2015.08.10 UP 本展覧会の図録が会場にて好評販売中です! サティの音楽をお楽しみ頂けるCD付き図録となっておりますのでこの機会に是非、お買い求めください。 2015.08.10 UP ベヒシュタインのピアノを展示 本展展示室内にて、1925年頃に製造された大変貴重なベヒシュタインのピアノを展示しています。
角川映画、角川アニメがつまらないと言われるのか? 正直な話全てがすべてつまらないわけでは無いと思います。勿論、犬神家の一族といった素晴らしいものもありますし、流石にその総量が圧倒的に多いだけあって、当たり作品もチラホラ見受けられます。ただ、比較的多いのが、悪くはないけれど刺さらない、誰に向けて作ったものなのかが謎、原作を理解していないという失敗例です。物によっては原作付きのマンガやアニメ、はたまた映画に関しては吐き気を催すひどい出来のものもあったりします。さて、実際にどうしてそのような評価を受けてしまう作品があるのか一つ一つの原因を見て行きましょう。 悪くは無いけど刺さらない これはあまりにも、指定とする読者がぼやけている時に起こる問題の一つです。特に多くの大衆に受け入れられるものを作る為には、極端な要素や、過激すぎる表現を抑え、当たり障りのないようにやるのが正解ではあるのですが、勿論、そ
Media Shakersが運営する「R25」は7月3日、同社が手掛けるフリーマガジン『R25』と、Webサイト「web R25」のブランドを10月1日に統合し、デジタルデバイスをメインとしたメディアにリニューアルすると発表した。 これに伴い、「R25」は2015年9月24日発行号をもって定期刊行を終了。以降は、『R22』『R40』『L25』などの特別号のみを発行していく。 スマートフォンをはじめとするデジタルデバイスからのアクセスが急増していることが理由。担当者によると、「R25」の発行部数が減少していたということはないという。 統合後のweb R25では、従来の「ニュースコラム型コンテンツ」に加え、フリーマガジンで掲載してきた「特集型コンテンツ」も提供していく。 「R25」は2004年7月1日創刊。もともとは20歳~34歳のビジネスマンをターゲットにしていたが、10周年を機にターゲット
スイスのチューリヒにある国際サッカー連盟本部に掲示されたFIFAのロゴ(2015年5月30日撮影)。(c)AFP/FABRICE COFFRINI 【7月3日 AFP】元国際サッカー連盟(FIFA)の事務局長が、組織内の大改革が行われない限りスポンサーの大企業が離れていくことになると警鐘を鳴らした。 ジョセフ・ゼップ・ブラッター(Joseph Sepp Blatter)会長の下で、1998年から2002年まで事務局長を務めていたミシェル・ゼン・ルフィネン(Michel Zen-Ruffinen)氏は、スキャンダルにまみれたFIFAの「規律」が整えば復帰する可能性もあると明かしている。 元事務局長のブラッター氏が会長に就任したことを受け、その後任に就いたゼン・ルフィネン氏だったが、2002年には会長のリーダーシップのスタイルを批判し、不正経営を糾弾する報告書を作った後に退職していた。 AFP
皆生温泉・老舗旅館 再生に異なる2案 来春、決定見通し 白扇側「大山どり」スポンサー企業 米子信金側 東京の企業に譲渡、弁済
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日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見する琉球新報の潮平芳和編集局長(左)と沖縄タイムスの武富和彦編集局長(2015年7月2日撮影)。 (c)AFP/Toru YAMANAKA 【7月3日 AFP】自民党の国会議員らが勉強会で政府に批判的なメディアを懲らしめるなどと発言したことを受け、名指しで批判された沖縄タイムス(Okinawa Times)と琉球新報(Ryukyu Shimpo)の編集局長が2日、都内の日本外国特派員協会(Foreign Correspondents' Club of Japan、FCCJ)で記者会見し、民主主義と報道の自由が危機的な状況にあると訴えた。 自民党は先週、安全保障関連法案をめぐって政府の方針に批判的な報道機関に圧力をかけるべきとするような発言をした大西英男(Hideo Onishi)衆院議員をはじめとする勉強会の出席議員を厳重注意処分としている。 琉球新
