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新聞に関するyucoのブックマーク (10)

  • 日経BP

    株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分

    日経BP
  • ジャーナリストのビジネスモデル | OSDN Magazine

    アメリカではNew York Timesなど世界的にも名の知られた有力紙が大幅な収入減で悲鳴を上げ(紙新聞への処方箋)、地方ではドミノ倒しのごとく地方紙が倒産しているようだ。日でも廃刊までは行かずとも経費削減のため夕刊を廃止した地方紙は多く、全国紙も遠からず同様の状況になるに違いない。新聞のみならず、雑誌等の紙媒体は軒並み苦境に立たされているようである。 新聞や雑誌の消滅がジャーナリズムの消滅につながるかのような論調もあるが、私はそうは思わない。ニュース報道はもちろん健全な社会にとって必要だが、それを生み出す主体として大規模でパーマネントな組織としての新聞「社」や雑誌「社」が必要かどうかはよく分からないからだ。新聞社が消えても雑誌社が消えてもジャーナリストは残る。だとすれば、個々人としてのジャーナリストがきちんと仕事を続け、かつべていけるような商売の仕組みの創出が望まれるわけである。こ

    ジャーナリストのビジネスモデル | OSDN Magazine
  • デザインで新聞を救った男の話:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ

    新聞を救う。この不可能とも思える課題に対して、1つの答えを出した男がいます。その男の名はジャチャック・ウツコ(Jacek Utko)。彼が TED で講演した様子がネットで公開され、さらに日語字幕も追加されました。先月から話題になっていた動画ですが、未見の方は是非: ■ ジャチェック・ウツコは問う「デザインは新聞を救えるか?」 (TED.com) ジャチェック・ウツコは、東ヨーロッパの新聞をリデザインすることで数多くの賞を受賞するだけでなく、購読数を100%まで回復させたポーランドの新聞デザイナーです。良いデザインは新聞を救うことができるのでしょうか?できるのかもしれません。 アジャイルメディアの坂和さんに教えていただいたのですが(ありがとうございます!)、話題になるのが十分納得できる面白い講演です。TED は YouTube でも動画を公開していますので、蛇足気味に貼っておきましょう(

    デザインで新聞を救った男の話:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ
    yuco
    yuco 2009/10/29
    建築学上のルールってなんだ?あとでみたい。
  • "新聞の定期購読はバカを見る" - ライブドアニュース

    提供社の都合により、削除されました。 ランキング 総合 国内 政治 海外 経済 IT スポーツ 芸能 女子

    "新聞の定期購読はバカを見る" - ライブドアニュース
  • 記者クラブを楯にして新聞を有料化しようと企てる人たち:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    元木昌彦氏の「週刊誌は死なず」 元週刊現代編集長で、ついでに言えば元オーマイニュース編集長でもある元木昌彦氏の週刊誌は死なず (朝日新書)という新刊を読んだ。この中に、「ネットの影響を受けているのは新聞も同じである」として次のようなくだりがある。すこし長いが引用しよう。 しばらく前に、朝比奈豊毎日新聞社長と若宮啓文朝日新聞元論説主幹と話す機会があった。私は、こうした人たちと会う時、必ず聞いてみることがある。それは「どの新聞社もネットを充実させればさせるほど紙の部数が落ち込んでいることで悩んでいる。ここら辺で、新聞社が”談合”して、情報(ニュース)はタダという風潮を断ち切り、有料化に踏み切ってはどうか」ということである。 談合という言葉は刺激的すぎるが、要は、日語という狭いマーケットの中で、バラバラに情報を垂れ流し合っていても、広告収入で採算をとるのは不可能に近い。「Yahoo!」など巨大

    記者クラブを楯にして新聞を有料化しようと企てる人たち:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
  • 新聞が生き残るために「コツコツやる」が主役になる。校閲記者・平山泉(1)(gooニュース) - goo ニュース

