ドレフュス大尉の不名誉な除隊を描いた挿絵(官位剥奪式で剣を折られるドレフュス=中央左) 1894年夏、フランス陸軍省は陸軍機密文書の名が列挙された手紙を入手した。手紙はドイツ陸軍武官宛てで、フランス陸軍内部に情報漏洩者がいるのではないかと懸念された。筆跡が似ていたことから、ユダヤ人砲兵大尉のアルフレド・ドレフュスが逮捕された[2]。しかし、具体的な証拠どころか、ドレフュスが金銭問題を抱えている、もしくは急に金回りが良くなったなどといった状況証拠すら欠いていたため、スパイ事件及びドレフュス逮捕の事実はすぐには公表されなかった。 ところが、この件が反ユダヤ主義の新聞に暴露されたことから、対処を余儀なくされた軍は、12月22日に終身禁固刑を言い渡した。1895年3月、ドレフュスはフランス領ギアナ沖の離島、ディアブル島に送られた[3]。 1896年、フランス陸軍情報部は、情報漏洩者がフランス陸軍の