1972年(昭47)センバツに出場した岩手・専大北上のエース右腕畠山司(現在59)は、初戦の花園(京都)戦で15奪三振完封し、県勢春初白星を飾った。同じく専大北上に進んだ長男雅徳は97、98年にエースとして、次男で現ヤクルトの和洋は内野手として98年、00年に甲子園の土を踏んだ。 専大北上に入学する時は「遊び半分」の気持ちで、甲子園なんて夢にも思わなかった。168センチ、60キロの小柄な体。当時のチームには投手が1人しかおらず1年秋からエースになった。秋の東北大会で準優勝し、同校初出場をほぼ手中におさめても実感が湧かない。だが、いざ甲子園に入ると自然と体が熱くなった。 畠山 大きな大会になると負けず嫌いだから自然と熱くなる。恥ずかしい程度の変化球しか持ってないから、カーブを見せ球にするぐらいで、ほぼストレートだけ投げました。ただ、自分で言うのもなんですが、捕手が構えたところに投げられた。イ
1984年(昭59)のセンバツで、甲子園初出場の大船渡は次々と強豪を打ち破り、岩手県勢初の春4強入りを果たした。吉田亨捕手(現在48)は主将としてチームを統率し快進撃を支え続けた。だが夏にはその「4強」が逆に重圧となり、ナインにのしかかる。 84年4月、準決勝の岩倉戦でバント処理する大船渡・吉田 全国で記録的な大雪が観測された84年。春の甲子園では火を噴く打線「火の玉野球」を掲げた大船渡旋風が吹き荒れた。初戦で多々良学園、2回戦で日大三島、準々決勝では四国の雄・明徳義塾を下し3勝。主将としてチームをまとめたのが吉田だった。 吉田 印象に残っているのは明徳戦。1-0の8回無死二塁で、けん制で二塁走者を刺した場面です。練習してきたサインプレーがずばりと当たった。今考えても初出場チームが明徳相手に冷静だったなと思う。 2戦で完封したエース左腕金野、4戦2本塁打の4番鈴木、チャンスメーカー1番木下
りんご畑が広がる津軽地方からやって来た「りんごっ子」が、全国にその名を知らしめた。2013年(平25)夏、弘前学院聖愛(青森)が初出場して2勝を挙げた。右横手投げのエース小野憲生(東北福祉大2年)は玉野光南(岡山)との1回戦で完封勝利するなど、甲子園で活躍した。有名になった「りんごっ子」の愛称。小野をはじめ、選手たちは伝え聞くまでまったく知らなかった。 5月の新人戦で力投する東北福祉大・小野 弘前学院聖愛といえば「りんごっ子」。実は選手はその言葉を、直接聞きも知りもしなかった。 小野 僕らは「りんごっ子」なんて、誰も言っていない(笑い)。新聞とか見て知っただけなんです。知らない間に「りんごっ子」になっていた。今でも故郷に戻ってみんなで集まると「誰が言ったんだ」と話題になるんです。 2年前の夏、初めて青森大会を優勝した後のインタビュー。原田一範監督(37)が初めて「りんごっ子」という言葉を口
1969年(昭44)夏、2度目出場の仙台商が初の8強入りを果たした。9番遊撃手として甲子園2勝に貢献したのが現南三陸町長の佐藤仁氏(63)だ。のちにヤクルト入りした4番八重樫幸雄捕手らとともに、足を使った機動力野球で、宮城の伝統校に新しい1ページを記した。 震災の年の秋。佐藤のもとに意外な訪問者があった。約40年前の甲子園1回戦で戦った御所工(奈良)の久保捕手だ。3点リードの9回表1死一、二塁。犠打で二塁走者の佐藤が快足を飛ばして一気にホームを狙うも久保にタッチアウトされた。間一髪のクロスプレーは、同年8月29日号の「アサヒグラフ」誌の表紙を飾った。 佐藤 甲子園後は交流はなかったのですが、南三陸町長があの時のランナーだと知って、奈良から車を運転して見舞金を持って激励に来てくれた。甲子園の昔話などをしてね。ずいぶん勇気づけられました。 69年夏、仙台商の9番ショートとして聖地の土を踏んだ。
青森野球部は1903年(明36)創部で夏の甲子園に4度出場した。1960年(昭35)に甲子園で初勝利。青森勢の夏の甲子園初白星でもあった。当時のエース工藤浩二さん(72=栃木県栃木市在住)は県大会、北奥羽(青森・岩手)大会、甲子園で5試合連続完封を含む57イニング連続無失点の記録をつくった。それを支えたのは猛練習と仲間への信頼だった。 60年夏の甲子園1回戦で青森が東北(宮城)を1-0で破った。東北は前年ベスト4の強豪だったが、工藤が2安打4三振4四球で完封。バックは無失策で支えた。8回には工藤が自ら二塁打を放ち、唯一の得点のホームを踏んだ。学校としても県としても待望の夏初白星に地元は沸いた。 工藤の無失点記録は県大会の初戦七戸戦(6-4)の8回から始まる。準々決勝青森工戦(1-0)準決勝弘前戦(10-0)北奥羽大会・準決勝宮古戦(延長11回、1-0)決勝一関一戦(1-0)甲子園初戦と5試
