6日午後7時前、長野県千曲市八幡にある歴史的な神主屋敷「松田館(やかた)」(松田孝弘さん方)から出火。千曲坂城消防本部が消火したが、同館敷地内の建物数棟が焼けた。同消防本部によると、この火災で、60代の男性が煙を吸って長野市内の病院に搬送された。 松田館は、隣接する武水別(たけみずわけ)神社神官の屋敷で、敷地は県の史跡。江戸時代の建築とされる主屋(おもや)などは県宝に指定されている。
金華山織など美しい装飾、調度品を備えた「朝日の間」。国・公賓との謁見の他、東京サミットなどでも使われた。工事が始まる前に撮影=東京都港区で2017年2月2日午前10時49分、小出洋平撮影 日本唯一の純ヨーロッパ風の宮殿・赤坂離宮が、迎賓館に生まれ変わって今年で43年になる。芸術院会員で文化勲章受章者の建築家・村野藤吾(1891~1984年)の監修のもと、1968年から5年余りの歳月と103億円の巨費を投じて、文化的価値のあるものは全て復元、空調などの近代設備も完備した。ようやく国・公賓にふさわしい“最高級ホテル”に生まれ変わったのだ。 建物にひとたび足を踏み入れると、天井絵画や豪華な織物など、きらびやかな装飾に圧倒される。明治日本から続く伝統の重み。当時の最高技術を結集した宮殿が創建100年を迎えた2009年には、国の重要文化財と国宝に指定された。ただ、長年の風雪や戦争被害、高温多湿な気候
16日に国の文化審議会が史跡に指定するよう答申した陸軍板橋火薬製造所跡(板橋区加賀1)には、現存する国内最古の火薬研究所と射撃場の跡があり、近代の産業遺産として価値が認められた。区は製造所跡を、史跡公園として整備。東京五輪・パラリンピックがある2020年に一部オープンし、23年に全面開業する。 (増井のぞみ) 特に貴重とされる射撃場は一八七七(明治十)年にできた。小銃などの弾の速さを計測する弾道管が火薬の燃焼実験室から延び、五十メートルあったうち三十メートルが今も残る。現在は区立加賀公園として使われている場所の築山には、射撃場から弾を撃ち込んだレンガ積みの標的がある。
国の文化審議会(馬渕明子会長)は16日、「沖縄県鉄道与那原駅跡」(沖縄県与那原町)を新たな登録記念物(遺跡関係)に登録するよう松野博一文部科学相に答申した。近く官報に記載されて正式に認められる。 県内の登録記念物は、今回を含め5件(遺跡関係では2件)となる予定。
プロ野球の歴史に欠かすことができないのが、その舞台となる球場。かつてプロ野球チームの本拠地として多くの観客でにぎわいながら、現在は姿を消してしまった球場も多い。昔プロ野球の本拠地で使用された懐かしい球場で繰り広げられた名勝負、名場面とともに振り返る。スタンドでの「流しそうめん」など昔ならではの光景も‥‥? 後楽園球場1937年開場~1987年閉場(同年フランチャイズ終了) 本拠地球場とした球団:読売ジャイアンツ、日本ハムファイターズなど プロ野球の“聖地”と呼ばれた球場。プロ野球が本格的スタートしたのは1936年。後楽園球場はその翌年の1937年から開場し、天覧試合で長嶋茂雄が放ったサヨナラ本塁打や、王貞治のハンク・アーロンを超えの756号本塁打、現役最後の868号本塁打など、1987年に閉場するまで巨人の数々の名場面を見届けてきた。閉場と同時に取り壊され、現在は跡地に東京ドームホテルなど
京都大学図書館機構は、このたびオープンアクセス推進事業(*1)の一環として、国立大学改革強化推進補助金の経費により、工学研究科建築学専攻が所蔵する重要文化財「ジョサイア・コンドル(*2)建築図面」358点を電子化・公開しました。 今回、電子化したコンドル建築図面の中には、ジョサイア・コンドル晩年の大作である「島津邸」、「古河邸」、「成瀬邸」など貴重な建築図面が多数含まれており、これら建築図面を公開し提供することで、国内外の建築学、近代日本研究はじめ様々な分野の研究者に広く利用され、研究の発展に資するものと期待しています。さらに近代日本建築の礎を築いたジョサイア・コンドルの建築図面を公開・発信することで、日本の建築文化の世界的な普及につながればと考えています。 なお、画像は京都大学図書館機構蔵書検索 kuline から公開しており、平成29年8月には、デジタル画像相互運用のための国際規格II
