「卒母(母親を卒業)」を宣言した西原理恵子さんは「ウエストがないことが最大の悩み」で毎日、幸せだという。しかし、パートナーの「高須クリニック」の高須克弥院長を介護しないとも。そう… 続きを読む
「卒母(母親を卒業)」を宣言した西原理恵子さんは「ウエストがないことが最大の悩み」で毎日、幸せだという。しかし、パートナーの「高須クリニック」の高須克弥院長を介護しないとも。そう… 続きを読む
ワーキングウーマンのためのイベント「WOMAN EXPO TOKYO 2017 Winter」が12月2日(土)、12月3日(日)に東京ミッドタウンで行われました。そのオープニングを飾ったのが、「なでしこジャパン」のキャプテンとしてW杯優勝を成し遂げた澤穂希さんのトークショー。「夢と目標を実現できた要因に迫る~澤穂希さんが実践してきた健康のための自己管理」と題して、一流アスリートとして、一人の女性として、夢を実現してきた澤さんならではのメンタル&フィジカル管理術を余すところなく教えていただきました。 【関連画像】「自分が苦しいときは、みんなも一緒なんです」(澤さん) 澤さんといえば、なでしこジャパンのキャプテンとして、2011年のW杯でチームを初優勝に導いた立役者。同年度にはサッカー選手にとって最も栄誉ある「FIFA女子年間最優秀選手」にも選ばれました。2012年にはロンドンオリンピックの
エリック・クラプトンの「いとしのレイラ」や「ワンダフル・トゥナイト」、ジョージ・ハリスンの「サムシング」……。伝説的なロックの名曲は、彼女がいなかったら生まれなかったかもしれない。イギリス人のモデルで写真家のパティ・ボイドさんは、ビートルズのジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの元妻であり、1960年代以降、ビートルズをはじめ多くのロックスターたちを撮影してきた。その写真展「George, Eric&Me~パティが見たあの頃~」 が現在、東京・銀座の「リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.P」と西麻布の「ギャラリーE&M西麻布」で開催されている。日本初の写真展を記念して来日したパティ・ボイドさんに、彼らとの日々について聞いた。 聞き手・文/安原ゆかり(日経WOMAN編集長) 写真/大槻純一(インタビュー) パティ・ボイド 本名パトリシア・アン・ボイド。1944年イギリス生まれ
50歳になったことを機会にこの連載を書き始めようと決めたとき、まず一番目に大きくメモしたのは「今の立場は自らの意志でつくってきたものではない」という一文でした。 この言葉には2つの意味があります。 ひとつは「"都会でキラキラおしゃれに仕事をしてる独身キャリアウーマン"になりたくてなったわけじゃない」という意味。 もうひとつは「求められなければここにはいない」という意味です。 私は(たまたま今は)都心に住んで(たまたま今は)都心の会社にフルタイムで勤める(たまたま)独身の50歳女性ですが、このスペックだけで「キャリアウーマンなんですねぇ」と言われてしまうことがあります。 キャリアウーマン…って、何でしたっけ? キャリア-ウーマンcreer woman 職業を持った女性。多くは、熟練した職業経験を持ち、第一線で働いている女性の意にいう。(小学館 精選版 日本国語大辞典)うん、確かに職業はもって
小泉純一郎元首相(74)の元妻、宮本佳代子さん(60)が長年の沈黙を破ってシニア向け女性誌「いきいき」の単独インタビューに応じた。佳代子さんは1978年にお見合い結婚し、俳優の小泉孝太郎さん(37)、小泉進次郎衆院議員(34)を出産。結婚生活は5年もせずに破綻し、息子2人を残して小泉家を去った。当時、妊娠6か月だった三男の宮本佳長(よしなが)さんが結婚したことや、自らが還暦を迎えたのを機に重い口を開くことになったようだ。 インタビューでは、「生き別れ」に近い状態が続いてきた2人の息子に対する思いや、ゼロどころではなく「マイナスからの人生」としてスタートした離婚後33年間の歩みを振り返っている。 妊娠6か月で離婚、「胎教としては最悪な状況」で出産 インタビューが掲載された「いきいき」は、書店では買えない直販制で、日本雑誌協会によると、部数は21万部を誇る。2016年4月号が3月5日頃に購読者