52年前の1963年(昭38)春、甲子園のマウンドに「奇跡の投手」が立った。大曲農(秋田)の高橋茂さん(70)。62年秋の東北大会で全3試合を完封した右腕は、大会後に修学旅行を終えて東京を経由して秋田に戻る列車から転落し、意識不明の重体に陥った。頭蓋骨骨折、脳内出血を乗り越えてセンバツの舞台にたどりついた。 1963年、春2回戦のスコア これまでとは違う球に、高橋は気が付いていた。大曲農が初めて甲子園の土を踏んだ享栄商(愛知=現享栄)との初戦2回戦は、1回表に先制点をもらっていた。 高橋 いつもは130キロを超えていたスピードが戻らない。球がいかない。力めば力むほど球が走りませんでした。 1回裏に2点を失って逆転された。2-2の4回に2点を勝ち越され、5回に1点、6回には5点を奪われた。 高橋 ドロップ(落ちるカーブ)が決め球でした。そのドロップを投げる前に打たれました。ストライクを取りに
オリックス丸毛謙一外野手(26)が“引退試合”を行った。5番左翼で1回表の守備だけ出場。後方に上がった2番安部の左飛をしっかりラストキャッチした。 1回表が終わるとナイン総出で迎えられ、ベテラン谷から花束が贈られた。「こんな盛大なセレモニーをしてもらって、十分悔いのない終わり方ができました。自分自身よくやったと思います」。スタンドからは両親が観戦。丸毛は涙を浮かべて感謝した。今年2月の1軍宮崎キャンプの守備練習中に左側頭部に打球が直撃。急性硬膜外血腫の開頭手術を受けてリハビリしてきたが、同じ場所に当たると、生命を脅かすリスクがあることから引退を決断した。任意引退の手続きを取り、今後は2軍スタッフとしてチームを支える。
セブン-イレブンが一部地域で発売した「セブンカフェ アイスカフェラテ」が、「正確にはカフェオレなのでは」と、利用者の間で議論を呼んでいる。コーヒーを入れる専門家でつくる日本バリスタ協会がカフェラテと呼ぶのは「エスプレッソと牛乳を混ぜた飲み物」。しかし、セブンは店舗にエスプレッソの抽出機がなく、ドリップコーヒーと牛乳を混ぜる「カフェオレ」の製法でつくっているからだ。コンビニで過熱するコーヒー競争は、細かい製法やネーミングにも広がっている。 (白山泉) カフェラテはイタリアのカフェ発祥の飲み物。日本ではスターバックスの進出などとともに普及し、女性を中心におしゃれな飲み物というイメージが広がった。一方、カフェオレは十七世紀ごろからフランスで飲まれてきたドリップコーヒーと牛乳を混ぜた飲料だ。 コンビニでカフェラテの販売が始まったのは二〇一一年以降。ローソンとファミリーマートがエスプレッソ式のコーヒ
EM菌提唱者である琉球大学名誉教授の比嘉照夫氏が6月2日、EM菌の効果を疑問視する朝日新聞の記事で名誉を傷つけられたとして、朝日新聞社に約350万円と謝罪広告を求める訴訟を東京地裁に起こしたと産経新聞が報じています。記事によると、比嘉氏は訴状で、記事によってブログを無断引用され「非科学的なコメントをしたかのようにネット上でも拡散され」たと主張しているとのことです。 朝日新聞の記事は、青森県版に掲載されたほか「効果疑問のEM菌 県内3町が奨励」として朝日新聞デジタルにも掲載されました。記事を執筆したのは、2010年にホメオパシー問題の報道にも精力的に取り組んだ長野剛記者。 今回、比嘉氏が提訴したのは、2012年7月3日と11日に掲載された2本の記事。7月3日の記事は、青森県内の学校で、EM菌を川の水質浄化に用いる環境教育が行われていおり、〈県は、効果を十分検証しないまま、学校に無償提供して利
私たちは「敗戦」を迎えたあの時代から続く一本のタイムラインの上をいまも変わらず歩き続けている。振り返れば戦前、戦中、戦後に隔たりはなく、かつての日常の連続の上に私たちの日々の暮らしがあるのだ。多くの犠牲と惨禍をもたらしたあの不条理な戦争の記憶は時の経過と共に薄れ、風化が進んでいる。しかし、ひとたび沖縄へ目を向けると、私たちが「風化」という言葉によって、いかに冷たい目線の投げかけに加担してしまっているか気づかされ、強い自戒の念を感じざるを得ない。なぜ、沖縄にあれだけの数の米軍基地が集中しているのか、私たちは知っているだろうか。報道で伝えられる「沖縄の怒り」という言葉の源流に想いを馳せることができているだろうか。 私は米軍基地問題と向き合い続けてきた沖縄の歴史を知るために、先日、元沖縄県知事の大田昌秀氏をはじめ沖縄戦を体験した方々の元を訪ねた。 大田氏は1925年生まれの90歳。学徒兵として沖
