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赤尾敏に関するyoooshi99のブックマーク (2)

  • 愛国党総裁 赤尾敏 24時間密着取材!

    2月23日正午・銀座数寄屋橋交差点 「お前らは共産党のスパイだ!」 のっけから面くらった。 「お前らマスコミはみんな、共産党のスパイだ!!」 満90歳の老右翼は、かっと目をむきステッキを振り上げた。手渡そうとした私の名刺は、あわれにも昼休みどきの数寄屋橋の路上に放り捨てられた。 途方にくれながら、私は名刺を拾い上げた。いったい何がまずかったのだろう。 一週間ほど前、私は取材を申し込むために愛国党部に電話を入れた。電話口に出たしわがれ声は、愛国党総裁・赤尾敏その人だった。 「大喪の礼? その日はね、私らは数寄屋橋で労働者・庶民の手による独自の大喪の礼の集会を開くんです。取材? とにかく前日に数寄屋橋に来たらいい」 そして、2月23日。言われた通りに銀座の数寄屋橋に出向いた私は、日課の街頭演説のために現われた赤尾敏に挨拶をしたところ、いきなり「共産党のスパイ」にされてしまったので

  • 大日本愛国党 - Wikipedia

    大日愛国党(だいにっぽんあいこくとう)は、日の丸革新主義、反共主義、愛国主義を掲げる日の極右政治団体。党の初代総裁は赤尾敏。 解説[編集] GHQによる公職追放解除直後の昭和26年(1951年)に赤尾が結成。 各種選挙に積極的に候補者を立て、全て落選しているが、これは数寄屋橋で毎日行っていた街頭演説を公職選挙法の規定で途切れさせたくないという理由からだった。 政治腐敗・社会矛盾を糾弾し、市井の零細企業経営者から与党政治家まで幅広い支持者を得た。窮乏の中で参議院議員通常選挙、東京都知事選挙への出馬を繰り返し、最大13万得票するなど健闘した。 赤尾は社会主義者からの転向である。天皇親裁の下での生産手段の公有財産化を主張していた他、右翼思想の解釈に不敬発言がある[注釈 1]と評する者もいる[1]。 戦前の衆議院議員時代から、反共主義、反ソビエトの立場から対アメリカ・イギリス開戦に反対し、反戦

    大日本愛国党 - Wikipedia
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