四月に開館した大磯町国府本郷の旧吉田茂邸の入場者が、三万人を突破した。中崎久雄町長が二十六日の記者会見で明らかにした。同町は年間で三万人を想定していたが、二カ月足らずで達成。役場職員は「これほど注目されるとは思わなかった」と話している。 三万人を突破したのは二十四日。一万人目の来場者には記念品を贈呈したが、予想外に早い三万人達成のため、今回は記念品贈呈を見送った。町によると、来場者は中高年が多く、県外からのリピーターもいる。また、建築物としての価値を評価して訪れる建築家や建築業者もいるという。
芝生の緑が美しい広い庭に足を踏み入れ、この屋敷を目の当たりにすると、思わず「おぉ」と感嘆の声が漏れる。かつては細川侯爵邸だった「和敬塾本館」。原則非公開だが、毎年5~12月の間で約15回、一般公開を行っている。 「和敬塾」は1955年創設の男子学生寮。産業用冷凍機製造会社・前川製作所の創業者である故前川喜作氏が、戦後の荒廃を見て教育の重要性を感じ、私財を投じて環境を整えた。そのために購入したのがこの広大な敷地と邸宅。 熊本藩主を務めた細川家の江戸下屋敷があった場所で、1936年に細川護立侯爵の本邸として建てられた。イギリスのチューダー・ゴシック様式を基調とする洋風の外観ながら、内部には和室もあれば、エキゾチックなデザインの部屋もある、自由な和洋折衷型。1998年に東京都の有形文化財にも指定された。 一般公開はガイド付きの見学会形式。30人ほどで回る。吹き抜けの大ホールが広がる玄関、中国風の
京都市中京区の老舗出版社「平楽寺(へいらくじ)書店」の国有形文化財に登録されている店舗が、解体されることになった。築90年で老朽化が進んでいるが、所有者が改修費用を賄えなかったという。解体してマンションを併設した店舗兼住宅に建て直されることになり、文化財登録は抹消される。 平楽寺書店は仏教関係の学術書を扱う出版社で、日本有数の歴史を誇る老舗。丹波の武士・村上浄徳が安土桃山~江戸時代の慶長年間(1596~1615)に、京で書籍商を開業したのが始まりという。 1913(大正2)年、他の出版社にいた故・井上治作氏が譲り受けた。その治作さんが27(昭和2)年に建てたのが洋風の鉄筋コンクリート造り3階建ての店舗で、木造2階建ての住宅とつながっている。店舗は2階から3階部分の「トスカーナ様式」の柱2本が特徴的で、98年に国有形文化財に登録された。 しかし、建物が老朽化して道路側に傾き、耐震性が懸念され
長崎市で江戸時代から続く料亭「富貴楼(ふうきろう)」が、6月10日で休業する。伊藤博文が名付けた老舗で、建物は国登録有形文化財。後継者がいないことや従業員の人手不足が原因で、再開のめどは立っていないという。 富貴楼の前身は1655年ごろには営業していた料亭で、1887年に初代内田トミさんが親戚から引き継いだ。初代総理大臣を務めた伊藤博文が89年に訪れ、トミさんの名前などから「富貴楼」と名付けた。1969年の長崎国体の時には、当時の皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)に昼食を出前した。長崎伝統の卓袱(しっぽく)料理が有名で、市民の間でも祝いの席などで親しまれていた。 6代目の内田一さん(69)によると、後継ぎがいないことに加え、従業員の高齢化や人手不足から、続けていくのが難しいと判断したという。売り上げはバブル期の10分の1に落ち込み、庭や建物の維持費もかかり、「個人経営で続けるには困難にな
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昭和初期のモダンな建築として知られ、野坂昭如の小説「火垂(ほた)るの墓」にも登場する神戸市東灘区の市立御影公会堂が約1年間の耐震改修工事を終え、6日、地元関係者に披露された。 地上3階、地下1階。430人収容のホールを備える。神戸市の初代営繕課長を務めた清水栄二が設計し、1933年に完成。船を模したとされる曲面が特徴的なアールデコ風のデザインだ。映画やドラマのロケにも使われ、地元のシンボルとして長年親しまれてきた。95年の阪神・淡路大震災時には避難所にもなった。 今回の改修では、窓枠のサッシの色を茶から緑にしたり、照明をランプに変えたりして、建築当初の雰囲気をよみがえらせた。10日から、再び市民らの集会場として使われる。(西見誠一) ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ
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