記事一覧 福井県内の大学講師が大麻所持か 職務質問で容疑判明、6月逮捕 (2015年7月3日午後4時30分) 福井県内の大学の40代男性講師(当時)が6月下旬、大麻取締法違反(所持)の疑いで県警に逮捕されていたことが2日、捜査関係者への取材で分かった。県警が入手先を調べている。 捜査関係者によると、福井市内の路上でパトロール中の警察官が職務質問し、大麻所持の容疑が分かったという。その後の家宅捜索で大学からも大麻が見つかったらしい。 本人のfacebookどによると、講師は福井市在住。この大学には今年4月から勤務し、スポーツや健康に関する研究・指導を行っていたほか、部活動の顧問も務めていたという。 福井県内の最近の事件・事故網羅「福井新聞D刊」
當間 一郎会長 沖縄芸能史研究会(當間一郎会長)が4、5の両日に那覇市の県男女共同参画センター「てぃるる」で開かれる第40回研究発表大会で40年の活動を終える。発足当初から会の運営を担ってきた當間会長の後継者がいないためだ。 同会は研究者だけでなく芸能実演家も会員となり、先達(せんだつ)や自身の芸について解説してきたのが特徴。當間会長は「舞台に立つだけでなく研究発表してもらい、実演家の底上げにつながった」と成果を振り返った。 同会は1975年に発足し、照屋寛善氏が初代会長に就任した。崎間麗進氏が二代目会長を務め、當間氏が99年から会長を務める。 月例研究会と年1回の研究発表大会を40年続け、月例研究会はことし6月の第436回で終了した。芸能の大家の指導法や人柄などについて弟子が発表する「わが師を語る」シリーズは95年に本にまとめられ、貴重な記録となっている。87年からは組踊と能の比較鑑賞会
琉球王朝時代の1835年に作成された公文書。「久志間切大浦村」「久志間切川田村」などと記されている 新基地建設の準備が進む名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ内の海岸沿いで、琉球王朝時代の船舶用の重り「碇石(いかりいし)」が見つかった件で、琉球大学の真栄平房昭教授は2日までに、辺野古沖一帯が当時、輸送船の拠点だったことを裏付ける琉球王府の公文書を確認した。 真栄平氏は「外部から持ち込まれたのではなく、その地域一帯が交通拠点だったことを物語る。沖縄の海上交通史を知る上で重要な手掛かりだ。他にも碇石がないか、一帯を丁寧に調べる必要がある」と話した。 公文書は「道光15未年(ひつじどし)御手形写」で、薩摩への上納物などを取り扱う琉球王府の部署が1835年(道光15年)に作成した手形の写しだ。約200ページにわたり、船の大きさや積み荷量、船籍地、船頭名などが詳しく記されている。船籍地には「久志間切
決議に込められた県民の思いを、安倍晋三首相は正面から受け止めるべきである。 自民党勉強会で国会議員らが報道に圧力をかけるような発言をした問題で、県議会が発言の撤回と県民への謝罪を求める抗議決議を賛成多数で可決した。決議の宛先は自民党総裁である安倍首相だ。 自民党会派は宛先が党総裁だったことなどに難色を示し、反対した。全会一致とならなかったことは残念だが、自民会派も党本部で起きた今回の問題を苦々しく思っていることを首相は肝に銘ずるべきだ。 自民会派が提出した「不穏当発言に反省を求める決議案」は否決されたが、一連の発言を「沖縄に対する無理解と認識不足を露呈し、基地の重圧に苦しむ県民の感情を逆なでした」と批判した上で「言論の自由や報道の自由が制約されてはならない」と訴えている。 一方、可決された決議は沖縄2紙が「左翼勢力に乗っ取られている」と主張した国会議員発言を「県民をも侮辱するもので到底、看
自民報道圧力問題の抗議決議を賛成多数で可決する県議会=2日午後5時13分、那覇市の県議会議場 自民報道圧力問題で県議会6月定例会は2日の本会議で、与党が提案した報道機関への言論圧力と県民侮辱の発言に抗議し、発言の撤回と県民への謝罪を求める決議を賛成多数で可決した。決議では同問題について「報道機関だけでなく、県民をも侮辱するもので看過できない」と批判している。 宛先は安倍晋三自民党総裁。野党自民党は党内の勉強会での発言が不穏当だとして発言者に反省を求める決議を提出したが、賛成少数で否決された。 与党側は決議の質疑や討論で報道圧力などの発言が自民党の勉強会の場で出たとして、議員個人の問題ではなく党の責任者である安倍総裁への抗議が必要だと強調した。 自民党は勉強会が議員有志による私的な場だったなどとして総裁への抗議は不当だと主張した。 抗議決議では勉強会で出席議員が「マスコミを懲らしめるには広告
