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沖縄の子どもの貧困率が29.9%(沖縄県, 2016)と発表された。全国平均は16.3%(内閣府, 2015)であり、約2倍の数値である。子どもに限定しない沖縄の貧困率は34.8%であり、こちらも全国平均18.3%の約2倍の数値である(戸室, 2016)。 なぜ沖縄の貧困率は高いのか。結論から述べれば、沖縄戦やその後に米軍基地が集中したことが主たる要因である。 だが、見落としてならないのはそれらを経験する過程で、いかに不公平な規制や仕組みによって、貧困が政治的につくられていったのかという点である。その不公平さは、特に建設業の規制や仕組みに集中している。 以下では、現在の貧困がつくられていった過程を建設業と関連付けながら述べる。 1982年、建設業界も基地建設反対! 沖縄が「復帰」して10年たった1982年の『沖縄建設新聞』に、以下のような記事がある。 沖建協はかねてから那覇防衛施設局、沖縄
■NHKと遺族で食い違う見解 なぜ彼女の死は公表されなかったのか2013年7月24日、うっ血性心不全を起こして亡くなったNHK記者の佐戸未和さん。当時31歳でした。過重労働が原因で死亡したとして2014年に労災認定を受けました。しかし、彼女の死が3年の間公表されることはありませんでした。亡くなる直前1カ月の残業時間は約159時間にのぼったと言います。 なぜ、彼女の死は公表されなかったのか。NHK側は「遺族の意向だった」と説明していましたが、昨日(13日)、未和さんのご両親が厚生労働省内で記者会見し「事実ではない」と反論しました。朝日新聞の報道によると、会見の中で佐戸さんの父は「未和は記者として、自分の過労死の事実をNHKの中でしっかり伝え、再発防止に役立ててほしいと天国で望んでいると信じる」と語ったと言います。NHKの対応は適切だったのでしょうか。 ■学生時代に佐戸未和さんは「沖縄国際大学
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English version here 『ハクソー・リッジ』の舞台が分からないというあなたへ 2017年6月24日公開となる『ハクソー・リッジ(原題:HACKSAW RIDGE)』(メル・ギブソン監督作品)は、沖縄戦に従軍した実在の衛生兵デズモンド・ドスを主人公とする実話をベースとした作品です。 太平洋戦争終結から70年以上も経過すると、現場の様子も景色も変わり、そして人の記憶も薄れていきます。平和の大切さを語り伝えることは現代を生きる私たちにとってとても大切なことですが、都市化の波には抵抗しがたく、当時の面影を探すのは難しいところです。しかし、本作品を通じて今一度、あの悲惨な戦争を思い出し、平和を希求する自らの心に動かされ、沖縄観光で足を訪れた際に、この『ハクソー・リッジ』のクライマックスとなる「前田高地」を訪れる人、あるいは訪れたいという人も増えてきました。ここでは、映画を体感するた
沖縄県の先島諸島で約1万2千人が犠牲になったとされる1771年の「明和の大津波」以前に、巨大津波が3回発生したことを示す痕跡が石垣島北部の地層から見つかっていたことが分かった。静岡大学などの研究チームがこのほど調査結果をまとめた。石垣島への大津波襲来は明和含め約2千年前から計4回、約600年に1回の間隔で起きたと考えられ、研究者は「より精度の高い発生年代が確認できた」としている。 調査は同大と同大防災総合センター、琉球大学などが2013~14年に石垣市伊原間で実施した。海抜10メートルほどの場所で、長さ約150メートル、深さ約2メートルの溝を掘って地層を調べた。 明和以前で年代の異なる3カ所の地層で、遡上(そじょう)した津波が運んだとみられるサンゴや貝などの破片を含む石灰質の堆積物を確認。複数の地割れや、カキの殻が付着した直径2メートルほどの巨石も見つかった。 静岡大の北村晃寿教授(古生物
