沖縄と本に関するxijiaoのブックマーク (17)

  • 『クリフォード訪琉日記』 琉球国のリアルな記録 - 琉球新報デジタル

    『クリフォード訪琉日記』H・J・クリフォード著、浜川仁訳・解説 不二出版・1800円+税 書は19世紀初頭、琉球国を訪れたH・J・クリフォードの訪琉日記全訳である。訳者が英国博物館で発見し、書の元になった日記稿のオリジナル版(英文)の方は、後日刊行予定だという。琉球ファンとなりベッテルハイムの琉球派遣にも力を尽くしたクリフォードの観察眼に基づく日記が、書では軽妙な筆致で訳されている。いまは存在しない琉球国の人々のリアリティーあふれる記録だといっていい。 クリフォードはアイルランド生まれの英国人、海軍大尉として英艦ライラ号で1816年に琉球国を訪れた。日記は9月21日から10月27日の間、ほぼ毎日書かれている。琉球国暦でいえば嘉慶21年7月から9月、尚〓王の代。米国のペリー来琉より約40年、琉球国滅亡の70年ほど前のこと。尚育王と尚泰王に対する冊封使の来琉は日記後である。 日記は18

    『クリフォード訪琉日記』 琉球国のリアルな記録 - 琉球新報デジタル
  • 本日発売!! がじゅまるブックス6 琉球の花街 辻と侏(じゅり)の物語

    浅香怜子著 琉球の花街として知られる辻は、土のものとは異なる成り立ちと性格を持っていることで知られている。 女達による自治、あるいは辻にかよう客との関係等々を歴史と伝承をふまえて解明しつつ、著者の活動=土の門付け芸能としての「春駒」の継承、その伝播の南限としての琉球の「じゅり馬」との比較研究を通して、「辻」とは何かを明らかにする。 これまでの辻をめぐる議論を一新する女の立場からの「ものがたり」である。 多数の写真図版を収録し、資料性も高めている。カラーグラビア有り。 〈目次〉 はじめに-辻の名芸妓の死 一 琉球の花街 1 辻地域のこと 2 旧廿日正月とじゅり馬 3 辻の戦後 4 現在のじゅり馬の風景 二 辻村女の里(チージ)の暮らし 1 女性たちの組織 2 侏とチージの共同性 3 侏の暮らし 4 チージのもてなしと料理 5 盆切りと歳切り 6 侏の墓がないチージ 三 侏をとりま

    本日発売!! がじゅまるブックス6 琉球の花街 辻と侏(じゅり)の物語
  • 『月や、あらん』 他なるものたちのほうへ - 琉球新報デジタル

    『月や、あらん』崎山多美著 なんよう文庫・1524円 崎山多美の小説集『月や、あらん』は、不穏な美しさに満ちた一冊である。収められたのは、二〇〇〇年代に書かれた2編の小説。うち1編の「水上揺籃」(群像01年8月号)は、複数的な物語の挫折と、見ると見られるの関係性の不随意な逆転により、読む者の立場性をも揺るがし、問い返す。 無人のシマの人工的な建造物で演じられる舞台へ招く、かつての恋人・演出家の男からの手紙。元は琉舞の舞い手である「わたし」は、そこに「観衆」として招かれながら、演じ手と化す。見ると見られる、男と女、人為と自然等、この社会に引かれた境界線を、この小説は溶け流す。また、この小説が孕(はら)むシマは、作中人物たちの恋物語、母恋い、父恋いの物語、さらには琉舞、古典や民謡など、幾重にも重層化され歪(ゆが)められており、安易な回帰や安定した物語の完結は望めない。予定調和には収まることのな

    『月や、あらん』 他なるものたちのほうへ - 琉球新報デジタル
    xijiao
    xijiao 2013/02/18
    崎山多美(なんよう文庫、2012)書評。"元「従軍慰安婦」の声ならざる声を聞くこと。その仕事は自らを憑代とする自死的な行為となり、老女の声を安易に代弁することで収奪する文字、「ウソ」の言葉への抗議を孕む"
  • http://jaima.net/modules/guide6/content/index.php?id=8