記者会見する沖縄タイムスの武富和彦編集局長(左)と琉球新報の潮平芳和編集局長=2日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ 【東京】自民報道圧力問題で琉球新報と沖縄タイムスの両編集局長が2日、千代田区の日本外国特派員協会と日本記者クラブで会見した。琉球新報の潮平芳和編集局長は「報道の自由を取り上げるという言論弾圧の発想で極めて危険だ」と指摘した。沖縄タイムスの武富和彦編集局長は「自民党国会議員は自分たちこそが正論というおごりがある」と述べ、両氏共に「この国の報道の自由、表現の自由、民主主義は危機的な状況にある」などと警鐘を鳴らした。 特派員協会は2日付で「与党および政府が『報道の自由』に影響や制約を及ぼす、あるいは及ぼすであろう、一切の行為を控えるよう強く求める」との会長声明を発表した。 特派員協会には外国メディアの記者ら約100人、日本記者クラブには161人の記者らが集まり、関心の高さをうかが
国内外の記者の前で報道圧力について会見する琉球新報の潮平芳和編集局長(中央)と沖縄タイムスの武富和彦編集局長(右)=千代田区の日本外国特派員協会 【東京】自民報道圧力問題で「沖縄2紙はつぶさないといけない」と名指しされた琉球新報と沖縄タイムスの両編集局長が2日午後、東京千代田区の日本外国特派員協会と日本記者クラブで相次いで会見した。琉球新報の潮平芳和編集局長は「この国の報道の自由、表現の自由、民主主義は危機的な状況にある」と指摘し、「国会議員が『マスコミを懲らしめるには広告料がなくなるのが一番だ』として、経団連に働き掛けてほしいと求めた発言は、政権の意に沿わないメディアを『兵糧攻め』にして報道の自由を取り上げるという言論弾圧の発想にほかならず、極めて危険だ」と述べた。 沖縄タイムスの武富和彦局長は「政権の意に沿わない新聞は許さないという姿勢は民主主義の根源である報道の自由を否定する暴論だ」
記事一覧 財政再建と成長戦略 両立図る道筋が見えない (2015年7月3日午前7時00分) 「経済再生なくして財政再建なし」と強調する安倍晋三首相の考え方は間違っていない。ただ、とっくに低成長社会に突入している日本が、高い成長を前提に財政再建を図ろうとする楽観性は現実離れしている。 政府は新しい経済財政運営指針「骨太方針」と「成長戦略」、人口減少を踏まえた当面の地方政策「まち・ひと・しごと創生基本方針」を閣議決定した。 焦点だった財政健全化計画では「2020年度に基礎的財政収支を黒字化」という目標を堅持した。だが一般歳出額の上限は設定せず、伸びを今後3年間で1兆6千億円程度に抑えるとの緩やかな「目安」を盛り込む程度にとどまった。 頼みは経済の好循環による税収増だ。財政再建が命題の財務省は具体的な削減目標にこだわったが、官邸サイドに押し切られた。 政府のシナリオは物価変動の影響を除い
生徒ら「弁当との選択制」/保護者は「完全実施を」 中学校給食でアンケート、鳥栖市教委 [佐賀県] 2015年07月03日 01時32分 鳥栖市教委は市内の中学校の給食の在り方について小学校の児童や中学校の生徒、保護者を対象にアンケートした結果を公表した。児童と生徒は中学校の現行の弁当か給食の選択方式に評価が高かったのに対し、保護者は完全給食への移行を望む声が多かった。 鳥栖市内の中学校は2008年から、弁当持参か給食かを1カ月単位で選ぶ方式を採用している。小学校は12年2月、各校での調理から一括して作る給食センター方式とする学校給食基本理念・基本計画が策定され、今は完全給食に移行した。ただ、基本計画はセンターで賄う給食の量を小学校5千人分、中学校2千人分と見込むなど、中学校もセンター方式への移行可能性を示していた。 アンケートは2月下旬、市内の全小学校の5、6年と全中学校の1年、それぞれの
町議の安保反対に自民支部が異議 羽後町 秋田県羽後町議会が安全保障関連法案の撤回・廃案を求める陳情を採択、意見書を可決したことについて、自民党羽後町支部(藤原信三支部長)が「好ましい決議とは認め難い」とする文書を、自民党籍を持つ町議7人に送付していたことが2日、分かった。 文書は先月24日付。藤原支部長と湊幸夫総務会長の連名で送付された。意見書の可決などについて「県議会自民党会派の動向などに照らし、好ましい決議と認め難い」とした上で、賛成した議員の行動を7人で検証するよう要請。さらに同28日に菅義偉官房長官が来県することに触れ、「支部としての対応報告を求められる」としている。 文書を送った理由について、藤原支部長は「一切答えるつもりはない」、湊総務会長は「文書を出したのは事実だが、今後については何も決まっていない」と話した。 陳情の採決で賛成した自民党籍の町議の一人は「一地方議員とし
