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ブックマーク / call-of-history.com (261)

  • 「ビーファハウツフェルツの戦い(1382年)」欧州火薬兵器戦史上の画期 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「ビーファハウツフェルツの戦い(オランダ語” Slag op het Beverhoutsveld ”,英語” Battle of Beverhoutsveld ”(ベヴェルフーツヴェルドの戦い))」(注1)は1382年5月3日、フィリップ・ファン・アルテフェルデ率いるヘント市軍がブリュージュ(ブルッヘ)市近郊(現在のベルギー王国フランデレン地域ウェスト=フランデレン州)でフランドル伯に与するブリュージュ市軍を撃破した戦い。英仏百年戦争の最中におきたヘント反乱(” Revolt of Ghent ”1379-1385)の重要な戦いで、欧州戦史上、火薬兵器が勝敗に決定的な影響を与えた最初の戦闘として知られる。 戦闘の背景「ヘント反乱」十二~十三世紀から毛織物工業が栄えたフランドル諸都市では貿易相手としてイングランドとの関係が深まったが、百年戦争が始まると領主であるフランドル伯はフランス王に与

    「ビーファハウツフェルツの戦い(1382年)」欧州火薬兵器戦史上の画期 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2020/01/05
  • 「パリ条約(1259)」百年戦争の遠因となった英仏和平条約 | Call of History ー歴史の呼び声ー

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    yaneshin 2020/01/03
  • 英仏百年戦争全年表 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    4/10フランス王フィリップ4世、対フランドル戦費徴収のため初の三部会招集 7/11コルトレイクの戦い(フランドル軍、フランス軍に大勝)

    英仏百年戦争全年表 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2020/01/03
  • アンヌ・ド・ブルゴーニュ~優しき公妃の紐帯としての生涯 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    アンヌ・ド・ブルゴーニュ(フランス語” Anne de Bourgogne ”,英語” Anne of Burgundy ”(アン・オブ・バーガンディ),1404年9月生-1432年11月14日没(注1))はベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターの。ブルゴーニュ公ジャン1世の娘で、ブルゴーニュ公フィリップ3世の妹。百年戦争後期、イングランド王国とブルゴーニュ公国の同盟関係を維持する紐帯となった女性。 アンヌ・ド・ブルゴーニュの誕生と百年戦争アンヌ・ド・ブルゴーニュ(アン・オブ・バーガンディ)は1404年9月頃、ブルゴーニュ公支配下のアルトワ地方アラスでブルゴーニュ公ジャン1世の六番目の娘として生まれた。アンヌは芸術、音楽、そして宮廷の舞踏会に興味を持つ知的な若い女性に成長し、同時代の人は彼女を「気高く、物分かりが良く、思いやりがある」と評したという(注2)。 当時のフランスは国王シャ

    アンヌ・ド・ブルゴーニュ~優しき公妃の紐帯としての生涯 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/12/31
  • 第四代ソールズベリー伯トマス・モンタギュ~イングランドの名将の不慮の死 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    輝かしい軍歴父の第三代ソールズベリー伯ジョン・モンタギュは1399年、イングランド王リチャード2世のアイルランド遠征に随行し、ヘンリ・ボリングブロク(ヘンリ4世)の反乱に際してもリチャード2世に忠誠を誓ったため、ランカスター朝が成立した直後の1400年に処刑され領地も没収された。 トマス・モンタギュは若いころからランカスター王家に忠誠を誓い、王太子ヘンリ(後のヘンリ5世)の友人として信頼を得た(注2)。1409年、ソールズベリー伯位の継承を認められるが、このときは領地の一部にとどまり、全てを回復するのは1421年のこととなる。1414年、戦功によってガーター勲章を受ける。 ヘンリ5世時代 1415年から始まるヘンリ5世のフランス遠征に参加し、アルフルール包囲戦とアジャンクールの戦いで軍功を挙げた。1417年からの北フランス遠征でもファレーズ、カーンの包囲戦に参加し1419年のルーアン攻略で