    毎日新聞の看板コラム「余録」を二十年以上執筆し続けた名物コラムニストが引退するとき、社員を代表して花束の贈呈を任されたのは校閲記者の平山泉、当時32歳だった。以前、平山はコラムニストにこう呼ばれていた―「スカイエネミー(天敵)」、それがベテラン記者の「戦友」と認められたのだ。(斎藤沙帆里・立教大学) ◆華やかなマスコミで校閲は地味な仕事 事件を追いかけてスクープをとばしたり、一世を風靡する有名人と仕事をしたり――華やかなイメージのあるマスコミ業界の中で、「校閲」は最も地味で目立たない仕事だ。誤字脱字のチェックや記事の内容確認を行う。新しいアイデアを付け加えるわけではないし、記事に自分の名前が載ることもない。ただひたすら「調べて確認する」という地道な作業の繰り返しである。 いったい、校閲という仕事の意義とは何なのか。そんな悩みを抱えていた平山に、ある出来事が起こる。毎日新聞の名物コラム「余録

    新聞が生き残るために「コツコツやる」が主役になる。校閲記者・平山泉(1)(gooニュース) - goo ニュース
  • TechCrunch | Startup and Technology News

    Evan, a high school sophomore from Houston, was stuck on a calculus problem. He pulled up Answer AI on his iPhone, snapped a photo of the problem from his Advanced…

    TechCrunch | Startup and Technology News
  • 「新聞が信じられない座談会」で - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    去年暮れに、新聞を含むメディア不信や経営悪化の件での座談会に呼ばれたはいいけど、なんか上がってきたゲラが大変偏っていたので… どうも気になるわけですよ。仔細は述べないが、Aであり同時にBであるからCであるかもしれない、みたいなことは確かに言ったけど、なんかBだからAみたいな発言をしたことになってるし。ちゃんとテープを起こしたりしてないのかな。さすがにマズいと思ったので山ほど赤を入れて返送したけど、どうなることやら。 自著でも一部論じたけれども、いくつかここでも書いておこうかな。 佐々木俊尚さんがどこぞの記事で「毎日新聞はいまだにネットに対してアレルギーがある」的な内容を書かれていたけれども、たぶんそれは事実で。そのうえで、座談会では「通信社も新聞社もみんなネットが嫌い」で、かつ「広告代理店もテレビ局もネットが嫌いになりつつある」状況じゃないかという話に。 理由は儲からないから。 新聞が嫌い

    「新聞が信じられない座談会」で - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • 高校生の時、取材受け「勲章もらった気分」に 林香里・東大大学院情報学環准教授

    ■子どもの頃から身近な存在だった新聞 新聞が圧倒的な支持を得ていた時代は過去のものになりつつある。斜陽の理由はさまざまだが、人々が新聞と向き合う姿勢、かかわり方が大きく変わった気がする。 わたしの年代、新聞は朝起きたら机の上にありました。父親が最初に読んでいましたが、特別なものではなく自然に生活に溶け込んでいました。母方の祖父が新聞記者だったことも普通の家に比べて新聞が身近な存在だったかもしれません。記者は数年ごとに転勤があり、大変な仕事だなと思いましたね。 子どものころはテレビ欄をチェック、折り込み広告の裏でお絵描きしたり…そんな思い出があります。新聞でショックだったのは三島由紀夫の自殺。今なら考えられませんが、首の写真などが出ましたから。 新聞は時代とともに役割が変わったのだろうか。林さんは高校時代に名古屋タイムズの取材に応じた。名古屋市の姉妹都市、米ロサンゼルスで交換留学生として滞在

  • とんでもない事件だ / 西日本新聞

    とんでもない事件だ。北九州市と福岡県苅田町にまたがる自動車メーカーの部品工場に爆発物が投げ込まれ、地面に穴が開いた。工場を建設した会社のトラブルとみられるが、問題はそのメーカーの対応。広報担当者は当初「事件については言えません」の一点張りだった。 ようやく数時間後に「再発防止を望む」とコメントした。後で聞くと、捜査の関係で極端に口をつぐんでしまったという。このメーカーは大手自動車会社の子会社で、被害者側ではある。しかし、工場の起工式が昨年開かれたときも非公開だった。式典風景を公道から写真に撮ろうとすると、建設会社の人や警察官から制止された。 ただ、企業の社会的責任がこれだけ求められている中、事件が起きれば十分な説明が必要なはずだ。メーカー名はこの欄では名指ししないが(各段落の頭文字がヒントです)、説明責任を考えてほしい。 (根井)=2008/10/06付 西日新聞朝刊=

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