押井守の作品製作姿勢について語っていたサイトがあって、そこからインスパイアされたのでメモ。 押井の場合、世界とは意識が生み出す解釈像であり、意識とは自己と現象世界の間主観的関係によって生じるという認識がある。意識には自己と現象世界双方に対する接近不可能性がある。意識というシステムは意識というシステムを形成している自己や現象世界といった「外部」に対してアプローチできないのだ。ゆえに意識は意識自体を生きざるを得ないし、「あえてそれを」生きねばならない。その「接近不可能性」とは「事物の本質性の経験不可能性」でもある。ゆえに、押井の描く物語は常に主観的かつ解釈学的になる。 その上で、押井は「意識があえてそれ自体を生きる物語」をメタ視点で見下ろし、物語であるというメッセージを繰り返し周到に配置する。それにより、我々の生きている世界もまた、押井の描く物語世界の住人がはまり込んでいるような主観的・解釈学