    第四代ソールズベリー伯トマス・モンタギュ~イングランドの名将の不慮の死 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/12/31
  • ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター~百年戦争後期イングランドの総帥 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    アングロ=ブルギニョン同盟トロワ条約体制はイングランドとブルゴーニュ公国との「アングロ=ブルギニョン同盟」によって成立していたが、ヘンリ5世死後、ブルゴーニュ公フィリップ3世は低地地方(ネーデルラント)やアルザス・ロレーヌ地方など神聖ローマ帝国側への領土拡大方針へと転換しフランス戦線から距離を置くようになっていた。 ベッドフォード公は引き続き百年戦争を優位に進めるべくブルゴーニュ公国の助力が必要であったため、公との関係強化を目指し、1423年、ブルゴーニュ公フィリップ3世の妹アンヌをに迎えた。しかし、両国関係は様々な問題から安定せず、百年戦争後期の政局を複雑なものとした。 エノー=ホラント=ゼ―ラント伯位継承問題イングランドとブルゴーニュの同盟関係に亀裂をもたらしたのが、エノー=ホラント=ゼ―ラント伯位継承問題である(注3)。低地地方にあるエノー、ホラント、ゼ―ラントの三伯領はヴィッテル

    ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター~百年戦争後期イングランドの総帥 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/12/31
  • ガイヤール城(シャトー=ガイヤール)~要害堅固な獅子心王の城の攻防 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「ガイヤール城(” Château-Gaillard ” , シャトー=ガイヤール)」はフランスのノルマンディー地域圏ウール県レザンドリー(” Les Andelys”)にある城塞。イングランド王リチャード1世によって1196年から98年にかけて約二年で築城された大規模城塞で、リチャード1世死後の1204年、フランス王フィリップ2世の包囲によって占領された。

    ガイヤール城(シャトー=ガイヤール)~要害堅固な獅子心王の城の攻防 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/12/22
  • ジゾール城” Château de Gisors”~テンプル騎士団隠し財宝伝説の城 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    アングロ=ノルマン王国とヴェクサン伯領ジゾール城が築かれた一帯は当時ヴェクサン伯領に属している。元々、フランス王アンリ1世の王位継承を巡る内紛で、ノルマンディー公ロベール1世(在位1027-35)がアンリ1世に助力した見返りに割譲された領土だったが、丁度フランス王領とノルマンディー公国の間に位置する要衝であったため、両者対立の主戦場となった。 1066年、ノルマンディー公ギヨーム2世がヘースティングズの戦いでハロルド2世を破ってイングランド王に即位(ウィリアム1世)したことで、フランスのノルマンディー公国とイングランド王国とをあわせたアングロ=ノルマン王国(ノルマン朝イングランド)が成立。十一世紀後半、強大なアングロ=ノルマン王国に対抗してフランス王フィリップ1世はアンジュー伯ら有力諸侯と同盟を結び、反アングロ=ノルマン同盟を築いて対立が深まっていた。 1087年、ウィリアム1世が亡くなる

    ジゾール城” Château de Gisors”~テンプル騎士団隠し財宝伝説の城 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/12/21
  • コニスバラ城” Conisbrough Castle ”~革新的な城塔を持つ中世ヨーク公の城 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「コニスバラ城” Conisbrough Castle ”」は英国サウスヨークシャー州にある中世城塞。十一世紀、木造のモット・アンド・ベイリー式城塞が築かれ、十二世紀末に石造城塞として築城された。後にヨーク家の主要城塞の一つとなり、特に薔薇戦争でヨーク派の拠点として活用された。高さ27メートルの特徴的な歯車型の城塔(シェル・キープ)が名高い。 築城コニスバラはアングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)時代にノーサンブリア王国の有力都市として栄え、その後もサウスヨークシャーの要衝として重視され、アングロ・サクソン時代最後の王ハロルド・ゴドウィンソン(ハロルド2世)の直轄地であった。1066年、イングランドを征服したウィリアム1世は、家臣のウィリアム・ド・ワレンヌ(” William de Warenne”,?-1088)をサリー伯に叙して多くの所領とともにコニスバラを与え、ワレンヌはコニスバラ

