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2009年に焼失した吉田茂元首相の旧居(神奈川県大磯町)が再建され、4月1日から一般公開される。同町のホテルで26日、孫の麻生太郎副総理らが出席して落成記念式典があった。麻生氏は「(子どものころ)毎週末連れてこられて迷惑した。いい思い出がない」などと述べ、戦後の大物宰相宅の再建を「麻生節」で祝った。 旧吉田茂邸は、養父が1925年に建てた別荘を、元首相が第2次大戦後から昭和30年代にかけて増改築。元首相の死後の79年、当時の大平正芳首相とカーター米大統領の日米首脳会談が開かれるなど政治ショーの舞台となってきた。 「吉田御殿」と呼ばれ、多くの政治家が訪ねる光景は「大磯詣で」と称された。少年時代の麻生氏が閣僚候補の名前が書かれた巻紙を両手で広げ、元首相がマルやバツをつけたという組閣時の逸話も残されている。 09年3月、漏電とみられる火災で焼失。全国からの寄付なども充てて再建した。革張りのソファ
保存・修理工事が進められているJR門司港駅が、大正時代に建てられた当時の姿によみがえります。 国の重要文化財である門司港駅の駅舎 JR九州は2017年3月21日(火)、保存・修理工事を進めている門司港駅(北九州市門司区)の駅舎復原方針と今後の日程を発表しました。 門司港駅は九州における鉄道の玄関口として、1891(明治24)年に「門司」駅として開業。1914(大正3)年に移転し、このときから現在の駅舎が使われています。1942(昭和17)年、関門海峡をくぐる関門トンネルの開通にあわせ、「門司港」駅に改称。1988(昭和63)年には鉄道駅として初めて、駅舎が国の重要文化財に指定されました。 復原後の駅舎イメージ(画像:JR九州)。 駅舎の工事は2012年に着手され、以降、解体調査・工事が進められてきました。復原方針としては、創建(1914年)当時の姿に戻すことが基本とされます。ただし駅舎正面
青い空に煉瓦の赤がくっきりと映える。ピリッと冷えた朝の空気を、熱い思いが籠もったピアノの音が振るわせる――今月いっぱいで閉庁する奈良少年刑務所のお別れイベントとして、ジャズピアニストの山下洋輔さんが11日、構内で野外演奏会を開いた。近隣の住民など約450人が演奏を堪能した。 重要文化財に指定された奈良少年刑務所の庁舎同刑務所は、旧奈良監獄時代から続いた108年にわたる歴史に幕を閉じるが、建物は国の重要文化財に指定され、観光資源として保存・活用されることになっている。この刑務所を設計したのは、山下さんの祖父山下啓次郎。山下さんは、地元の人らが作った「奈良少年刑務所を宝に思う会」の会長となり、保存運動の先頭に立ってきたが、その念願が叶ってのコンサートだ。 朝10時から聴衆を前にしての演奏は「生まれて初めて」という山下さんだが、祖父の作品である建築物を前に、自作の『ゆずり葉の頃』、奈良をイメージ
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建築家・前川國男が設計した建物のある全国8自治体で構成する「近代建築ツーリズムネットワーク」が発足し、2月1日にキックオフイベントを東京文化会館で開催した。参加8自治体の中心になっているのは青森県弘前市。日経アーキテクチュア「建築巡礼」で、2008年に弘前市民会館をリポートしているので、特別にそれを公開する。
現存する円形校舎で、日本最古のものが鳥取県倉吉市に存在している。 数年前まで、老朽化のため解体される。という話だったのだが、なんやかんやあって、解体されることはなくなったらしいが、いったい、いまどうなっているのだろう?
戦後日本を代表する建築家・村野藤吾(1891〜1984)によるモダニズム建築の代表作として知られ、市民会館の草分けでもある「八幡市民会館」(福岡県北九州市)が解体の危機にひんしている。世界遺産でもある「八幡製鉄所」で知られる当地で1958(昭和33)年、当時の八幡市制40周年を記念して建築、戦後復興と民主主義のシンボルとして長年、市民に親しまれてきた。 しかし、老朽化が進み、バリアフリー化や耐震化などにかかる維持管理費がねん出できないとして、北九州市は2014年に機能停止を決定。存続を求める市民3000人が署名を提出したものの、2016年3月には閉館した。これに対し、地元経済界や建築家らで構成する団体が2016年6月、現代美術館としてリノベーションする提案を行ったが、北九州市は「資金的な裏付けが不十分」であるなどとして、難色を示している。
2014年11月。製鉄所OBの菅和彦さん(70)=北九州市=は「八幡製鉄所土木誌」のあるページで手をとめた。大正時代から終戦までの建物配置図。「ロール旋削工場」の脇に設計担当者らしい「村野・東郷」の名が記されていた。 「2人の連名のようだが、村野藤吾の誤記ではないか」。ピンときたのは、村野が製鉄所内の工場を設計したらしいと知人から聞き、十年来それらしき建物を探してきたからだ。その隣の「ロール鋳造工場」に「長谷部・竹腰」と、大手設計会社、日建設計(東京都)の母体となる建築事務所の名があったことも、著名建築家の名を連想させるのにつながった。 菅さんは製鉄所の記録を調べ、会社のOB会報で「自説」を発表。朝日新聞が京都工芸繊維大に確認するなどし、現在はロール加工工場と呼ばれる建物が村野の設計と判明した。 設計図を確認した同大の笠原一…
日本を代表する建築家の一人、村野藤吾(1891~1984)が戦時中に設計した日本製鉄(現・新日鉄住金)八幡製鉄所の工場が、北九州市戸畑区に現存し、稼働していることが分かった。刊行されている村野の年譜には同製鉄所の複数の工場を設計したとの記録があるが、実際に建てられたのかはこれまで不明で、「幻の工場」だった。 村野が設計したのは、八幡製鉄所の戸畑地区にあるロール加工工場。幅60メートル、奥行き150メートルの鉄骨造で、新日鉄住金の子会社の日鉄住金ロールズが所有している。1941年に建てられ、当時も今も、鉄板を延ばす円柱のロールを製造している。 京都工芸繊維大の笠原一人・助教(近代建築史)がこのほど、同大の美術工芸資料館が所蔵する5万点を超える村野の図面の中から八幡製鉄所の三つの工場の設計図を確認した。 設計図の表題はいずれも八幡製鉄所が所有する建物の記録と一致。その一つが「戸畑ロール旋削工場
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