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2016年3月6日のブックマーク (6件)

  • 九州国立博物館

    * We have blog posts in 4 languages! They can be viewed in the "Cultural exchange reports" category. <Cultural exchange reports> 게시판에서는 블로그 기사를 4개 국어로 게재하고 있습니다. 博客有中文投稿内容,详情请看 Cultural exchange reports。 体験型展示室「あじっぱ」では、2月27日(土)にワークショップ「なりきり学芸員体験」を開催し、小学校4年生から大人の方まで幅広く楽しんでいただきました。 博物館で文化財や展示に携わる学芸業務の一部を理解してもらうために、あじっぱの資料をじっくり観察した上で「調査カードを作成」し、お客様にどのように見てもらうかを意識しながら資料を展示ケースに「展示」する体験です。 場所は「あじっぱ」の奥に

    九州国立博物館
    ykkykym
    ykkykym 2016/03/06
    “ワークショップ「なりきり学芸員体験」を開催。資料をじっくり観察した上で「調査カードを作成」し、お客様にどのように見てもらうかを意識しながら資料を展示ケースに「展示」する体験”
  • 安倍首相ら“フクシマの戦犯”は責任追及からどう逃げたか? 捏造攻撃、スラップ訴訟も - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    【特別企画】思い出せ! 安倍首相は福島原発事故の主犯だった!(後) 安倍首相ら“フクシマの戦犯”は責任追及からどう逃げたか? 捏造攻撃、スラップ訴訟も 前回の原稿で、第一次政権の2006年、安倍首相が国会で福島原発事故と同じ「全電源喪失」事態が起きる危険性を指摘されながら、「日の原発でそういう事態は考えられない」という答弁書を提出。非常用電源に関する地震対策を拒否していた事実を指摘した。安倍首相こそが“フクシマの戦犯”だった、と。 ところが、当の安倍首相はこの無責任デタラメ答弁の問題をほとんど追及されないまま、責任を取らずに逃げおおせてきた。これはいったなぜなのか。 実は、下野していた自民党で安倍が総裁に返り咲いた直後の2012年10月、「サンデー毎日」(毎日新聞社)がこの事実を報道したことがある。1ページの短い記事だったが、サイトが指摘したのと同じ、共産党の吉井英勝衆院議員(当時)の

    安倍首相ら“フクシマの戦犯”は責任追及からどう逃げたか? 捏造攻撃、スラップ訴訟も - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
  • 安倍首相が原発事故前に「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否していた - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    【特別企画】思い出せ! 安倍首相は福島原発事故の主犯だった!(前) 安倍首相が原発事故前に「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否していた 故郷に帰れない多くの被災者を生み出し、放射性物質を広範囲にまき散らし、作物を汚染し、今も国土や海を汚し続けている福島原発事故。 だが、この国家による犯罪ともいえる重大な事故をめぐって、ほとんど語られてこなかった事実がある。それは、現内閣総理大臣である安倍晋三の罪についてだ。 こういうと、安倍支持者はおそらく原発事故が起きたときの首相は民主党の菅直人じゃないか、サヨクが安倍さん憎しで何をいっているのか、というだろう。そうでない人も、原発を推進してきたのは自民党だが、歴代の政権すべてがかかわっていることであり、安倍首相ひとりの問題じゃない、と考えるかもしれない。 だが、福島原発の事故に関して安倍首相はきわめて直接的な責任を負っている。第一次政権で今と同じ

    安倍首相が原発事故前に「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否していた - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
  • 炉心溶融マニュアル:なぜ5年後に「発見」?  | 毎日新聞

    東電第三者委調査へ 隠蔽なかったか焦点 東京電力が福島第1原発事故以降、核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を判断する社内マニュアルの存在に気付かず、今月になって「発見」したとされる問題で、東電は第三者委員会を設置して経緯を調べる方針を示している。問題の背景には、安全神話に陥っていた意識の甘さに加え、「炉心溶融」との言葉に神経質だった当時の政権の顔色をうかがう東電の萎縮ぶりが見える。第三者委の調査は「なぜ5年も見つからなかったか」「隠蔽(いんぺい)はなかったのか」が焦点になる。 「溶融の判断が(あったか)どうかは分からない」。震災当時、東電フェローとして事故対応に当たった日原子力産業協会の高橋明男理事長は25日の定例記者会見で、マニュアル問題への明言を避けた。当時の社内テレビ会議では炉心溶融を前提に議論していた記録が残るが「記憶にない」と言葉を濁した。

    炉心溶融マニュアル:なぜ5年後に「発見」?  | 毎日新聞
  • 【あの日 そして5年(5)】家族 佐藤家それから 嫁ぎ先でも記念写真(1/3ページ)

    母になり、父の気持ち分かった東日大震災の津波で犠牲になった岩手県陸前高田市職員で学芸員だった佐藤正彦さん=当時(55)。亡き父へのさまざまな思いを抱えながらそれぞれの人生を歩んでいる佐藤家の人たちを取材したのは約1年半前。あの日から5年を迎えるのを前に佐藤家を再び訪れた。 ■   ■ 正彦さんの研究資料を展示した特別企画展「海に生きた歴史」が6日まで岩手県立博物館(盛岡市)で開かれている。2月14日、大学進学などで別々に暮らす佐藤家の人たちがそろって亡き父の展示を見学した。家族全員がそろうのは1年ぶりだ。 企画展に足を運んだのは正彦さんの、きみえさん(55)=陸前高田市、長男の征平(まさひら)さん(23)=東京都町田市。次女の梨衣(りえ)さん(19)=仙台市。陸前高田市できみえさんの近くに住む長女の史乃(しの)さん(26)は4年前に結婚した夫の荻原祥希(しょうき)さん(27)と、昨年7

    【あの日 そして5年(5)】家族 佐藤家それから 嫁ぎ先でも記念写真(1/3ページ)
    ykkykym
    ykkykym 2016/03/06
    亡くなったお父さんと同じ学芸員を目指す娘さんの一家。以前も別の記事で紹介されていた。
  • 被災文化財 修復の歩み 各地で披露 NHKニュース

    東日大震災で津波の直撃を受けた博物館などの収蔵品。この「被災文化財」の劣化をい止め、後世に残す地道な作業が、今も続けられています。 前例のない取り組みを、どのように多くの人に知ってもらうか。その1つが、応急処理を終えた資料の「出張展示」です。 現在、被災地から遠く離れた2つの博物館で、被災文化財を紹介する展示会が開かれています。 絵画や着物、仏像に考古資料。劣化をい止める処理を終えたさまざまな被災文化財が、福井県立歴史博物館(福井市)で展示されています。 展示資料はおよそ110件。そのほとんどは、岩手県陸前高田市で被災した文化財です。 陸前高田市では、市立博物館と図書館、海と貝のミュージアム、そして埋蔵文化財保管庫が津波の直撃を受け、収蔵品が海水や汚泥につかりました。 その後のレスキューで回収された収蔵品は、4施設で合わせて46万点。各地の大学や博物館などが参加して、今も保存・修復が

    被災文化財 修復の歩み 各地で披露 NHKニュース
    ykkykym
    ykkykym 2016/03/06
    “「安定化処理」というガイドブックも発行。収蔵品が被災した状況や救出活動などについて当事者が解説し、処理の方法については、日本語と英語による具体的な記述が並びます”