「ポケモンGO」や通販サイトなどでおなじみになりつつある拡張現実(AR)と同じくらい、アーティスティック・リサーチ(AR)という言葉が浸透してほしい。これは芸術家が表現するために調査や試作をする過程である。例えば一枚の絵を描く時も、描く対象について調べ、何枚ものスケッチを作成する。多くの鑑賞者が眼(め)にするのは完成された作品だが、そこに至るにはどのような思考や実践があるのか。それはたいがい孤独な作業に違いなく、ゆえに楽しいのだとも言える。いっぽうで制作過程に触れる機会は限られ、学芸員にとっても貴重な経験である。 新しい作品の制作に併走するとARの醍醐味(だいごみ)を知る。現在、アーツ前橋で新作を展示中の山川冬樹(1973年生まれ)は太陽系から飛び出したボイジャー計画を祈りだと言う。その地上から地球外生命体に届けられる祈りと、地上から別れを告げる言葉を彼は重ね合わせる。その言葉を聴くために
社会的事件を題材にした小説で人間や生のあり方を問い続ける作家、高村薫さんの朝刊新連載小説「我らが少女A」が8月1日から始まる。東京郊外で起きた未解決事件をめぐり、町の風景と人びとの記憶が交錯する。高村作品ではおなじみの刑事、合田雄一郎が登場し、ファン待望のシリーズ新作となりそうだ。 十数年ぶりの新聞連載とあって、高村さんは苦しんでいた。「1回の文字数が原稿用紙2枚半に満たない。1、2回ごとに人物の視点を変えて書き、それを重ね合わせて最後に1枚の大きな絵が出来上がるように書いていきたい。が、これが難しい。あと4、5行あればということばかりで絶えず不全感が残る」と、もらす。 20年前ならこんな試みはしなかったという。しかし、「小説とは話法で決まる。ストーリーやテーマはあとからついてくるもの。新聞小説のスタイルにこだわりたい」と自らの足かせとした。
東京都美術館に次ぐ、全国2番目の公立美術館として1933(昭和8)年に開館した京都市美術館(京都市左京区)=再整備工事中。多くの人に親しまれているが、駐留した米軍に一時接収されるなど、戦争で大きな影響を受けた。それでも当時の関係者は、「アートを守ろう」と懸命の努力を続けてきたという。歴史をたどってみた。【澤木政輝】 京都市美術館は、京都で開かれた昭和天皇の即位礼を記念する「大礼記念京都美術館」として、広く市民の寄付金を集めて建てられた。当時最大の美術展だった帝展(現・日展)をはじめ、数多くの大規模展覧会を開催してきたが、44年秋から米軍による本土空襲が本格化すると、文化財や美術品を守るための対策が急務となった。
金華山織など美しい装飾、調度品を備えた「朝日の間」。国・公賓との謁見の他、東京サミットなどでも使われた。工事が始まる前に撮影=東京都港区で2017年2月2日午前10時49分、小出洋平撮影 日本唯一の純ヨーロッパ風の宮殿・赤坂離宮が、迎賓館に生まれ変わって今年で43年になる。芸術院会員で文化勲章受章者の建築家・村野藤吾(1891~1984年)の監修のもと、1968年から5年余りの歳月と103億円の巨費を投じて、文化的価値のあるものは全て復元、空調などの近代設備も完備した。ようやく国・公賓にふさわしい“最高級ホテル”に生まれ変わったのだ。 建物にひとたび足を踏み入れると、天井絵画や豪華な織物など、きらびやかな装飾に圧倒される。明治日本から続く伝統の重み。当時の最高技術を結集した宮殿が創建100年を迎えた2009年には、国の重要文化財と国宝に指定された。ただ、長年の風雪や戦争被害、高温多湿な気候
迎賓館赤坂離宮の敷地内で国内で初めて飛行許可された毎日新聞社のドローン。準備も万端。臨場感あふれる映像・写真をお届けする=2017年8月10日午前11時半、中澤雄大撮影 JR四谷駅そばのユリノキの並木を抜けると、都心の喧噪(けんそう)とは別世界が現れる。壮麗な門の向こうにそびえる白亜の殿堂--外国の元首や王族ら国・公賓に位置づけられる人たちの来日に際し、会談や宿泊などの接遇に使われる「迎賓館赤坂離宮本館」である。明治42(1909)年に東宮御所(皇太子殿下のお住まい)として、明治日本の最高技術を集めて造られた唯一無比のネオ・バロック様式の美しさは、今も見る者の心をとらえて離さない。 その魅力を伝えるべく、毎日新聞が小型無人機ドローンを用いた撮影取材を企画したところ、この度、国内で初めて許可された。政府重要施設付近などの上空を飛ぶことは、改正航空法によって禁じられているが、迎賓館を所管する内
