13階建てになる。カプセルと呼ばれる部屋には、つくり付けの家具や電化製品が完備されており、航空機のトイレと同じ大きさのバスルームもある。
1979年、名護市の新しい市庁舎のための設計競技が行われました。 300を超える応募総数だったようで、沖縄の現代建築のみならず、当時の日本建築界において画期的な出来事であったようです。 当時、モダニズムからポストモダンへと移行していくなか、アメリカの建築批評家ケネス・フランプトンによるクリティカル・リージョナリズム(批判的地域主義) が1981年に提唱されますが、まさしく地域と風土性とは何かと言うものが問われてきた時代でした。 主催者の名護市は、設計競技において、「沖縄における建築とはどのようなものであるか」、「その市庁舎とはどのようなものか」を問い、 非常に重要な設計競技の趣旨を述べています。以下長文ですが 「名護市庁舎設計競技の趣旨 1.目的と意義 本協議の目的は、次のとおりである。すなわち、沖縄の地域特性を体現し、かつ要求される諸機能を果たすことが出来るとともに、市のシンボルとして良
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