<強打で制した死闘 ルーズベルトゲーム体現> 【1988年センバツ大会】 ▽準々決勝(甲子園球場) 宇学 000 003 021 002│8 000 140 010 001│7 上宮 (延長十二回) 1937年、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領は「野球は8−7で決着する試合が一番おもしろい」と手紙に書き記したという。いわゆる「ルーズベルトゲーム」だ。 1988年センバツ大会準々決勝。名将・上野監督がチームを率い、主将の高嶋捕手、影山投手、真中中堅手(現ヤクルト監督)らタレントをそろえた宇学が、優勝候補・上宮(大阪)から大逆転劇を演じた。 延長十二回。両チーム合わせて30安打、3時間25分に及ぶ攻防。終盤に宇学が5点差をひっくり返した死闘は、まさに「強打の宇学」を強く印象づけた。 この大会、大阪勢は50年ぶりに3校が出場したが、2回戦までに北陽、近大付の2校が敗退。唯一残った上宮に地元
<スター軍団を翻弄 センバツ準V意地見せる> 【1976年甲子園】 ▽2回戦 小山 000 000 100│1 000 000 000│0 東海大相模 センバツ準優勝の小山か、優勝候補筆頭の東海大相模か−。黄金カードとなった2回戦は、試合前に札止めとなり、地元の小山市では人通りが途絶えた。 注目の一戦をどう制するか。小山の若色監督は攻略に腐心した。相手はスター選手の原辰徳(現巨人監督)、「ホームラン男」の津末らを擁する。しかし、糸口はつかめず「お手上げの状態だった」という。 4番の主将・黒田も悩んだ。エースの故障で「背番号8」ながら1回戦に続き先発登板した。「打たれても仕方ない」と2桁失点も覚悟して、東海大相模打線にぶつかった。 「相手のデータもないし、出たとこ勝負」。捕手の立川は、打者の顔を見て直感でサインを出した。これに黒田も「無心」で応え、上手、横手、下手、さらにクイックやスローボー
<聖地に「魔物がいた」 あと1死痛恨の4失点> 【1990年甲子園】 ▽2回戦 葛生 000101020 │4 000100004x│5 山陽 あと1人。あと1人で甲子園に初めて校歌が流れる。アルプス席を埋めた4千人は、勝利を確信して声をからした。リードは3点。九回裏2死走者なし。だが、「甲子園には本当に魔物がいた」。葛生(現青藍泰斗)の宇賀神監督はうなった。 「野球の怖さを思い知らされた」(名古屋市、吉川哲也さん、42歳) 県大会決勝で日光(現日光明峰)を破り、初めてもぎ取った甲子園の切符。指揮官は人目もはばからず号泣した。葛生町(現佐野市)にナインが優勝旗を持ち帰ると、約2千人の町民が出迎えた。県内の町の学校として初の出場に酔いしれた。 「初」づくしで感慨ひとしおのナインは、大きな重圧も抱えて甲子園に乗り込んだ。初戦の2回戦は大会6日目。日程が開いたうえ、猛暑もあって選手たちは心の安定
自民党若手国会議員の勉強会で、県内2紙への批判を含む報道機関への圧力発言や、米軍普天間飛行場の成り立ちに関する事実誤認発言が出てから約1週間。事態は、一向に収まる気配がない。 党執行部は勉強会代表の木原稔青年局長を更迭するなど関係議員を一斉処分し、早期の幕引きを図った。
百田尚樹氏の発言に抗議する琉球新報の潮平芳和編集局長(右)と沖縄タイムスの武富和彦編集局長=東京都千代田区の日本記者クラブで2015年7月2日午後4時13分、後藤由耶撮影 自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」(出席議員一覧)で報道機関への圧力を求める発言があった問題で、講師を務めた作家、百田尚樹氏に「つぶさないといけない」と名指しで批判された地元紙・琉球新報、沖縄タイムス両紙の編集局長が2日、日本記者クラブで会見した。両局長は「最大の問題は、沖縄の基地問題などについて事実に基づかない暴論があったこと。この一点につきる」と指摘。「百田氏に表現の自由はあるが、米軍普天間飛行場についての発言は誤解が多い。発言を引き出した自民党の国会議員による『言論弾圧』は看過できない」と批判した。【石戸諭/デジタル報道センター】
