東日本大震災で駅や線路など300か所以上が被害を受けた岩手県の三陸鉄道がきのう6日(2014年4月)に全面開通した。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」のモデルになった鉄道ということで、けさ7日の「あさイチ」は「満を持してお届けします。おめでとう三陸鉄道スペシャル、出発進行です」(有働由美子キャスター)とはしゃぎっぱなしだった。 婚活列車、ビール列車、ランチ列車… ゲストの鎌田實氏(医師・作家)は「三陸鉄道はまさに復興のシンボルです。被災直後から一部ながら電車を走らせて、皆がどれほど勇気をもらったか知れません」と話す。 しかし、震災後に土地を離れる人が増え、乗客が減った三鉄は赤字続きだ。そのため、「こたつ列車」「歌声列車」「ワイン列車」などさまざまな企画列車を走らせてきた。盛岡放送局の魚住優アナが報告する。「去年12月にどんな列車を走らせたいかを募集したところ、600通以上の提案がありました
岩手日報社は5日、東日本大震災から3年で全線再開を果たした三陸鉄道を別刷りで特集し、東京都内では特別号外として約5千部を街頭配布しました。 震災で甚大な被害を受けた三陸沿岸住民の足が復活する喜びとともに、クウェートからの車両援助など、国内外の支援に対する感謝の気持ちを伝えています。別刷り特集の一部紙面をPDFファイルで紹介します。
2011年3月11日の東日本大震災から丸3年を迎えた3月、いくつかの被災地や、復興の課題を議論する場を訪ねた。そこで共通して耳にした問題がある。「風評」の固定化である。 青々としたネギの畑が、福島県南相馬市原町区北萱浜に広がっている。2011年3月11日の津波で住民47人が犠牲になった北萱浜の人々は、福島第1原発事故を逃れて、高齢者を守りながら車を連ねて福島、南会津の山中まで避難の旅を強いられた。見渡す限り土色の荒野の風景になった古里の地で、家も農機具も田畑も流された跡に立ち、住民が取り組んだのは避難中に亡くなった同胞6人を加えた慰霊碑建立、そして、ネギ栽培の再開だった。
この記事は約5分で読めます。 東南海地震の発生が近いと言われていますが、今回はダイビング中の地震に関して書いてみます。 実は幸運にも、関係学会の発表でも、先の東日本大震災のときに作業中のダイバーが亡くなったという報告はありませんでした(レクリエーショナルダイバーについては不明。東北沿岸で3月11日にレクリエーションとして潜水することは、水が澄んでいることはメリットですが、実際当時はどうだったかについては分かりません)。 しかし、近いうちに起きるかも知れない次の大震災のときには、同じように誰も亡くならないという保証はありません。 少なくとも今ダイバー自身ができることは、そのときにパニックになってしまって、自分で自分の首を絞めることにならないような心構えだけは講じておく必要があるということです。 東日本大震災発生時、福島沖と神奈川の水中体験したプロダイバーたちの話 福島県沿岸某火力発電所沖 プ
福島県立医科大学 ふくしま国際医療科学センター 放射線医学県民健康管理センター長 阿部正文 平成26年3月11日、テレビ朝日系列(福島県はKFB福島放送)のテレビニュース番組「報道ステーション」におきまして、甲状腺がんに関する特集が放送されました。その内容に関して、当大学・当センターの見解をお伝えします。 甲状腺検査の実施について ・甲状腺検査について実施や判定の権限を当大学に集中させているとの指摘がございました。 県民健康管理調査は甲状腺検査を含め、福島県からの委託により、県立医大が実施しております。実施主体は県立医大ではあるものの、その運営や評価については、これまでも福島県、あるいは「健康管理調査」検討委員会に報告し、チェックを受けており、実施の権限が県立医大に集中しているわけではございません。 甲状腺検査で行っている超音波検査は、検査者の知識、経験、技能により正確性が大きく左
若者を田舎で輝かせる――。東日本大震災直後、東京都内の学生有志でボランティア団体「SET」を結成した三井俊介氏(25歳)は、これまで東北に多くの学生を派遣してきた。三井氏自身も、岩手県陸前高田市の広田半島に大学卒業後の2012年4月に移住。パソコン教室や野菜のネット販売に乗り出し、生計を立てている。これまで、あまり交わる機会がなかった都会の若者と地方の高齢者。三井氏は現地での田舎暮らしを通して、「今後は都会の若者が田舎で暮らす流れが生まれるのでは」と考えている。 ここ広田町は陸前高田市の中心地からも時間がかかりますね。どんな活動をしていますか。 三井:学生時代は月に1回通っていました。はっきり言って移住当初は活動がありませんでした。なので、まずはこの町の課題を探ることから始めました。 半年くらい経つと広田町が抱える問題が見えてきました。私の住むところの世帯数は200世帯ほど。田舎特有のしが
2011年3月11日の津波被災地となった石巻市渡波地区で、あれから丸3年を経た今月16日、「石巻ひがし保育園」(定員75人)が落成式を迎える。渡波では、幼稚園と市の2つの保育所が被災後、再開のめどが立たず、希望の1歩と映る。だが、民間の保育園づくりは難航。莫大な復興予算の陰で、未来への種まきも危うい事態が被災地で続く。 「民間保育園」設立への奮闘 保育園を設立したのは、地元の洞源院住職、小野崎秀通さん(66)が理事長の社会福祉法人・輝宝福祉会。3年前、高台にある洞源院は、津波で家や職場をなくした住民約400人を受け入れ、5カ月もの間、避難所となった。渡波の小中学校も被災して別の地区に仮移転し、小野崎さんは「渡波では震災後、2000世帯余りが減った。子育て環境すら回復せず、復興の町づくりを助けたい」と、寺の財産を投じての保育園開設づくりを思い立った。