本日、出産をメディアに公式発表したフィギュアスケート選手の安藤美姫。彼女によく似た愛らしい笑顔の赤ちゃんをその胸に抱いて、ヴォーグだけに特別な思いを語ってくれた。 「大切な命を授かったことを知ったときは、女性として、人間として大きな喜びに包まれました。休養中のことでしたので、関係各所に色々とご迷惑をおかけすることもありましたが、周囲の人たちの温かいサポートに守っていただき、無事に出産をすることができました。こんなにもたくさんの人の優しさに支えられているのだと、感動と感謝の気持ちでいっぱいです」 何ヶ月も氷上に立つことの出来ない環境の中で、スケートに対する思いも新たなものになったと話す。一時は失いかけていた競技への意欲は、我が子への愛や周囲への感謝の思いとともに、強い決意となって戻ってきた。「この子にも胸を張れるよう、今シーズンは今の自分のすべてをかけてがんばりたいと思っています」 実は、本
りん・じょんえ/BCS認定プロフェッショナルビジネスコーチ、ファイナンシャルプランナー、英検1級、TOEIC955点。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。British Airwaysに入社し、客室乗務員として成田―ロンドン間を乗務。その後中央経済社、日本経済新聞社にて、経営、経済関連の書籍の企画および編集を行う。2006年10月にアマプロ株式会社を設立。仕事を通じて培ってきたコミュニケーション力や編集力を活かして、企業の情報発信をサポートするために奔走している。 企業の経営層とのインタビューを数多くこなし、その数は100名以上に達する。その中からリーダーの行動変革に興味を持ち、アメリカでエグセクティブコーチングの第一人者で、GEやフォードなどの社長のコーチングを行ったマーシャル・ゴールドスミス氏にコーチングを学ぶ。現在は経営層のコーチングも行う。コミュニケーションのプロフェッショナルが集
人材育成の専門家集団(株)FeelWorksグループ創業者であり、部下を育て組織を活かす「上司力®」提唱者。兵庫県明石市生まれ。大阪府立大学、早稲田大学ビジネススクール卒業。リクルートで「リクナビ」「ケイコとマナブ」「就職ジャーナル」などの編集長を経て2008年に「人を大切に育て活かす社会づくりへの貢献」を志に起業。「日本の上司を元気にする」をビジョンに掲げ、独自開発した研修「上司力®研修」「50代からの働き方研修」「ドラマで学ぶ社会人のビジネスマインド」、eラーニング「パワハラ予防講座」・新入社員の「はたらく心得」などで400社以上を支援している。2011年から青山学院大学兼任講師。2017年に(株)働きがい創造研究所設立。情報経営イノベーション専門職大学客員教授、一般社団法人企業研究会 研究協力委員サポーター、一般社団法人ウーマンエンパワー協会理事なども兼職。30年以上、一貫して働く現
最近(2009年9月9日現在)、Wikipediaに乳がんで亡くなった国際ジャーナリストの千葉敦子の項目を作ろうという機運が盛り上がっているようです。Wikipediaに一旦は千葉敦子の項目が作られたのですが、それが削除されたのは、はてなキーワードの「千葉敦子」の項目をそのままコピーしており、それがキーワードの著作権を持つ株式会社はてなの権利を侵害していると考えられたからのようです。 ところで、単純な事実の羅列に過ぎませんが、はてなキーワードの「千葉敦子」の項目を書いたのは、私です。私としては、自分の書いたものがWikipediaにコピーされても全く問題ないのですが、キーワードに書いた時点で株式会社はてなに著作権を譲り渡してしまっていたのですね…。 というわけで、以前千葉敦子の伝記を書きたいと考えていた頃に作成し、ハードディスクに眠っていた千葉敦子の年表をここに掲載します。間違いがあるかも
先日、週刊東洋経済で「働きウーマン」という特集をやっていました。 日本は女性の活用がまだまだ進んでおらず、この東洋経済によると、日本は、国会議員に占める女性比率で94位、管理的職業従事者に占める女性の割合で10%強(欧米主要国では30~40%)、そしてジェンダーギャップ指数と呼ばれる男女平等の度合いを測る指数では91位だそうです。 海外では女性の登用が進んでおり、ノルウェーでは取締役の4割以上は女性にすることが義務付けられていたり、女性の管理職比率の高い企業のほうが業績がいいなど、女性の躍進が企業や政治の場面で効果をあげていることが紹介されています。 ほかには、海外と国内で活躍する女性を紹介しながら、女性の活躍を阻害する要因を分析しつつ、一方では、シングルマザーや非正社員雇用の問題なども扱っています。 私は外資系金融機関で働いていたときは、一緒にプロジェクトを担当した後輩社員は半分以上が女
