禹 範坤(ウ・ボムゴン、우범곤, 1955年2月24日 - 1982年4月27日)は、1982年4月26日から翌日にかけて、韓国南部の慶尚南道宜寧郡宮柳面で57人(56人、59人、62人などの説もある)を殺害、35人に重軽傷を負わせた事件を起こした警察官である。 禹は慶尚南道釜山市東区草梁洞(現:釜山市南区望美洞)出身で四人兄弟の三男。父親も警察官で幼少期の頃は特に何も悩みなく過ごしたという。 1963年3月29日、8歳の時に釜山東区草梁洞小学校に入学し、釜山佐川洞釜山中学校から錦城金星高校に進学。この間1973年6月に父親は警察官を退職し、1972年には大腸癌と診断され6ヶ月入院。このため翌年には父親の治療費と禹自身の学費を賄うために自宅を売却したが、既に父親の余命が半年と宣告をされ1974年1月30日に死去。父の死後禹は家のガラスを割り手首を切る自傷行為を行ったりしたが未遂に終わる。ま