  • 『消えた琉球競馬』 知られざる文化掘り起こす - 琉球新報デジタル

    『消えた琉球競馬』 梅崎晴光著 ボーダーインク・1890円 消えた琉球競馬―幻の名馬「ヒコーキ」を追いかけて 書は知られざる琉球競馬をテーマにした初めての書籍である。著者は現役の競馬記者。琉球競馬は全力疾走で速さを競うものではなく、小型の在来馬が独特の小走りで脚の運びのリズムや美しさを競う。相撲や闘牛のような一対一の対戦方式で、装飾された馬具も採点に加味された。著者いわく「美技を競う二頭立てのフィギュアスケート」のようなものという、世界でも珍しい競馬だった。 王国時代に始まるこの競馬文化は、明治に入り帰農した屋取士族たちによって各地に伝えられ、さらに隆盛をきわめた。現在確認される沖縄各地の馬場跡は、実に200カ所近くにも及ぶ。だが、人々が熱狂した競馬も、やがて「美しさ」から「強さ」を求める価値感の変化、軍馬生産を目的とした大型馬移入による在来馬の駆逐、また深刻な経済不況の「ソテツ地獄」、

    『消えた琉球競馬』 知られざる文化掘り起こす - 琉球新報デジタル
    xijiao
    xijiao 2012/12/16
    "琉球競馬は全力疾走で速さを競うものではなく、小型の在来馬が独特の小走りで脚の運びのリズムや美しさを競う。相撲や闘牛のような一対一の対戦方式で、装飾された馬具も採点に加味された"
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    xijiao
    xijiao 2012/09/27
    『琉球王国漢文文献集成』という叢書が复旦大学から出るのか。
  • 『佐々木薫詩集「ディープ・サマー」』 濃密なリアリティー - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    芸能・文化 『佐々木薫詩集「ディープ・サマー」』 濃密なリアリティー2012年7月22日  Tweet 『佐々木薫詩集「ディープ・サマー」』あすら舎・1200円ディープ・サマー―佐々木薫詩集  東京に出生し、1964年に沖縄に移住した作者が、かつて暮らしたことのある「コザという街」を、40数年ぶりに振り返るようにして書いた物語散文詩である。  作品はハードロックの叫びを上げ、スラングをまき散らして奔放である。自傷、自涜(じとく)的なフレーズが弾け飛んで見える。魂の傷みを和らげるには、このようにしか表現できなかったとでもいうかのように。  黒人街、白人街が当たり前のように存在した時代、刹那の愉楽を求めて米兵達が群れた。ミラーボールがキラキラ回る洞窟のようなキャバレーでは、けたたましい音楽と裸にされた人間達の狂奔があった。ベトナム戦争の頃のそんな狂騒の街のど真ん中での暮らしを、ウチナー嫁になっ

  • 琉球弧叢書27 歌三絃往来―三絃音楽の伝播と上方芸能の形成

    小島瓔禮(ヨシユキ)著 中国の三弦が、琉球に伝来し定着したと思われるのが14世紀だが、琉球から更に北上し、大和へと伝えられたのは16世紀といわれている。以来三絃は「三味線」として急速に日全国に流布を拡げ、近世の町方を中心とした大衆芸能のメイン楽器とまでなるに至った。 しかし三絃音楽がどの様な経緯をたどって琉球に伝来し、土へと渡っていったのかは残された史料も少なく、よくわかっていないのが現状である。 書は、様々な文字資料、あるいは古い伝統芸能、様々な伝承等を整理し、この謎に迫り、中国-琉球-大和へとつらなる歌三絃の伝播の道筋を明らかにする。土で広く普及した小唄や長唄の源流となった琉球の歌三絃への限りない賛歌の書である。 〈目次(抄)〉 第一部 歌三絃の成立 一、歌三絃の思想 二、礼楽の展開 三、三絃の琉球方言 四、座楽そして三絃 五、上方の三絃由緒書き 六、三味線組歌まで 七、二つの