    コニスバラ城” Conisbrough Castle ”~革新的な城塔を持つ中世ヨーク公の城 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/12/21
  • クーシー城” Château de Coucy ”~失われた中世欧州最大級の円形大城塔 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    アンゲラン3世の築城主要都市アミアンとランスの中間にあるクーシーは十世紀頃ランス大司教の支配下となり、920年頃、ランス大司教によって簡素な砦が築かれた。十一世紀後半、初代クーシー領主アルベリックまたはオーブリ(” Albéric/Aubri, seigneur de Coucy”,在任1059頃-1079頃)の支配下となった後、アルベリック(オーブリ)の孫とも言われるアンゲラン1世がクーシー領主となり、以後彼の末裔がクーシーを支配した。 クーシー城を築いたのはアンゲラン3世・ド・クーシー” Enguerrand III de Coucy”,1182頃-1242)である。1220年頃から築城が始まり、1225年から40年頃までに『32棟の城塔群を含む複合築城群』(注1)と城下の都市、その周囲を囲む13棟の城塔と三か所の門を備えた城壁(アンサント)が築かれた。主城は四隅に直径20メートルの円

    クーシー城” Château de Coucy ”~失われた中世欧州最大級の円形大城塔 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/12/16
  • 「ヘースティングズ城”Hastings Castle”」~ノルマン征服の橋頭堡 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ノルマン・コンクエストと築城1066年、イングランド王エドワード証聖王死後、ハロルド・ゴドウィンソンの王位継承に異を唱えるノルマンディー公ギヨーム2世は軍勢を率いてブリテン島へ侵攻し、1066年9月28日、現在のイースト・サセックス州ペヴェンシーに上陸すると、10月1日、ヘースティングズへと軍を進め、同地にモット・アンド・ベイリー式城塞を築城した。築城の様子は後に作成されたバイユーのタペストリーに描かれている。このとき築かれた城は木造の柵で囲まれた簡易的な城であった。 1066年10月14日、ヘースティングズの戦いでハロルド・ゴドウィンソン(イングランド王ハロルド2世)を破ったノルマンディー公ギヨーム2世は配下の武将ハンフリー・ド・ティルール(” Humphrey de Tilleul”)をヘースティングズの城将として残した後、イングランドの平定へ向かい、1066年12月25日ロンドンでイ

    「ヘースティングズ城”Hastings Castle”」~ノルマン征服の橋頭堡 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/12/16
  • 中世ヨーロッパの築城形式「モット・アンド・ベイリー式城塞」のまとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー

    モットは自然の丘陵地の上に設けられる場合もあれば、盛り土を築いて造られる場合もある。高さは最大のもので約30メートル、平均すると6~9メートルのものが多く(注1)、形状は円形や楕円形など様々だが、頂上部を平坦に、斜面を急坂に造成して作られた。モットの頂上には土・木製の居館が築かれ後に石造の城塔へ発展した。通常、モットへは外部から直接行く通路が無く、周囲に築かれたベイリーを通る必要がある。 ベイリーは、モットの下部に位置する平地部分で兵士たちや職人、領主の使用人などの住居、馬屋、納屋、礼拝堂、広場などが築かれている。ベイリーの周囲には土塁と壕をめぐらし、土塁の上に木造のパリサードが設けられている。壕には通常跳ね橋が架けられ外部と繋がっていた。モットを持たないベイリーは「環状構築物(リングワーク” Ringwork”)」と呼ばれる。また、ベイリーは非常時には近隣住民の避難地としても機能していた

    中世ヨーロッパの築城形式「モット・アンド・ベイリー式城塞」のまとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/12/16
  • ジル・ド・レの生涯――百年戦争後期のある中小領主家の興亡 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ジル・ド・レ――フランス王国元帥、ジャンヌ・ダルクの戦友にして数々の軍功を重ねた百年戦争の英雄、フランス王よりも富裕とまでいわれたフランス屈指の大貴族・・・しかして、その栄光の陰で快楽の赴くままに百数十名にも上る子供たちの大量殺戮を行ったとして異端審問裁判により処刑された男。恐怖の民話「青髭」のモデルとも云われる、眩し過ぎる光と深すぎる闇を併せ持った彼の生涯をたどってみよう。 ジル・ド・レについて語られるとき、快楽殺人者、悪魔崇拝、瀆神といった描かれ方が多いが、記事では少し趣向を変えて百年戦争(1337-1453)の中に彼を位置付けて、中世末期フランスのとある中小領主家の盛衰という視点で見てみようと思う。 レ男爵家はブルターニュ公に臣従してロワール川河口付近一帯に領土を持った有力領主であったが、十四世紀末、賢女(ラ・サージュ)との異名を持つ女当主ジャンヌ・ド・レ” Jeanne de R

