天智・天武系図 大津皇子と草壁皇子(緑表示は、生年~没年) まとめ 大津皇子(反逆の嫌疑で自害)の後 #草壁皇子(病死?)。次世代が相次ぎ早世した時期の万葉歌を時間軸で並べてみました。草壁を悼んだ #柿本人麻呂 勾り池の水鳥の歌(2-170)は、大津の辞世・磐余池の鴨の歌(3-416)に巧妙に応答しているのかも知れません 目次 巻3-416(大津皇子、辞世)【8月16日記事】 大津皇子が死を覚悟し磐余の池の堤で涙を流し作られた歌一首 巻2-165~166(大伯皇女)【8月15日記事】 大津皇子の亡骸を二上山に移す時、大伯皇女が哀しみお作りになった二首 巻2-167(柿本人麻呂) 草壁皇子の葬儀の時、人麻呂が詠んだ長歌 巻2-168~169(柿本人麻呂) 長歌につづく短歌(返歌、二首) 巻2-170(柿本人麻呂) 巻2-171~193(草壁皇子の宮の舎人) 草壁皇子の宮の舎人たちが泣き悲しん