微生物が水質浄化に与える効果を疑問視する朝日新聞の記事で、取材を受けていないにも関わらずブログの文言を無断で改変して使われ、コメントしたかのように掲載されたとして、琉球大学名誉教授の比嘉照夫氏(73)が2日、同社を相手取り、慰謝料など約350万円と謝罪広告を求める訴訟を東京地裁に起こした。 訴状によると、問題となったのは平成24年7月3日付と同11日付の朝日新聞青森県版の記事。比嘉氏が研究開発している有用微生物群(EM菌)を川の水質浄化に役立てようとする環境教育が同県で行われているものの、科学的な効果を疑問視する声があり、県も十分に検証していないなどと報じた。 比嘉氏は同社記者から取材を受けていなかったが、記事では微生物の効果について「開発者の比嘉照夫・琉球大名誉教授は『重力波と想定される波動によるもの』と主張する」などと記載。この引用は、比嘉氏が記事の掲載日から約5年前の19年10月1日
0000-0003-0485-8891 CA1848 – ResearchGate-リポジトリ機能を備えた研究者向けSNS- / 坂東慶太 | カレントアウェアネス・ポータル http://t.co/DpeBAJrcL5 — 国立国会図書館関西館図書館協力課 (@ca_tweet) June 30, 2015 長かったカレントアウェアネスへの道のり。頑張れど頑張れど声掛からずw やはり所属がMyOpenArchiveでは執筆機会がないものなのか、とヤケになっていたかいないかは定かじゃありませんが、今年の1月中旬、意表をつく記事執筆依頼メール受信。オープンアクセスでもMendeleyでもfigshareでもaltmetricsでもORCIDでもなく、御題が「ResearchGate」。 ResearchGateは以前から利用はしていたものの、深く理解していなかったというのが正直なところで、原
いつよんだかも定かではなく、20年以上たつと思われます。 お話はSFで主人公がある星か地球の未来かにたどり着きます。 そこは何かの罰として男女が別々の世界に分かれ、女は女だけ、男は男だけの世界で壁か開かずの扉で隔てられて何百年か相手の様子も分からないまま時が経っていた。 女たちはいつか許されて男の国へ行けることを信じて凍結乾燥した精子があったのでそれで子を産みながら世界が営まれて過ごしていた。(未来都市) 最後にとうとう扉が開き、男たちのもとへ行けることになる。 男たちの世界に入ると、そこは荒涼とした不毛の地で人が見当たらない。 男たちは女がいなくなると、欲望が抑えられなくなり、なんとか壁をこわそうとしたりしているうちに男同士の争いが激しくなり、最後の一人まで戦って滅んだあとだった。 男のいない世界を知って、女たちも絶望して悲しむ。 という、暗い話なのですが、記憶では味のある挿絵がたくさん
中国各地の大学図書館の館長らが1日、東日本大震災で大きな被害が出た宮城県山元町を訪れ、被災集落の住民が運営する民間図書館を視察した。本を求めて住民が集い、散り散りになった地域のコミュニティーを再生する場として機能している事例を学んだ。 訪れたのは北京大や清華大、吉林大など33大学の図書館長や副館長ら35人。視察先の同町花釜地区の「みんなのとしょかん」は、NPO法人の支援で被災宅地跡にプレハブを設置し2013年3月に開所した。現在は全国から寄せられた8000冊を開架図書にしており、来館者は自由に本を借りることができる。 一行は、館長を務める菊地慎一郎さん(67)の案内で館内を視察。これまで延べ4500人が利用したことなどの説明を受けた。菊地さんは「小さな図書館だが、多くの方に本に触れてほしいという思いは皆さんと同じだ」と強調。各館長らは真剣な表情で耳を傾け、友好の証として中国の書籍を寄贈
県内に現存する最古級の図書館建築とされる「旧鎌倉図書館」(鎌倉市御成町)が取り壊しか保存かで揺れている。鎌倉市は老朽化を理由に取り壊しの予算を決めているが、取り壊しに反対する市民グループ「図書館とともだち・鎌倉」などは反発、十七日にチャリティーコンサートを開催し、保存を訴える。 (草間俊介) この旧図書館は、鎌倉ゆかりの銀行家の間島弟彦・愛子夫妻の寄付で、一九三六年に完成した。木造二階建てで、市が所有する。七四年まで図書館として使われていた。場所は鎌倉市役所に隣接し、閉館後は教育、福祉関係の用途に使用されてきた。市は今年三月、老朽化が激しいとして閉鎖し、取り壊すために、周辺の建物を含めた解体費用約二千九百万円を本年度予算に計上している。 市民グループが専門家に調査を依頼したところ、閉架式書庫や婦人閲覧室などが設けられ、当時の公共の図書館建築の様子をうかがえる貴重な建築であることがわかった。