    ジル・ド・レの生涯――百年戦争後期のある中小領主家の興亡 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/10/14
  • ジャン・ポトン・ド・ザントライユ~傭兵隊長から元帥へ上った百年戦争の勇将 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ジャン・ポトン・ド・ザントライユ(” Jean Poton de Xaintrailles”,1390年頃生~1461年10月7日没)は百年戦争後期フランスの傭兵隊長。ジャンヌ・ダルクの親しい戦友の一人。同郷の傭兵隊長ラ・イルことエティエンヌ・ド・ヴィニョルと並ぶ勇将でヴェルヌイユの戦いやオルレアン包囲戦をはじめ対イングランド戦争で活躍し、後にフランス元帥に叙された。 ザントライユがいつから戦場にでて傭兵を稼業とするようになったかはよくわからないが、レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)によれば1418年頃からラ・イルとともにアルマニャック派の傭兵として戦闘に参加したという(注1)。1423年7月31日のクラヴァンの戦いでイングランドの捕虜となる。また、おそらくこの戦いでのエピソードと思われるが、ブルゴーニュ公フィリップ3

    ジャン・ポトン・ド・ザントライユ~傭兵隊長から元帥へ上った百年戦争の勇将 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/09/23
  • オルレアン解放後のイングランド軍追撃戦「ロワール作戦」と「パテーの戦い」 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    1429年5月8日、イングランド軍はオルレアン市の包囲を解き退却した。オルレアン包囲戦はフランスの勝利に終わったが、イングランド軍は主力を温存したまま退いたに過ぎない。5月11日、国王シャルル7世が待つロッシュでオルレアン指揮官ジャン・ド・デュノワやジャンヌ・ダルクらも参加の上で善後策が協議された。デュノワの証言(注1)によれば、このとき会議の大勢の意見はノルマンディー地方への侵攻だったが、ジャンヌはランスでの国王戴冠を強く進言したという。 シャルル7世の側近ロベール・ル・マソン(注2)はこのときの様子を『乙女は部屋に入る前に扉をノックした。部屋に招じ入れられるや、ただちにひざまずき、国王の足をかき抱くと、次のように――あるいはだいたい似たようなことを――言った。“気高き王太子さま、そんなに長い間ダラダラと御相談などなさらずに、あなたさまにふさわしい王冠を戴きに、できるだけ早くランスにご出

    オルレアン解放後のイングランド軍追撃戦「ロワール作戦」と「パテーの戦い」 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yaneshin 2019/09/18
  • オルレアン包囲戦~勃発の背景からジャンヌ・ダルクの登場、終結まで | Call of History ー歴史の呼び声ー

    前史フランス王シャルル6世が発狂して統治能力を失って以降、対立していたブルゴーニュ派とアルマニャック派はイングランド王ヘンリ5世に同盟を求め、両者の対立を好機としたヘンリ5世は1415年フランスに侵攻、アジャンクールの戦いでフランス軍を壊滅させ、北フランスを占領した。 イングランドの侵攻に対しブルゴーニュ派とアルマニャック派は手を結ぼうとするが、1419年、ブルゴーニュ公ジャンがフランス王太子シャルルの配下によって暗殺されると、跡を継いだブルゴーニュ公フィリップ3世はイングランド王ヘンリ5世と「トロワ条約」(1420年)を締結して軍事同盟(アングロ=ブルギニョン同盟)を結び、フランス南東ブールジュへ逃れた王太子シャルル擁するアルマニャック派と対立した。 1422年、ヘンリ5世、シャルル6世が相次いで亡くなり、ヘンリ5世とシャルル6世の娘との間に生まれた生後9か月の王子がイングランド王にして

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    yaneshin 2019/09/16
  • トルコで約2500年前の古代ペルシア帝国の郵便局跡やゾロアスター教の聖域が発見