沖縄の下層の若者たちは、剥き出しの暴力に支配された地元や職場からなぜ抜け出せないのか? それは生活様式や「文化」の問題ではなく、産業構造や経済の問題だと語る打越正行氏に話を伺った。(聞き手・構成/芹沢一也) ――打越さんの研究について教えてください。 私は、若者文化、なかでも暴走族、ヤンキーの若者の文化について研究しています。そうした若者たちと活動をともにし参与観察をしたり、彼らに生活史インタビューを行ってきました。 暴走族のバイク倉庫に通い、建築現場で一緒に汗を流しながら、彼らの生活と仕事について調べるんですね。そのなかで、彼らが建築業や風俗経営業、違法な就労などといった、厳しい生活や仕事になぜ就くようになるのか、つまり沖縄の下層若者の就労をめぐる再生産過程に関心を持ちました。 沖縄には「ゆいまーる」という、相互に友好的に助け合う「つながり」があるといわれます。ところが、調査を進めていく
新年を迎え、間近に迫る祝い事は成人式。筆者は2003年、地元・那覇市の成人式に出席するはずだったが、前年の式典で逮捕者が出たため市主催の式典が中止になるという苦い思い出がある。結局、近くのホテルで中学の同級生だけで鏡開きをして、祝杯をあげたのだが、この事件は、いわゆる「沖縄の成人式」として全国ニュースでも話題になっていく。那覇市の国際通りをカラフルな袴で威圧的に練り歩く映像を見た人は少なくないはずだ。沖縄の成人式はいつごろから、なぜ“ド派手”になっていったのか。沖縄タイムスの紙面を振り返りながら、背景を探った。 1954年「セーラー服」~1965年「振り袖」戦後、初めて成人式が紙面に登場したのは1954年1月17日。当時は「成人祭」と記されている。 「セーラー服もあれば背広姿もあるといった調子で“はたち”の群像は正に多彩のハツラツである」 約800人の参加者は那覇市長の話に聞き入り、成人代
誠に申し訳ございませんが、お探しのページが見つかりません。 お探しのページは削除されたか、URLが変更された可能性があります。トップページより、お探しの情報を探していただくか、サイト内の検索ボックスから検索してください。 トップページへ戻る場合は、こちらをクリックしてください。 沖縄県立図書館Okinawa Prefectural Library 沖縄県那覇市泉崎1-20-1 電話番号:098-894-5858 ファクス番号:098-861-7111 休館日:毎週火曜日、年末年始、特別整理期間 開館時間:9時から20時 (広域サービス室は日曜・祝日休み、9時から17時まで利用可能) お問い合わせ
1990年代に「島唄」を大ヒットさせたTHE BOOM(解散)のボーカリスト宮沢和史さん(50)が、沖縄民謡を録音して保存する活動に取り組んでいる。これまで訪ね歩いた唄者(うたしゃ、歌い手)は約250人。自らの音楽的ルーツともなった沖縄への感謝を込め、県内の学校などに、音源を「音の教科書」として寄贈する。 宮沢さんと沖縄民謡との出会いは、デビュー間もない90年ごろ。レコード会社の友人から、沖縄土産のカセットテープをもらった。「三線(さんしん)の音の感触が気持ちよくて、昼も夜も、寝ている間も聴き続けるほどほれ込んだ」と振り返る。 「本土の民謡というと労働歌を思い浮かべるが、沖縄の民謡は恋の歌も多い。昔の庶民が見た風景まで思い浮かんでくる気がした」 ぜひ生の音を、と現地を訪問した91年、ひめゆり学徒隊で生き残った女性から、沖縄戦での集団自決について聞かされ衝撃を受けた。「自分の無知に怒りがこみ
知られざる写真家・平敷兼七(へしきけんしち)が残した、膨大な数の沖縄の写真。 その中心に居たのは常に「人」でした。 今回は平敷兼七ゆかりの沖縄の場所を訪ね、平敷さんをよく知る親しい人々と語らいます。 平敷兼七ギャラリー(沖縄県浦添市)で開催中の「平敷兼七 二人展シリーズ vol.2 沖縄人人 平敷兼七×石川竜一」より平敷兼七の写真の展示。 山羊料理店 まず、向かったのは夜の街。那覇市モノレール安里駅から程近い「栄町」。この辺りは料理店や居酒屋が多く立ち並ぶ界わいです。 とにかくお酒を飲むのが好きだった平敷さん。何かあれば栄町の行きつけの居酒屋で古酒(くーす)を飲み、その後その近所にある山羊(やぎ)料理店に立ち寄るというのがお決まりのコースだったそうです。 こちらで待ち合わせたのは、平敷さんに撮影の仕事を依頼することもたびたびあった、元印刷会社勤務の吉見万喜子さん。平敷さんに師事して写真を学