初の東京サミットで2日間にわたる討議を開始。会場の迎賓館に各国首脳らが乗った車が次々に到着した=1979年6月28日撮影 東京・元赤坂の迎賓館赤坂離宮は今年で創建108年を数える。長い歳月を振り返る時、これほど時代の荒波に翻弄(ほんろう)された建物はないだろう。重厚な石造りの外観を眺め、国宝級の工芸品や絵画などで装飾された本館内を歩くと、誇りと伝統の重みがずしりと伝わってくる気がする。造営後、長く荒れるに任されていたが、「昭和の大改修」を経て戦後日本外交の一翼を担う場に生まれ変わり、さらに多くの観光客が訪れる人気スポットに育った。明治の文明開化、国威発揚を目指して造られた歴史的建造物。今ようやく国民に開かれた場になったのである。【中澤雄大/統合デジタル取材センター】
主人が大切にしていた皿を割ったと責められ命を落としたお菊。間もなく井戸から「一枚、二枚……」と皿を数える恨めしそうな声が聞こえるようになった--。 誰もがよく知る「皿屋敷」の怪談。この作品では、お菊の姿が透明感ある色合いで描かれている。鈍くグレーに光る着物の模様は、下半身に向かうにつれ淡い色に。地面から立ち上る闇の中に足元はまぎれ、背後にある井戸も透けて見える。色味を抑えた画面の中で、じゅばんの赤がちらりと見えるのは、かろうじて残る生前の情のようなものだろうか。繊細に表現された前髪からは、すすり泣く目元が見える。 太田記念美術館の学芸員、渡辺晃さんは1890(明治23)年作の本作品を「この時代に特有の表現」だと解説する。江戸時代の幽霊は強い恨みを持ったおどろおどろしい姿で描かれていることが多いという。しっとりとした悲しみを前面に出した本作品は、幽霊というより一人の女性の悲しい人生を描いてい
東京・元赤坂の迎賓館赤坂離宮が所蔵する藤田嗣治(1886~1968年)の「幻の作品」を含む天井壁画全6点が8月11日から29日までの期間限定で、初めて一堂に展示される。「乳白色の下地」と細い黒線で描いた裸婦像などで第一次世界大戦下のパリ画壇を席巻した異邦人画家は、1930年代半ばの世界的な壁画ブームに乗って、日本に帰国した際に次々と大作に挑んだことが知られている。 今回特別展示される6点は35(昭和10)年11月、日本初のフランス菓子店「コロンバン」の銀座店のために制作。戦火を免れるために店内から運び出されて保管されていたが、75年1月に宮殿から衣替えされたばかりの迎賓館に寄贈されたものだ。このうちの一点「犬を抱く女性と楽士」は、2006年に東京国立近代美術館他で開催された生誕120年回顧展など各種展覧会でも展示されたことがなく、まさに初公開となる。
東京都港区台場のホテルで開かれたパチスロ機メーカー最大手、ユニバーサルエンターテインメントの株主総会=2017年6月29日撮影 パチスロ機メーカー最大手、ユニバーサルエンターテインメント(ジャスダック上場)の定時株主総会が6月29日、東京都港区台場のホテルで開かれた。株主総会では、オーナー創業者であり、会長として同社の実権を握っていた岡田和生氏(74)が、取締役から外される議案の採決が予定されていた。総会開始前に、株主として入場しようとした岡田氏と会社側が押し問答をし、入場を拒否される事態となった。 株主総会は午前10時から予定され、その30分ほど前に岡田会長が受付に姿を現した。入場を拒否する会社側と、約30分にわたり、受付脇で押し問答となった。岡田氏は、約20億円の不正な資金貸し付けの疑いがあるとして、会社側から会長としての業務執行を停止されている。さらに、同社の筆頭株主であるオカダ・ホ
パチスロ機メーカー最大手、ユニバーサルエンターテインメント(ジャスダック上場)のオーナー創業者として実権を握っていた岡田和生会長(74)が、6月29日に開かれる定時株主総会で本人の意向に反して取締役から外される騒動が勃発している。会社側は任期満了に伴い、経営刷新を図るべく取締役人事を決めたと説明しているが、事実上の“解任”との見方が出ている。いったい何が起きているのか。 岡田氏は1969年にジュークボックスのリース業を創業し、パチンコ・パチスロ機の製造販売に参入して一代で同社を築いた「ワンマン経営者」だ。2017年3月期の同社の売上高は1111億円、最終(当期)利益は186億円にのぼる。創業以来48年間にわたり、同社の最高権力者だった岡田氏がなぜ、取締役から外されることになったのか。
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