    トルコ共和国の黒海沿岸アマスィヤ(”Amasya”)県トクルジャク(” Toklucak”)村にあるオルズ・ヒュユク(” Oluz Höyük”,” Oluz Mound”)遺跡で約2500年前、ペルシア帝国時代の郵便局跡とみられる遺跡が発見された。 アマスィヤから25キロメートル離れたオルズ・ヒュユク遺跡は1999年に発見され、2007年の調査開始以降今年2019年で13期目となる。2019年7月24日から開始された調査ではイスタンブール大学など五大学で5人の研究者、3人の考古学者、15人のインターン考古学・建築学者と学生らが参加して発掘調査が行われている。 同遺跡からはこれまで土塁を持つ10の集落が発見され、アナトリア半島の銅器時代にあたる紀元前4500~4000年頃からヘレニズム時代の終わりとなる紀元前100年ごろまで連続して居住地として利用されてきたことが確認されている。 今年の発

    トルコで約2500年前の古代ペルシア帝国の郵便局跡やゾロアスター教の聖域が発見
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    yaneshin 2019/09/16
  • スコットランド北部で先住民ピクト人の約1200年前の精巧な装飾の立石が発見

    スコットランド・ハイランド地方(ハイランド・カウンシル・エリア)北部イースター・ロス(英語”Easter Ross”,スコットランド・ゲール語” Ros an Ear”)の町ディングウォール(英語”Dingwall”,スコットランド・ゲール語” Inbhir Pheofharain”)で、約1200年前とみられるピクト人の伝統的な文様が彫られた立石が発見された。 ピクト人はスコットランドの先住民で、精強さで知られ、ローマ帝国軍の侵攻を繰り返し退けた。有名な「ハドリアヌスの長城」や「アントニヌスの長城」は彼らに備えて造られたものである。三世紀にアイルランドから侵攻してきたスコット人と争い、九世紀、両民族の融合によってアルバ王国(スコットランド王国)が成立した。 発見された立石は高さ1.5メートルで、神話上の動物・牛・剣と盾を持つ動物の頭を持つ戦士、二重円板とZ形の杖のシンボルなどが描かれてお

    スコットランド北部で先住民ピクト人の約1200年前の精巧な装飾の立石が発見
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    yaneshin 2019/09/16
  • 古代ローマ都市アフロディシアスでディオクレティアヌス帝の最高価格令が修復公開へ

    古代ローマ帝国時代の遺跡が多数残り世界遺産にも登録されているトルコ西部カラジャスの古代都市アフロディシアスで発見されたディオクレティアヌス帝(在位284年~305年)による市場価格の上限を定めた法令「最高価格令」の修復作業が進んでいる。 アフロディシアスは女神アフロディーテに由来する都市で、紀元前2世紀から後8世紀まで栄え、近隣に大理石の採石場があり、多くの彫刻が市内に残されているほか、アフロディーテ神殿や競技場、大浴場など多くの建造物が残る。 アフロディシアス遺跡を29年に渡って調査してきたオックスフォード大学のローランド・R・R・スミス教授が率いる調査チームによって、市民のバシリカ正面の破壊されたファサードに刻まれた1400品目に渡る最高価格令の文面の一部が発見されていた。スミス教授によると今年は「最高価格令」に関するプロジェクトの五か年計画の二年目にあたり、エキサイティングなシーズン

    古代ローマ都市アフロディシアスでディオクレティアヌス帝の最高価格令が修復公開へ
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    yaneshin 2019/09/16
  • カナダ、ブリティッシュコロンビア州の自然保護区で20世紀初頭の日系人集落を発見

    カナダCBCニュースによると、カナダのブリティッシュコロンビア州のノースショア山脈付近にあるロワー・シーモア保護区で、20世紀前半にさかのぼる日人の入植地が三つ発見された。 ノースショア山脈の森林地帯での人々の居住生活について調査していたキャピラノ大学の考古学者ボブ・ムックル(”Bob Muckle“)氏と学生の調査チームはロワー・シーモア保護区内で日人の入植地三か所を発見した。 三つの集落ではあわせて14軒の小さな家のほか、浴場、小さな神社、庭園、貯水槽の遺構と、時計や懐中時計、目覚まし時計などの身の回り品や、衣類、革製のブーツ、器の破片などが発見されている。 ムックル氏はCBCの記事で「多くの住宅があったがほとんど誰にも知られていなかった。1930年、大バンクーバー水区(”Greater Vancouver Water District(GVWD)”,ブリティッシュコロンビア州を

    カナダ、ブリティッシュコロンビア州の自然保護区で20世紀初頭の日系人集落を発見
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    yaneshin 2019/09/16