岐阜市の図書館複合施設「みんなの森 ぎふメディアコスモス」が18日にオープンするのを前に、名誉館長に就任するノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さん(75)(名古屋大特別教授)が2日、施設の見学後に記者会見し、新図書館を「しゃれた感じは珍しい。斬新な天井で、設計された人がかなりのエネルギーを注いだ結果」とたたえた。 同施設は、岐阜大医学部跡地に、市中央図書館を中核にして、市民活動交流センターや多目的ホール、ギャラリーなどを備えており、建築家の伊東豊雄さんが設計した。 益川さんは図書館について、「遊び回っていた私が研究者になれたのは図書館のおかげ」とした上で、「小学5年生の時、学校でテーマを与えられて調べるようにと行ったのが名古屋市の鶴舞図書館。自分の意思で本を選び、読む時に手が震えた。以来、本の虫になりました」と話した。 また、インターネットで手軽に情報が入手できる時代における本の役割に、「
先日、「ウィキペディアで深刻な”一次資料”汚染」をお伝えしたばかりですが、またもフリー百科事典Wikipediaで出典を巡る問題が騒がれています。今度は実在が疑われる出版社・資料を根拠とした記述です。ネットの様々なところで以前から言われていたようですが、Twitterで言及され、改めて注目されています。下のリンクがそのまとめです。 togetter:Wikipediaの参考文献に挙がっているが、存在が確認できない出版社『央端社』 上記のまとめで問題になっているのは、「サラ・スピッツ」という犬の品種の記事です。アメリカ原産とあるのに日本語しか項目がなく、出典も央端社という聞いたことのない出版社の本でした。 サラ・スピッツ(英: Sala Spitz)は、アメリカ合衆国のアラスカ州原産のスレッター犬種(そり引き用犬種)である。犬種名はこの種の基礎となったサラ号の没後、彼女にちなんでつけられた。
※終了しました 清泉女子大学本館(旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館)は、1915年に竣工、2年後の1917年は内装も完成して落成披露が行われました。清泉女子大学では2015-2017年を本館(旧島津公爵邸)竣工100年記念と位置づけています。竣工100年記念企画として竣工100年記念フォトコンテスト(2015・2016)、ラファエラ・アカデミア1日講座寄付(2016・2017)を行い、さらに、落成披露の行われた1917年5月8日からちょうど100年となる記念すべき2017年5月8日を中心に、3日間の特別なライトアップ&イベントを開催いたします。 ・旧島津公爵邸について ・360°画像で見る 今年平成29年(2017)、清泉女子大学のシンボルであり我々の誇りとする本館(旧島津公爵邸)が竣工100年目を迎えます。 「おとずれ」の読者の皆様の多くが既に御存じでしょうが、本学のキャンパスは江戸時代の半ば
石破茂・地方創生相 (自民党の勉強会でメディアへの威圧的発言が相次いだ問題で)「懲らしめる」「つぶせ」とか不穏当な話の余波が残っている。権力をお預かりしている者は、いかに抑制的に使うかを考えないといけない。 自民党がガタガタとするのは政策よりも「なんか自民党、感じが悪いよね」と国民の意識がだんだん高まっていったときに危機を迎えるのが私の経験だ。政策は大事だが、「嫌な感じ」が国民の間に広まることは心しなければいけない。 (自民党が野党時代の)3年半は思い出したくもないが、あれを忘れたらまた自民党は国民の支持を失う。1、2年生(議員)は野党時代を知らないので、「こうでしたよ」ということを伝えるのが私どもの仕事だ。(石破氏を支持する議員の会合で)
自民党の中堅・若手議員らによる「文化芸術懇話会」が開いた勉強会が、安倍晋三首相肝いりの安全保障法案の審議に、影響を与えかねない流れをつくりつつある。報道関係者に公開された冒頭の数分以外は、非公開。本来は「内々」の勉強会だったという。報道機関への「圧力」など、問題になっている発言の数々は、非公開の場でのもの。先方からすれば、「なぜ非公開の発言が漏れるのか」という感覚もあるのだろう。 非公開の会合を取材する際、メディアは「壁耳(かべみみ)」という手法を用いる。自民党本部の会議室の場合、ドアや壁に耳を当て、耳に神経を集中させ、漏れ聞こえる発言を、メモするやり方だ。冒頭のあいさつが取材できても、その後は報道陣に非公開という会合は、今回に限らず、珍しいことではない。 「壁耳」では、大勢の報道陣が壁やドアに群がる。場所取りに失敗したり、場所を確保しても聞こえない時がたびたびある。一方、紛糾した話し合い
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