コミュニケーションの本を書いた昔、当時の自分は、理解というものを「相手の言葉を相手の文脈で呑み込むこと」、納得というものを「相手の文脈で自分の考えを再発見すること」なのだろうと考えていた。 こうした考えかたそれ自体は、平田オリザの演劇の本に借りたものだから、恐らくはそれほど珍しいものではないし、考えかたとしては、今でもそれほど大きく間違っているようには思えないのだけれど、こうした定義に従った「納得」を得るためのコストは莫大で、病棟でそれを達成するのはたぶん難しい。 昔の定義について 理解と納得というものを考えていた昔、理解とは事実の把握、納得とは事態の認識なのだろうと、とりあえず定義していた。 病棟において、患者さんによる「理解」とは、医師の説明を聞き、それを受け入れるものであって、医師と患者さんとの間にあらゆる情報が共有されると、今度は患者さんの内面から、「自分の病気とはこういうものであ