10月、11月は筆者の都合で本連載をお休みさせていただき、お詫びいたします。理由は妊娠によるつわりでした。今回はこの体験を踏まえて、記事を書かせていただきます。 * * * * * 妊娠そのものは計画通りだったので、驚きはなかった。昨年の7月から今年の7月末まで1年間、調査のため米国に留学していたが、この間に数十人のワーキングマザーに話を聞いた。周囲には妊娠中も元気に仕事をし、また育児をしながら仕事を続ける同僚や先輩が何人もいた。彼女たちを見て、「妊娠・出産しても、私も何とかやっていけるだろう」と比較的安易に考えていた。 ところが全く想定外だったのが、つわりである。妊娠3カ月に入った9月から10月にかけては、ほぼ毎日吐き続けることになった。最初の頃は、食べたものはすべて吐くため食事は取れず、ひどい時にはお茶やジュースですら受け付けなくなった。久しぶりに会った家族は、私を見て「一瞬、
毎年3月になると、京都嵐山のトロッコ嵯峨駅から、トロッコ列車が走る。鉄橋の遥か下、保津渓谷の流れに目を奪われていると、片道7.3キロ・25分の道のりもすぐに終わってしまう。風情ある旅の終点が、トロッコ亀岡駅。この町に丹山酒造5代目であり、全国でも珍しい女性杜氏がいる。丹山酒造4代目社長である長谷川敏朗さんの次女、長谷川渚(29歳)さんだ。 京都の西、嵐山の上流に位置する亀岡市は緑と水の町と言われ、なだらかな山すそに田園風景も見られる。かつては、明智光秀が亀山城を築いた城下町でもある。「家の横に酒づくりの蔵があって、小さい頃はそこが遊び場でした。お酒がお米と水からできるというのが面白くて、いつかは自分でやりたいと思っていたんです」と長谷川さんは言う。「高校生の時に、この道に入りたい、そしてどうせなら手に職をつけたいと思いました」 杜氏を目指す長谷川さんは18歳で高校を卒業してすぐ、酒造職人に
「日経ウーマン」が毎年選出する「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2007」の大賞を,携帯SNSサイト「モバゲータウン」などを運営するITベンチャー,ディー・エヌ・エー社長の南場智子さんが受賞した。 今回で8回目となる「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」の歴史をひもとけば,ITベンチャー社長の受賞は南場さんが初めて。IT・通信関連では,NTTドコモでiモードをプロデュースした松永真理さんが第1回大賞,占いサイト「恋愛の神様」などのコンテンツ開発を手掛けたインデックス社長の小川善美さんが第4回大賞を受賞したが、いずれもヒット・メーカーとしての功績によるもの。今回受賞した南場さんは,創業6年目にして東証マザーズ上場を果たし,その後も業績を大きく伸ばした粘り腰の経営者としての手腕が評価された。 過去3年の大賞受賞者は,遺伝子解析の研究者,唐木幸子さん。SRI(Socially Responsible Inve
私が管理職になって経験した“Good Old Boys’Network”について、もう1つの例をお話しましょう。 例えば、会議の席でのことです。私はそれまで、会議とは自分の意見をはっきり言うものだと思っていました。一生懸命調査し、勉強したうえで臨むわけです。しかし、せっかくいろいろ調べて案を出したのに、最後には何が決まったか分からないような会議も、中にはありました。 ある会議の席で私は挙手して、それを指摘しました。すると皆一斉に、嫌な顔をするのです。会議の後で私はある上司に呼び止められ、こう言われました。「内永さん、今日の会議は、そういうことを言うために集まったんじゃないんだ。お互いの挨拶のようなものだから、(何も決まらなくても)いいんだよ」 こうしたことをほかの男性は皆納得ずくで、疑問を挟まないのですね。私は、「それなら、最初にそう言ってもらわないと」と思いましたが、(こういうGood
「アントルヴォー村」フランス, プロヴァンス地方 -- Rod Edwards/Photographer's Choice/Getty Images
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