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思考に関するyottokiのブックマーク (5)

  • P02-04: ニセ科学批判の対象と射程~震災後のニセ科学批判の困難さ~

    たとえ更新が遅くても気長に見てください。また、ここの特徴として、一旦書いた記事を修正して再投稿する事もあります。 コメントは承認制です。コメントを書いてもなかなか反映されない時には「コメントを見ている暇が無いのだな」と思ってやってください。 ===コメントされる方は、節度を守る様お願い致します。名無しやダブハン、マルチポストは御遠慮ください。頂いたコメントは、私の気まぐれにより無警告で削除したりしなかったりします。予めご了承ください。=== 初回公開日:2011年8月30日 最終更新日:2011年8月30日 (このエントリは、ニセ科学批判について、ある程度の知識のある方を対象にしています。初めての方には少し解り難いかもしれません) (ニセ科学批判とは字義通り「ニセ科学を批判する行為」の事です。それ以上の意味は込めていません) 1.これまでに(震災前までに)ニセ科学批判が主な対象としてきた人

    P02-04: ニセ科学批判の対象と射程~震災後のニセ科学批判の困難さ~
  • 不思議なものとのつきあいかた - レジデント初期研修用資料

    「不思議なもの」は、今の世の中にだってたくさんある。それが証明された事実なら利用すればいいし、虚偽なら否定すればいいけれど、「不思議なもの」はそのどちらでもないものだから、距離を置いて「つきあう」ことが大切になる。 「不思議なもの」と対峙して、それをあたかも事実であるかのように利用を試みてしまったり、逆にあらゆる不思議を虚偽と断じて否定したりすると、たいていはろくでもない結果が待っている。 ビールの原理 自分にはたとえば、「ビールがたくさん飲めること」が、未だに不思議に思える。 ネットをちょっと引っ張ると、これは「アルコールが胃から吸収される」からという説明が為されているのだけれど、ビールのアルコール濃度は6%程度だから、これ胃から拡散吸収できたところで、自分が体感するビール特有の「いくらでも」とは、ずいぶんかけ離れているように思えてしまう。 アルコールと人体との関係は、医学が一番詳しいは

    yottoki
    yottoki 2011/07/23
    ちゃんと不思議なものを不思議なもので処理すると不思議なままだけど、手持ちのマイルールで処理すると面白くない嘘になっちゃうような気がする。
  • 「久米宏のラジオなんですけど」(TBSラジオ)今週のスポットライト!!ゲスト:池上彰 書き起こし。 - 虚馬ダイアリー

    毎週土曜日午後1時からTBSラジオで絶賛放送中の「久米宏のラジオなんですけど」の人気コーナー「今週のスポットライト!」のコーナーに、わかりやすいニュース解説で、去年大ブレイクした池上彰さんが登場して、「ニュースステーション」でニュース番組の歴史を変えた久米宏さんと対談しておりまして、大変興味深い内容だったので、全編書き起こしてみました。 追記:コーナー後の雑談部分を書き起こしたエントリをアップしました。エントリの後でお楽しみください。 http://d.hatena.ne.jp/toshi20/20110320#p1 池上彰と久米宏、初対面 久米宏:池上さんです。こんにちは。 池上彰:あ、こんにちは。はじめまして。 久米:あ、はじめましてなんですよねー。ほんとに初めてお目にかかって。 池上:ええ。 久米:今日は黒のタートルに紺のスーツで、テレビで見るよりはるかにシックな格好で。 池上:い

    「久米宏のラジオなんですけど」(TBSラジオ)今週のスポットライト!!ゲスト:池上彰 書き起こし。 - 虚馬ダイアリー
    yottoki
    yottoki 2011/03/24
    今回の災害を機会にメディアのあり方が変わりそうなきがする。楽観的かもしれないけど。
  • 専門性:Chromeplated Rat

    薬剤師兼セラピスト、でいらっしゃるらしいあやさんの、代替療法と云うエントリを読んだ。 そこで代替療法を行う場合は、素人が行うのではなく、プラクティショナー(専門家)に必ず見てもらう必要があると思います。 勝手に使うと大変なことになる場合があります。 プラクティショナー(専門家)は、その分野に関してしっかりした知識があるはずです。ある程度の医学的知識もあると思います。 そのためにプラクティショナー(専門家)がいるのですから。おっしゃることはわかる。 ぼくたちの生活は、そこに専門家の介在がないと成立しない。と云うか、各自がおのおの専門家であり、その専門性に応じて役割を分担することで総体としてコストを下げ、生活の水準を底上げする、と云うのがぼくらの暮らす社会のしくみだ。 じゃ、その専門家の専門性の裏付け、と云うのはどこから生じてくるのか。 何度か書いているので細かいことは書かないけれど、こと医療

    yottoki
    yottoki 2010/08/18
    『ホメオパシーの専門性と謂うのは、徹頭徹尾「ホメオパシーと謂う虚構の物語」についての専門性でしかない』『原理的に、ホメオパシーはそのスタンスを持てない。「嘘でない」ものになる道を自ら閉ざしている』
  • 3ToheiLog: 人間の社会はニセ科学批判に耐えられるのかなあ?

    人間の社会はニセ科学批判に耐えられるのかなあ? 「ニセ科学批判」という運動は、根的に正しいことを言っているのだが、根的に難しい要素を含んでいる。難しい要素というのは、「人間社会がそもそもニセ科学的」であるという点に尽きる。 * なぜ人間社会がニセ科学的であるかといえば、人間の脳が致命的にニセ科学的であるからだ。つまり、 ○ 知っている範囲の知識を援用して、手当たり次第に「原因」と「結果」を捏造して、その仮定の下に行動する。 ○ 一度仮定を組み立てたら、よほど個人的に手痛い反証を受けない限り、その仮定を維持し続ける。 ○ 仮定に個人的な手痛い体験の反証が加わらない限り、スキあらばその仮定をもっともらしく他人に「教えて」伝えようとする。 人類始まってから、こういう「ニセ科学的な行動」というのは続いてきた。この膨大な歴史に比べると、近代科学の歴史など皮一枚に過ぎない。このシステムは、古くは占

    yottoki
    yottoki 2010/02/12
    このエントリーに関しては「ニセ科学」の範囲を広げ過ぎていると感じる。「科学的でない」だけって理由で批判ってできないでしょ。/溜飲を下げてるだけのニセ科学批判はエンタメかもしれません。自戒をこめて。
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