ミクシィにもすっかり飽きた。すぐに思いつくのは、中のコミュニケーションのレベルが低いこと。それは僕の個人的評価軸においてだけれど。これはfjの時代から約20年間、何度も何度も繰り返されている。このブログにも何度か似たようなことを書いたけれど、参加者が大衆化すれば、どうしてもそこで展開されるコミュニケーションのレベルは低くなる。 ここで言う「レベルの低さ」というのは2ちゃんとかとはまた別のベクトルで、全部で3つある。それは一つにはコミュニケーション能力、一つには情報収集能力、一つには評価能力。その結果、ミクシィの内部のコミュニティーはカラーで二分化されてきている。一つはオタク、もう一つは衆愚。この二つは専門性を評価軸とすれば両極に配置されるのだけれど、ミクシィの中のコミュニティはその両極に分かれつつある。 オタクのコミュニティというのは参加者はそれほど多くなく、そしてその種類は多い。そこでは