    琉球弧叢書27 歌三絃往来―三絃音楽の伝播と上方芸能の形成
    xijiao
    xijiao 2012/07/18
    "本土で広く普及した小唄や長唄の源流となった琉球の歌三絃への限りない賛歌の書である"
  • 交錯する琉球と江戸の文化

    板谷徹編著 かつて尾張徳川家に伝来した琉球江戸上りの際に演じられた芸能の演目の中の、「唐躍」の台を影印・翻刻で紹介するとともに、学術的論考を加え、今までほとんど研究されていなかった「唐躍」がいかなるものであったのかを明らかにした琉球芸能史研究の新領域。 「唐躍」は絵巻や台等で色々と伝えられてはいたが、台が漢語かつその地方語であるらしいということもあって、正面から向き合う研究はこれまでなされてこなかったのである。 書は琉球芸能の大きく深い中国的要素の典型的表現といえる「唐躍」を正面から論じた最初のといえるであろう。 〈目次〉 序にかえて 琉球劇文和解(影印) 琉球劇文和解(翻刻) 餞夫/送茶/奪傘/趺包 唐躍を観る江戸の観客 『琉球劇文和解』をめぐって 一 『琉球劇文和解』の書誌と諸 二 「戯文和解」の資料 三 唐躍の台と戯 四 『琉球劇文和解』成立の時代背景 五 『琉球劇文

    交錯する琉球と江戸の文化
  • 『琉球の記憶 針突(はじち)』 強く気品あふれる女性の姿 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    芸能・文化 『琉球の記憶 針突(はじち)』 強く気品あふれる女性の姿2012年6月24日  Tweet 『琉球の記憶 針突(はじち)』 写真・山城博明、解説・波平勇夫 新星出版・1200円 興味深い書である。老女と幼児が握手を交わす写真の表紙をめくると、老女のハジチ(針突)のカラー写真が目に飛びこむ。そしてモノクロ写真、背景となる生活の記録へと続く。そこにはたくましく生きた女性たちの気品あふれる姿がある。  ハジチとは、かつて琉球諸島の女性の手に施した入れ墨のことである。書は“民族文化の産物”である針突習俗とその終焉(しゅうえん)に焦点を当て、今ではめずらしい写真と解説で構成する。従来、針突習俗の世界的な広がりや習俗のもつさまざまな意味については研究されてきた。すなわち成女儀礼・結婚のしるし・魔除けの呪符・他界観・さらに集団的アイデンティティーなどである。 写真家の山城博明氏が、大学入

  • 『上原紀善詩集』 しなやかな身体リズム - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    『上原紀善詩集』 しなやかな身体リズム2012年5月6日  Tweet 上原紀善詩集(脈発行所・1200円) 「現代詩」はヨーロッパにあり、アメリカにあり、そして東京にありという時代が一世紀ほども続いてきたが、この頃はマイノリティーの反撃が足腰を据えてきた。その反撃の一角を切り開いてきたのが上原紀善の反骨である。  彼の詩は、日語への同化政策によって冥界の隅に追いやられようとするウチナーグチのリズムを復活させる試みである。ウチナーグチのリズムは、知識人の計算された概念ではなく、生産現場の庶民の身体リズムである。  この詩集には、『開閉』『サンサンサン』『ふりろんろん』『原始人』『嘉手志』『燃える緑』『未完』の各詩集から選詩して収録してあるが、どの詩編にもウチナーグチのリズムが脈打っている。著者から詩集の寄贈を受けたお礼に、そのころ興味を持っていた「秀真文字」(ホツマモジ)のはがきを送った

  • 琉球弧 海洋をめぐるモノ・人、文化

  • 『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』 疑問積み重ね丹念に追求 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

