二〇一九年の台風で地下収蔵庫が浸水した「川崎市市民ミュージアム」の被災から、市の文化政策を市民の目線で検証する集会が二十二日、東海道かわさき宿交流館(川崎区)で開かれた。 全川崎地域労働組合が主催した「川崎市市民ミュージアム『雇い止め』から『収蔵品被災』の市民による検証」。ミュージアムの元副館長で、雇い止めされたとして指定管理者のアクティオを訴えている浜崎好治さん(60)が、被災の問題点などについて説明した。
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二〇一九年の台風で地下収蔵庫が浸水した「川崎市市民ミュージアム」の被災から、市の文化政策を市民の目線で検証する集会が二十二日、東海道かわさき宿交流館(川崎区)で開かれた。 全川崎地域労働組合が主催した「川崎市市民ミュージアム『雇い止め』から『収蔵品被災』の市民による検証」。ミュージアムの元副館長で、雇い止めされたとして指定管理者のアクティオを訴えている浜崎好治さん(60)が、被災の問題点などについて説明した。
2019年の台風19号による川崎市市民ミュージアム(同市中原区)の地下収蔵庫浸水被害を巡り、市は21日、被災した収蔵品約22万9千点のうち、写真雑誌や漫画など約4万2千点を廃棄処分すると発表した。被災後に修復を試みたが、状態がひどく、複製印刷物が存在するなどとして判断した。収蔵品の廃棄は初めてで、カビが繁殖しやすい夏前には焼却処分したいとしている。 市は昨年7月、収蔵品の修復に当たり、…
台風で被災した川崎市市民ミュージアム。その収蔵品レスキューまでの記録映像が公開2019年10月の台風19号によって収蔵庫が浸水し、収蔵品が被災した川崎市市民ミュージアム。その被災から収蔵品レスキューまでの様子を収めたドキュメンタリー映像が公開された。 川崎市市民ミュージアムが公開したドキュメンタリー映像より 2019年10月の台風19号によって収蔵庫が浸水し、収蔵品が被災した川崎市市民ミュージアム。いまだ再開の目処が立っていない同館の、被災から収蔵品レスキューまでの様子を収めたドキュメンタリー映像が公開された。 川崎市市民ミュージアムは1988年に開館。写真やマンガ、グラフィック、映画、映像などの「複製技術芸術」の歴史に関わる総合的なコレクションを有する美術館として知られているが、19年10月の台風19号(令和元年東日本台風)により、9つの収蔵庫が浸水被害を受け、収蔵品に甚大なダメージが及
台風19号で被害を受けた川崎市市民ミュージアム(中原区)の収蔵品に修復困難なケースが複数あると二十八日発表した市は、具体的な作品名を「個人情報」を理由に明かさなかった。点数も明らかにしていない。収蔵庫から搬出した収蔵品は二十五日時点で、全体の三分の一の約七万五千点にとどまっているという。 (大平樹) 市によると、修復困難な収蔵品はふやけた映画フィルムや、印画紙だけになった写真など。他に、素材が変質した考古物や「絵の体裁をなしていない」(担当者)油絵などがある。古文書などを保管していた収蔵庫の床には、溶けた紙類が流れた様子が確認され、市は引き続き被害状況を調べている。
リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史 会 期: 2016年2月13日(土)〜2016年3月21日(月) 時 間: 10:00~18:00 入館は17:30まで。 休館日: 月曜日 ただし、3月21日(月曜日・休日)は開館。 観覧料: 一 般 無料 大高生・65歳以上 無料 小中生 無料 主催:目黒区、公益財団法人目黒区芸術文化振興財団 目黒区美術館 特別協力:リアス・アーク美術館 開催一覧 「気仙沼と、東日本大震災の記憶 ―リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史―」展を開催いたします。 気仙沼市と目黒区は、1996(平成8)年の「目黒のさんま祭」に気仙沼市よりサンマをご提供いただいたのをきっかけに交流が始まり、災害時相互援助協定の締結や中学生の自然体験ツアーの実施などを行ってきました。そして、2010(平成22)年9月、両自治体は友好都市協定を結び、さ
のんびり起床して家事など済ませていれば、もうお昼。11時58分、90年前のこの日この時、関東大震災が発生。東京の被害は勿論甚大なものだったけれど、横浜の被害も酷いものだった。横浜市内だけで26,000人以上の死者が出て、横浜市の中心部は壊滅的な被害、灰燼と化し、45万人いた人口は、その後疎開者なども出て、一時30万人まで減少した 関東大震災 - Wikipedia 今年は関東大震災から90年、また、東日本大震災の発生、何時起きるかわからない首都圏直下型地震に東海地震…ということで、関東大震災に関連した企画展が、横浜で多く行われている。今日はその企画展を巡ってみます。 まず最初に、横浜市史資料室『レンズがとらえた震災復興』 http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/housei/sisi/news/tenjikai130713.html 横浜市史資料室は
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