共有できる写真や動画を持っています! デジタルカメラや携帯電話等で撮影した、被災や復興に関わる写真や動画をお持ちではないでしょうか。震災の記録を収集する多くのプロジェクトでは、写真等の投稿を受け付けています。 投稿された写真・動画は、各サイトに掲載されるだけでなく、国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(愛称:ひなぎく)からも検索できるようになります(ひなぎくと連携している機関・プロジェクトのみ)。投稿の方法、規定等は各プロジェクトのページをご覧ください。 ずっと保存してほしいウェブサイトがあります! 地域の復興の様子を追いかけた個人のウェブサイト、ボランティアのブログ等、無くなってほしくない民間のウェブサイトはないでしょうか。ソーシャルブックマークサービス等を利用し、ウェブサイトのタグ付けをすることで、保存してほしいウェブサイトを推薦できます。 推薦されたウェブサイトから長期で保存すべきも
記録を残すとは、時に残酷なものである。 本書の表紙をめくると、そこには一枚の写真が掲載されている。カメラに向かって微笑む、福島民友新聞の6人の記者たち。撮影されたのは、2011年3月9日。後方には激震と津波によって後に消失してしまう「ろうそく岩」もそびえ立つ。そして6人の運命が、やがてジグソーパズルのようにバラバラに引き裂かれていくことを、彼らはまだ知らない。 記録を残すとは、時に希望を生み出す。 2011年3月12日の福島民友新聞の社説は、このような書き出しで始まる。 <私たち福島県民にとって、これまでに経験したことがない、想像を絶する揺れだった。> 一次資料もなく、被害状況も分からず、周囲が安否確認をしているさなかに書き出された文章は、助け合い、支え合うことへの呼びかけを目的とし、多くの被災者の元へと届けられた。 だが、このわずか3日ほどの間に、福島民友新聞の中では想像を絶するドラマが
東日本大震災の地震を時間にそって震源と規模を表示してみました。 データはTenki.jpを参照しました。 一時間を一秒とし、最も濃くなった瞬間が発生時刻です。 いかに余震が多いかが観察できます。
山下達郎さん サンデーソングブック 2011年03月20日「震災特別プログラム」 本日2011年3月20日のサンデーソングブック、出来る限りテキスト化して記載しました。 誤字脱字があるかもしれませんが、お許しを。 CMなし、全編音楽です。 ※なお、管理人の判断で、この表示内容を予告なしに修正・削除することもございます。 録音物や音源等のお問い合わせはお断りしています。 録音物や音源等に関連するコメント書き込みは削除する場合もございますので、ご了承くださいませ。 ◎ 冒頭 達郎氏: みなさん、こんにちは。山下達郎です。 毎週日曜日、午後2時からの55分間は私、山下達郎がお送りするジャックスカード・サンデーソングブックの時間であります。 東京FMをキーステーションと致しまして、JFN全国38局ネットでお届けしております。 まずもって、今回の東日本大震災で被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げ
東日本大震災の発生からから3年。大きな被害を受けた岩手・宮城・福島の復興はどこまで進んだのでしょうか。 統計データをとおして見てみます。 死亡した人のうち、これまでに99%に当たる1万5786人の身元が確認されていますが、依然として98人の身元は分からないままです。 警察庁 平成26年3月6日発表
核心評論/復興への意欲むしばむ 立ちはだかる風評の壁 「大しけ 養殖ワカメ直撃」-2月19日朝の河北新報に載った大見出しだ。記録的大雪を降らせた2月の南岸低気圧が、復興途上の宮城県気仙沼市周辺の養殖ワカメの8割を奪った。「また壊滅だ」と漁業者を嘆かせた。 問題はそれで終わらない。同月末、同じ東日本大震災の被災地、石巻市北上町の仮設住宅に、取材の縁を重ねる漁業佐藤清吾さん(72)を訪ねた。 宮城県漁協の北上町十三浜支所(組合員約300人)運営委員長で、あの津波で妻と孫、兄姉ら身内十数人を亡くした。 「ここのワカメも半分がやられた。これだけの大被害で品薄なのに、値が全く上がらない。おかしいだろう」と言う。 地元のワカメ養殖は約60年の歴史があり、外洋の荒波で育つ「十三浜ワカメ」は、味の良いブランド物として知られる。 佐藤さんによると、収穫後、浜で業者に買い取られる生ワカメは今、1キロ
3月10日(月)19:30からNHK総合で、20:45からはNHK BSプレミアムで生放送される特別番組「震災から3年“明日へ”コンサート」の追加出演者が発表された。 この番組は大物アーティストが一堂に会し“音楽の力”を通じて復興のメッセージを伝えるというもの。出演者には第1弾発表のAKB48、SMAP、ゆず、Perfumeら11組に加え、追加で黒猫チェルシー、SEKAI NO OWARIがアナウンスされている。 また番組では東北から被災地の現状や復興への取り組みを伝えるほか、ソチ五輪金メダリスト・羽生結弦のコメントを紹介。さらに能年玲奈が宮城県石巻市の写真を撮り続ける高校生カメラマンを訪ね、写真を通じて交流する様子もオンエアされる。 能年玲奈コメント故郷の写真を撮り続ける高校生。自分ができることをしなきゃいけない、と決意した姿が素敵だと思いました。自分も逃げないで立ち向かわないといけない
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