  • 大型書店勤務から…“日本一狭い”古本屋店主に - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社会 大型書店勤務から…“日一狭い”古屋店主に2012年1月12日  Tweet 沖縄を手に、「日一狭い古屋・ウララ」のカウンターに立つ宇田智子さん=那覇市牧志 那覇市の牧志第一公設市場前で営業する小さな古屋「ウララ」。「日で一番狭い」と言われた古屋「とくふく堂」の後を継ぎ、昨年の11月11日にオープンした。店主の宇田智子さん(31)はジュンク堂書店那覇店の元副店長。国内有数の大型書店勤務から日一狭い古屋の店主へ。受け持つ売り場面積はわずか1000分の1程度になったが「欲しいがあれば気軽に尋ねてほしい」と話している。 畳3畳分の店内に約3千冊の古が並ぶ。7割が沖縄に関する「沖縄」だ。ジャンルはグルメから歴史までと幅広い。通りすがりの地元の人に「こんな面白いがあったんだ」と言われるとうれしい。道を聞かれるなど以外のことで話し掛けられることも多いが、「お客との距

  • 『江戸期の奄美諸島―「琉球」から「薩摩」へ』 歴史の「谷間」埋める分析 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    芸能・文化 『江戸期の奄美諸島―「琉球」から「薩摩」へ』 歴史の「谷間」埋める分析2011年11月20日  Tweet 『江戸期の奄美諸島―「琉球」から「薩摩」へ』知名町教育委員会編 南方新社・2625円 書は薩摩の琉球侵攻400年を記念して行われたシンポジウムをベースに、「琉球世」から「大和世(薩摩世)」への時代の変遷を学者たちの発言や研究をもとに一冊のに編さんしたものである。この企画の推進役でもある前利潔氏が所属する沖永良部島知名町の教育委員会が中心になってまとめたものだ。薩摩や琉球の歴史に関しては資料や書物は数多いが、その「谷間」に存在してきた奄美に関しては歴史的空白となっている部分が多いこともあって、興味ぶかい分析がなされている。 中でも印象的だったのが、沖縄学、琉球学の権威とされた伊波普猷による薩摩支配を否定的にとらえた学説に異議を唱えている点だ。例えば、薩摩の異化政策だっ

  • 『近世琉球中国交流史の研究』 ミクロの視点で諸相講究 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    芸能・文化 『近世琉球中国交流史の研究』 ミクロの視点で諸相講究2011年10月30日  Tweet 『近世琉球中国交流史の研究』深澤秋人著 榕樹書林・9870円 書は、近世における琉球と中国の関係を、琉球人の居留地に着目すること、派遣された使節を再現すること、薩摩・琉球・福州をとりまく海域のなかで捉え直すこと―を柱として分析したものである。  内容は広範囲に及ぶが、書の特徴を簡単にまとめると次のようになる。  第一に、琉球使節の居留地である福州琉球館を福州という都市空間のなかに位置付け、その歴史的変遷およびその機能を明らかにした点である。とりわけ福州琉球館が生活・行政・儀礼・祭祀(さいし)といったさまざまな機能を持った空間であったとする指摘は、琉球人の福州における活動を考える上で重要である。 第二に、渡唐使節など中国に赴いた琉球人を詳細に分析したことである。ことに従人(従者)や留学

  • 『南沙織がいたころ』 長年の違和感が氷解 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    芸能・文化 『南沙織がいたころ』 長年の違和感が氷解2011年10月16日  Tweet 『南沙織がいたころ』永井良和著 朝日新聞出版・814円 沖縄出身の新人歌手として紹介された南沙織を初めてテレビで見たときの不思議な違和感があった。小さくリズムを取りながら「♪誰もいない海、2人の愛を確かめたくて―」と歌い、長くサラサラした髪を揺らし、キラキラと輝くまっすぐな瞳がとても印象的で、今までと何かが違うタイプの歌手がブラウン管の中で歌っていたからである。  南沙織が『17才』で歌手デビューしたのは沖縄が土へ復帰する1年前の1971年。浅黒くエキゾチックな顔立ちと、異国からの支配を離れて日へ帰属することが決まった沖縄出身ということで話題性もあって、マスコミにいろいろ取り上げられていた。当時の沖縄は今ほど認知されておらず、東京で活躍する南沙織はある意味1人で沖縄を背負った感(たぶん)でテレビ

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