二〇二〇年が始まって未知のウィルスによる肺炎の流行が具体的な脅威として囁かれるようになったとき、そのあとの展開がどのようなものになるかを、わたしはまったく予想していなかった。コロナウィルスのふるまいに関する初期の情報は、特に疑いを抱くことなく受け入れていた。四日間の待機にしても、少ないように感じられる検査数にしても、なにかしらの疫学的根拠を備えたものだと考えていた。クラスター対策は有効で、適切な人員が適切な規模で投入されているのだと信じていた。たしかにクラスター対策は有効だったが、適切な人員が適切な規模で投入されていたわけではないとあとで知った。政府が招集した専門家委員会は手弁当の集まりで、政府の支援を受けていないとあとで知った。議事録を作っていないので議論の経過を検証できなくなっている、ということを知ったのは最近である。 二〇二〇年の三月を通じて、政府の奇妙なふるまいが見えるようになって