大日本愛国党(だいにっぽんあいこくとう)は、日の丸革新主義、反共主義、愛国主義を掲げる日本の極右政治団体。党の初代総裁は赤尾敏。 解説[編集] GHQによる公職追放解除直後の昭和26年(1951年)に赤尾が結成。 各種選挙に積極的に候補者を立て、全て落選しているが、これは数寄屋橋で毎日行っていた街頭演説を公職選挙法の規定で途切れさせたくないという理由からだった。 政治腐敗・社会矛盾を糾弾し、市井の零細企業経営者から与党政治家まで幅広い支持者を得た。窮乏の中で参議院議員通常選挙、東京都知事選挙への出馬を繰り返し、最大13万得票するなど健闘した。 赤尾は社会主義者からの転向である。天皇親裁の下での生産手段の公有財産化を主張していた他、右翼思想の解釈に不敬発言がある[注釈 1]と評する者もいる[1]。 戦前の衆議院議員時代から、反共主義、反ソビエトの立場から対アメリカ・イギリス開戦に反対し、反戦