沖縄県に被害を及ぼす地震は、主に南西諸島海溝付近などの海域の地震と、陸域や沿岸部の浅い場所で発生する地震と、沖縄トラフ沿いの浅い場所で発生する地震です。 沖縄県とその周辺の主な被害地震 (図をクリックすると拡大表示) 沖縄島や慶良間(けらま)列島では、M4~5程度の地震は発生しているものの、歴史の資料によって知られている被害地震は少なく、沖縄島近海に発生した1882年の地震(M5.7)と1909年の地震(M6.2)及び1926年の沖縄島北西沖の地震(M7.0)くらいです。1909年の地震では、那覇、首里などの沖縄島南部で1,000ヶ所以上の石垣が崩壊し、十数名の死傷者が生じました。この地震では、津波被害の報告はありません。なお、奄美大島近海に発生した1911年の地震(M8.0)では、那覇市、首里などで被害が生じました。 沖縄県西部の先島諸島周辺では、M7程度の地震がしばしば発生します。
設計地震力の計算に使われる「地域係数」という値がある。これは「地震が普通に発生しやすい地域」に 1.0 という指数を与え、以下、それに比べて「相対的に地震が発生しにくいと思われる地域」を 0.9・0.8、あるいは 0.7 という指数で表わして区分し、それらの地域ではその指数に応じて設計地震力を低減してもよい、としたもので、その具体的な数値は国交省の告示によって決められている。 ところで、先般 ( 2016 年 4 月 ) 大地震に見舞われた熊本県だが、ここは県内全域にわたって地域係数が 0.9 ないし 0.8 と決められている。 なかでも、市庁舎が崩壊した宇土市の地域係数は 0.8 である。この値は「守るべき最低値」なので、実際にこの建物が地域係数 0.8 で設計されたのかどうかは明らかではないし、たとえそうだったとしても、それが今回の被災の原因だったと断定はできないだろう。 逆に、( 詳
3月の沖縄はイッペーの鮮やかな黄色い花が、道路沿いや民家の庭で咲いているのをよく目にできる。 実家の裏庭でもイッペーが咲いている。 ブラジルの国花らしいが、種が綿毛で飛び、自然に発芽して成長するくらい沖縄の環境に適応している。 風邪でよーだっているが、春になり草木の成長は容赦ない。きつい体に鞭打って外で剪定作業などをした。 . . . 本文を読む
『沖縄大百科事典 中』(沖縄タイムス社 編・刊、1983年) p389 「ジュリ」の項には、「遊女・娼妓のこと。…近代ではほとんど尾類という字をあてる。発生の歴史は不詳だが、中国との交流が盛んだったころ(14世紀)から存在したといわれ、薩摩侵入(1609)後、貢租の取立てが厳しくなって、農村の貧困家庭の娘が身売りをする例が多くなり、私娼が増えたため、1672(尚貞4)年、摂政・羽地朝秀によって辻・仲島の遊廓がつくられた」とある。 以下の資料を紹介する。 『那覇市史 資料編 第2巻中の7』(那覇市企画部市史編集室、那覇市役所、1979年) p18-22 「辻の民俗」 他府県の遊廓にいる娼妓とは異なる沖縄の尾類気質について。 p128-164 「辻遊廓」 辻の起源、しきたり、法令や取締令、尾類の数や出身地、生活の様子など、辻にゆかりのある人々への聞取りと、文献資料を参考にまとめられている。 p
那覇軍港から泊近辺に至るこの一帯は、基底部分こそ琉球石灰岩基底面に属し堅強なるものの、その上には軟弱な粘土を主体としている沖積層が厚く堆積しており、現在も地盤沈下が危惧される地域である[6]。また、海抜は低く、縄文時代の縄文海進期(約6000年前)に於いては海面下にあったと見られ、出土した化石や堆積物からもこれをうかがい知ることができる。海面自体は約1000年前からほぼ変化がないとされるが、その時点ではこの一帯は入江状の地形に大小の島が浮かんでいると言った状態であった。地形図によれば1700年頃の辻と周辺地域は比較的大きな島を形成していたと見られる。マシュー・ペリーの残した1853年の測量図では、東シナ海と漫湖を隔てるような島が描かれている。これ以降の時期に漫湖をはじめとする内海の本格的な埋め立てが始まったとされる[7]。 昭和初期の辻 元々は一面の荒野であったが、1672年、琉球王国の摂
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